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2014年7月14日月曜日

丹鶴姫伝説


前回丹鶴姫のゆるキャラを紹介したが、            紀伊半島山越え一周旅行 2014.7.5-6 II




実は、この姫はもののけ姫であるという伝説がある。

新宮市の熊野川河口付近にある丹鶴城趾には、日暮れになるともののけの姫が出る。

 新宮出身の作家、佐藤春夫の著作「わが生い立ち」より。



 丹鶴城主の姫君の丹鶴姫は子供が好きださうで、 夕方、 子供がひとりでそのあたりを通つてゐると、 緋の袴の姿で丘の上へ現れて来て扇で子供をまねく。 招かれた子供は次の日の朝になると死んでゐるといふのである。 その丹鶴姫の使いが黒い兎で、 子供の通る道の前をひよいと横切ることがある。 やつぱりそれを見た子供は死ななけりやならないともいふ。 黒い兎なら暗がりのなかでは見えないかも知れない。自分の見ないつもりのうちに、 もしや黒い兎をみたのぢやないだらうか 私はそんな空想に怯えたこともあつた。 丹鶴姫といふのはどんな人だか知らないが、 城山の向ふの丘には一つの小さな社があつて、 そこを皆が丹鶴姫の祠だと言つてゐる。……



 物の怪となった丹鶴姫」。
 
 





 

 












「丹鶴姫」と呼ばれる女性は平安末から鎌倉初めにかけて実在した。

彼女の父親の名は、源為義(みなもとのためよし)。
第15代熊野別当長快の娘を為義が見初めて結ばれました。娘は身籠り、生地の新宮で一女一男を産みました。その女児が丹鶴姫で、そして、男児が新宮十郎行家です。
 
丹鶴姫は「たつたはらの女房」とも呼ばれ、行範に嫁ぎ、夫の死後は出家して「鳥居禅尼」と名乗り、東仙寺を開き、夫の菩提を弔いつつ、我が子を育て上げました。
 
源平の乱後、丹鶴姫(鳥居禅尼)は、その功績によって、甥に当たる将軍頼朝から紀伊国や但馬国各地の地頭(じとう)に任命され、鎌倉幕府の御家人になりました。鎌倉将軍家の一族として、鳥居禅尼は、熊野内外で絶大な勢力を振るったものと思われます。
 
 
 
という訳で、土地の名士でありました。
 
 
現在のゆるキャラ丹鶴姫は、とてもローカルですが丹鶴商店街の専属キャラとして活躍しています。 丹鶴姫もTwitter をしています。 丹鶴商店街という無粋なハンドルネームでです。
 

チラシにも登場しています。

リアル丹鶴姫です。

続いて、漫画の丹鶴姫と実弟の行家です。 頼朝、義経の叔父と叔母になります。
新宮十郎行家屋敷跡 の説明板にあったそうです。


最期に丹鶴姫の動画をアップする。 どうか、楽しんでくだされ。

 
 
丹鶴姫【和歌山県新宮市丹鶴商店街】
 
それでは、今回のゆるキャラシリーズはこれでおしまい。ごきげんよう。
 
 
 

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