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2014年7月11日金曜日

終焉の画家 ズジスワフ・ベクシンスキー

 

久々の画家シリーズである。 世紀末画家 オーブリー・ビアズリー
                                                   画家 H. R. ギーガー逝去

今回は、 ベクシンスキー を紹介したい。 この画家もあまり有名でないので、ご存じでない方も多いのでないかと思っていた。 そこで、検索をしてみると Wikipedia 以外にもかなり多くの関連ページが見つかった。 そうである。 有名でないと思ったのは、私の思い込みに過ぎないのであった。 こういう事はよくある。 

極めつきが、彼の Virtual Musium  である。 是非見に行ってください。

Wikipedia よりの人物紹介。 


ズジスワフ・ベクシンスキー
Zdzisław Beksiński         (1929年2月24日 - 2005年2月21日) 

ポーランドの画家、写真家、芸術家。


ベクシンスキー(1991年撮影)
生誕1929年2月24日
ポーランドの旗 ポーランド第二共和国 サノク
死去2005年2月21日(満75歳没)
ポーランドの旗 ポーランド ワルシャワ
国籍ポーランドの旗 ポーランド
分野絵画、写真
最終学歴クラクフ工業大学建築設計学部卒
 

概略: 


作品では、死、絶望、破損、廃退、廃墟、終焉などが描かれ、それは不気味さや残酷さと同時に荘厳な美しさを感じさせる。独特の世界観から多くの支持を得た画家である。作品自体は退廃的で「終焉の画家」と呼ばれる程だが、彼自身は人当たりが良く少し内向的で、人との会話をよく楽しんだとして知られている。だが、政治不信、マスコミ嫌い等があり、普段は隠居のように暮らし制作に没頭しており、他の芸術に触れることも嫌った為、ポーランド語以外は話さず、ポーランドから出る事も生涯なかった。


ということで、大変内気な好人物のようですが、描く作品はかなり不気味でエグイのです。
そのような作品の制作に没頭し、悲劇的な最期を迎えたが、75才で死ぬまで膨大な作品を残した。


来歴を簡単に述べる。


来歴: 

ポーランド南東部のサノク出身。 少年時代にナチス・ドイツポーランド侵攻を経験。

クラクフ工業大学建築設計学部に入学、卒業後は建築業務で現場監督をするも不満を抱き、芸術の道へ進む。


1964年、初個展では作品の全てに買い手がつき、すぐさまポーランドの代表的な近代芸術家として認知される。当初は抽象画を描いていたが、1960年代の間に独自の幻想的リアリズムと称される画風に移行する。

1998年、妻が亡くなる。

1999年のクリスマスイブ、息子が鬱病により自殺。ベクシンスキーは息子の死との折り合いを付けられず。

 
2005年、自宅にて2人の若者に殺害される。ベクシンスキーの誕生日3日前の出来事であり、75歳であった。後に主犯として、長年彼のパトロンであった人物の16歳の息子とその親族が逮捕されており、借金の頼みを断った事が動機と報道されている。

それでは、早速 彼の画業を紹介する。 彼の作品には、全てタイトルがついていない。

初期の作品(1970年代) 鉛筆画



 


絵画(1968~1983) 人物

 
 
 
 
 


 絵画(1984~1989) 廃墟

 
 
 
 
 
 
 




絵画(1995~2005) 晩年の作品

 
 
 
 
 
 
 



Computer を使ったモンタージュ作品

 
 
 
 
 
 
 

 
このように見てくると、漫画の ガンツ、ベルセルク、エバンゲリオン 等に多大の影響(パクリ)
を与えているのがよく分かります。 
漫画の画像ネタ元として べクシンスキー は良く知られているのだ。 納得する。

これで、今回はおしまい。 それでは、ごきげんよう。 

 

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