もう1年半以上前になるが、息子の車でワイフ共々竹田城跡を見に行ったことがある。 現役最後の秋の休日でした。 現在のように、軍師官兵衛ゆかりの地として竹田城を売り出す前でした。
「雲海に浮かぶ天空の城」というキャッチフレーズに魅かれて見学に行ったわけです。
その時の写真をアップするのが、今回の記事の目的です。
例によって Wikipedia で調べると、つぎのような記述がある。
(兵庫県) | |
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本丸から望んだ南千畳
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別名 | 天空の城、虎臥城、安井ノ城 |
城郭構造 | 梯郭式山城 |
天守構造 | 不明(天守台有り) |
築城主 | 山名宗全(伝承) |
築城年 | 1431年(永享3年)(伝承) |
主な改修者 | 羽柴秀長、赤松広秀(斎村政広) |
主な城主 | 太田垣氏、羽柴秀長、赤松広秀 |
廃城年 | 1600年(慶長5年) |
遺構 | 石垣、堀、井戸など |
指定文化財 | 国の指定史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度18分1.89秒 東経134度49分44.09秒 |
竹田城(たけだじょう)
現在の兵庫県朝来市和田山町竹田にあった日本の城。
概要
縄張りが虎が臥せているように見えることから、別名虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)という。
国の史跡に指定されている。また城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことから、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれる。
雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっている。
東に立雲峡を望む標高353.7メートルの古城山(虎臥山)の山頂に築かれ、縄張りは、南北約400メートル、東西約100メートル。天守台をほぼ中央に配置し、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に配され、北千畳部と南千畳を双翼とし、天守台北西部に花屋敷と称する一郭がある。
廃城から約400年を経ているが、石垣がほぼそのままの状態で残っており、現存する山城として日本屈指の規模となっている。
ということです。 これで、説明はほぼ完了ですが、先に書いたようにこの山城は黒田官兵衛ゆかりの地でもあり、大河ドラマ『軍師官兵衛』 の竹田城でのロケが行われた。
産経新聞社の作成した、竹田城跡の案内動画があったのでそれをアップする。
探訪・竹田城跡 雲海に浮かぶ天空の城
キャプションを一部紹介する。
霧深い早朝の山あいで寒さに耐えながら夜明けを待つ。一帯が少しだけ明るくなると、徐
白くかすんだ雲海のすき間から、遠くの山頂に巨大な石垣が見えた。
まさに「天空の城」だった。
なかなか良いセリフですね。 竹田城の要点を書くと、つぎのようになる。
1)竹田城の石垣には、現代の地震対策にも通じる古の職人の高度な建築技術と豊富な知恵が凝縮されている。 但馬街道と山陰街道が交差する交通の要所に位置している。
2)天守閣などを失った石垣のみの城跡だが、ほとんどの原形をとどめ、縄張りは南北約400メートル・東西約100メートル。俯瞰すれば双翼を広げた鳥のようになっている。
3)現存する山城として日本屈指の規模を誇り、往時の面影を今に伝えている。 国の史跡に指定され、日本百名城にも選定されている。
またもや、朝来市役所広報 の回し者になってしまった。
我々が行ったときは、駐車場の料金も拝観料も無料であったが、官兵衛効果もあって近年の観光客の増加はすさまじく、石垣や山道が崩落する恐れまで出てきているそうだ。
わだやま観光案内書でゲットしたのが、このパンフです。竹田城の縄張り図が裏面に描かれてある。JR竹田駅の向かい側が、立雲峡である。
情報館 天空の城(たけだ城下町交流館内)が、JR竹田駅 徒歩250mのところにある。 ここが、竹田城の情報発信基地になっている。
情報館のパンフです。
館内には、竹田城跡鳥瞰模型や石垣を原寸大で再現した算木積みジオラマ(写真奥)、
竹田城シアターがある。
現在も冬季は、無料だがその期間以外は有料で、かつ時間制限がある。
詳しくは、つぎのようになっている。
料金徴収期間と徴収時間
徴収期間 | 徴収時間 |
---|---|
3月20日から9月20日まで | 午前9時から午後4時まで |
9月21日から12月10日まで | 午前3時から午後4時まで |
観覧料金
区分 | 単位 | 金額 | 備考 |
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大人 (高校生以上) | 1人/1回 | 300円 | 平成29年4月1日からは400円 |
中学生以下 | - | 無料 | - |
年間パスポート | 1人/1年 | 1,000円 | 毎年4月1日~3月31日 |
説明はこの位で終わって、写した写真を見てゆく。
向かいに見える石垣に向かって歩いてゆくわけだ。 途中まで路は、このように舗装されている。
こんな石碑が立っており、
このような山道を登っていくと、
石垣の積まれた大手門につく。
さらに登ってゆくと、天守台に着く。 この天守台をほぼ中央にして、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸 が繋がってゆく。 向かいに見える小高い場所が天守台です。
そして、眼下の景色。 北近畿豊岡自動車道の橋げたが見える。
天守台から下を眺めた景色です。
北千畳方向から天守台を見た、下からの眺めです。
かくして主要場所を見学して下山。 出石市に向かう。 つぎの目的地は出石城。
ここ出石は、出石そばで有名、という訳で地元グルメの出石皿そばを食すことになる。
この店です。 出石皿そば山下。
皿そばの具ですね。生卵、とろろ汁、ネギ、わさび、だし汁。
そして、皿そばがこれ。 忘れてしまったが、3人で15皿くらい注文したと思う。
出石市の街並みである。
ここが家老屋敷で、
中庭は、このようである。
向かいに見えているのが、出石城である。
Wikipedia による情報はこれです。
出石城 (兵庫県) | |
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出石城全景
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別名 | 高城 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 建造されず |
築城主 | 小出吉英 |
築城年 | 1604年 |
主な改修者 | |
主な城主 | 小出氏、松平氏、仙石氏 |
廃城年 | 1871年 |
遺構 | 櫓、石垣、堀 |
指定文化財 | 市史跡 |
再建造物 | 門・橋、模擬櫓 |
位置 | 北緯35度27分37.56秒 東経134度52分27.31秒 |
出石城(いずしじょう)
兵庫県豊岡市出石町にあった城。出石城跡。
それほど、見どころ満載の立派なお城という訳ではない。
出石城も、明治時代になり、廃城令で取り壊されたが、辰鼓櫓、堀、石垣などが現存、また隅櫓、登城門・登城橋などが復元され、堀の周囲一帯は登城橋河川公園として整備されて、観光地となっている。
城の沿革については、Wiki-出石城 を参照して欲しい。
お城への入り口に架かる登城橋です。 城郭に植えられている紅葉の木。
どうもジジイの写っている写真が多くて目障りですね。
城郭横を流れる川。
そして、城郭内の有子山稲荷神社の本殿とその参道の鳥居群。
これは、稲荷郭であったと思う。
有子山稲荷神社の参拝を終えて、市内観光である。 これが、出石市のシンボルである時計塔の辰鼓楼(しんころう)。 Wiki によると、
兵庫県豊岡市出石の出石総合支所敷地に現存する明治時代初期の時計台。
そして、出石城観光も済ませ車に乗り込み、神戸へと帰っていったのである。
今回の記事はこれでおしまい。 ごきげんよう。
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