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2014年5月7日水曜日

「陳舜臣アジア文藝館」 プレオープン記念の集い

 
以前書いた 「陳舜臣アジア文藝館」 のプレオープン記念の集いにワイフ共々出席した。出席させて頂けるとの連絡メールが翌日に来て、この日5月6日を楽しみにしていたのだ。
「陳舜臣アジア文藝館」 オープン予定
 
 
 
母との朝食をすませてから、朝8時45分ころワイフと共に自宅を出発。 市バスでJR六甲道駅まで出て、JRを利用して元町駅下車。 

 
元町中華街を右手に見て、にこやかな布袋様に挨拶をして、地図に沿って海岸線に向かって歩いていくと、国道2号線を渡ったところに旧神戸税関メリケン波止場庁舎がある。
 
 
 
入り口には、このような掲示看板が置かれてあった。 赤い三角柱は、道路工事でよく
見かけるとんがり帽子を流用したのかと思ってしまった。 
この建物の3階に文藝館があります。
 
 
開10時の30分も前についたのですが、会場に入れてくれました。3階の会場を自由に見学できるとのことでした。既に沢山の方がいらしてました。 2階が、プレオープン記念会場になっています。 ここで、鼎談会が行われます。
 
 
 
 陳舜臣は、実に優れた歴史作家で膨大な作品群を残している。 壁に展示されていた
肖像画です。  陳舜臣らしさが、とてもよくでている。
 
 
勿論ご存命だが、現在介護施設に入所しており、長男の写真家、立人(りーれん)さんが所蔵資料の散逸を懸念して、史料の集約と活用のため文藝館の構想をNPOの協力を得て立ち上げたそうだ。 
 
お話を伺うと、NPO法人「まち・コミュニケーション」が、設立準備委員会を立ち上げて5か月後ようやくプレ開館に至ったようで、Staff の皆さんは資金も援助もないない尽くしの内を手弁当で大変なご苦労の末ここまでこぎ着けたらしい。 
 
 
 

ギャラリー舜に入りましょう。 第1室には 自筆原稿が置かれている執筆机、いす、書台(サイドデスク)、筆記具が展示してある。 書斎を忠実に再現したそうです。
 
 

見えにくいが、壁の書額の下に亀の彫り物が飾ってある。これは、壁に空いた穴を見えなくするためのものだそうだが、微笑ましい感じがする。一生懸命ずり落ちないように頑張っているのだ。


 
机上には、自筆原稿が万年筆とともにそのまま残されている。 端正な筆跡です。
 
 
書台の上には、硯(すずり)と筆、木製のプレートが置かれている。 
書を能くされた陳舜臣にふさわしい立派な硯です。 
 

この第1室には、陳舜臣先生が書斎で常日頃鑑賞していた絵画が展示されている。 

 

陳舜臣先生は、中国の大人の風格を持った歴史小説家です。
 
 Staffの方から、先生がいらっしゃているとの連絡がありました。 別室の所有絵画の部屋の絵画を眺めておられました。 実際のお目にかかることができ非常に幸運でした。報道関係の方や、役所等の偉いさんも沢山来ていました。 
 
 
お痩せになりましたが、お元気なご様子でした。 ご子息の立人(りーれん)さんとのツーショットです。
 
 
展示の絵画です。 屈原等歴史上の人物を描いた中国絵画が多いですが、お好きなのでしょう、 Buffet の鉛筆画がありました。 題字は、自筆でお書きになったのもあります。
 
 
 
 
 
 
第2室は、書庫になっています。 著書や中国史の史料などが展示されている。
 



書棚には、まだ空きがあるように思ったが、まだ搬入していない神戸市の自宅や丹波市の別荘、早稲田大学に置いていた本が数千点あり、それらで一杯になってしまうそうだ。 とても全部は展示できないので、定期的に展示替えをしながら順次公開するそうだ。この資料室には、新聞記事の切り抜きコピーなども掲示されていた。 

代表作の一つである「中国の歴史」全15巻の、自筆原稿も展示されているかと思ったが、これは見当たらなかった。 

 一応の見学を終え、10時25分からのプレオープン記念の催しに出席する。 これは、盛況でした。会場は130人以上の方の参加で一杯でした。  

第一部が、セレモニーでメインは演奏会とゲストと司会者による「陳舜臣的こうべらしさって?」
いうタイトルの鼎談であった。 

ウエルカム演奏は、小池照夫による篠笛「ルバイヤートへのオマージュ」であった。

この方です。 篠笛の演奏だけでなく、ルバイヤートのペルシャ語および日本語訳の朗読もありなかなか良かったです。 小池照夫 さんは、映像作家  (水由章のブログ参照)でもあります。

 
陳舜臣との関係は、NPO と共通の興味である「ルバイヤート」です。
 
 

ペルシャの詩人、オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」訳詩原稿を、陳舜臣は戦争中防空壕に
避難する時も手放さなかった。的確な註解と解説をつけてペルシャ語原典からの翻訳。

鼎談では、太宰治の娘である太田治子がある意味メインゲストでした。 


陳舜臣を尊敬する作家として親しくお付き合いさせて頂いていたそうだ。 

お話は、陳舜臣との最初の邂逅(彼女は、1976念から NHK「日曜美術館」の初代アシスタントを
3年間務めたが、そのときのゲストの1人が陳舜臣だった。絵画を通しての中国の歴史を分かりやすく説明してくれたので一遍でファンになったそうだ。)、 と彼がいかに弱者に心優しい、度量の大きな作家であるというお話であった。 画家の浅野忠の評伝本の宣伝と、現在書き継いでいる二葉亭四迷の評伝のお話もあった。 

元神戸市長の矢田立朗氏のお話は、やはり阪神淡路大震災と神戸市の復興についてであった。 
話が上手であったのは、張文乃さんです。 彼女は、NPO法人国際音楽協会理事長で、陳舜臣先生の奥さまがこの協会で活動していたのだ。 先生の被災に遭われた人々への励ましの言葉を
披露された。 音楽は、人を悲しみから立ち上げる気力勇気を与えるものであるとの事だ。 



あとは、準備委員長からの謝辞と Staff 紹介があった。 加えて、文藝館を支える崑崙の会
案内であった。 私もメンバーになろうと思う。 

ご子息の立人さんもインタヴューを受けていて、陳舜臣先生のご様子とかこの文藝館の運営についてのお話をされた。 写真家らしく、アフロヘアーヘア(篠山紀信がそうだ)であったが、シャイで素朴なとても感じの良い方であった。

カメラマンが3人もいて、催しの様子を写真に撮っていた。 
 
 第二部は懇談会である。懇談会では、コーヒーとお菓子が出され会場の方と自由に懇談できる形式になっていた。



昼食は、インド料理を食べにデリーに行く予定だったので、申し訳なかったが第二部は早々と
退出させて頂いた。
 
 
ここは、ご夫婦2人でやっている。 店内は、この様になってます。 
インド人の老ご夫婦も来店していました。
 
 
我々は、定番だが、チキンサモサと野菜サモサ、
 
 
チーズロール、
 
 
そしてメインのカレーがチキンカレーとビーフカレー、および ナン、テプラ そして ごはん
 
 
 
 
を注文した。 勿論ビールもね。
 
久しぶりの懐かしい味でした。 美味です。 満足しました。
とても充実した1日であった。 それでは、さようなら。 ごきげんよう。 

1 件のコメント:

  1. 拝読しました。当時 アジア文藝館の催しに行きたくて、都合がつかず(東京です)、涙を飲んだ者です。
    克明に 時系列で写真付きで書いてくださり、心慰められました。陳舜臣さんを 遅れて読み、阿片戦争から遡って読んだ珍しいファンです。子供たちも陳さんを読んでインド料理を食べて育ちました。
    この記事に起こしてくださり、本当に有難うございました。

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