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2014年9月30日火曜日

砥部の坂村真民

砥部の坂村真民



しまなみ海道サイクリング の記事を書いたとき、坂村真民のことを少し紹介した。




念ずれば花ひらく 真民さんである。


その真民さんの記念館が砥部町にある。



住所:〒791-2132 愛媛県伊予郡砥部町大南705
開館時間: 午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、
         年末年始(12月29日~翌年1月1日)、展示替え期間中
入館料金: 小中生200円 高大生・65歳以上300円 一般400円

入場パンフは、これである。



坂村真民の略歴を記す。 Wikipedia より引用。
  • 1931年 神宮皇學館を卒業
  • 1934年 朝鮮に渡る。朝鮮時代は短歌に傾倒する。
  • 1946年 愛媛県に引き上げ、国語教師として教鞭をとりつつ詩作に従事。
  • 1953年 尼僧・杉村春苔に出会い大きな影響を受ける。
  • 1960年 個人雑誌「ペルソナ」創刊。
  • 1962年 自らの詩をつづった月刊詩誌「詩国」を創刊。1,200部を無料で配布した。
  • 1967年 新田高等学校に国語教師として赴任。砥部町に居を構える。
  • 1970年 「念ずれば花ひらく」第1号碑が、京都市鷹峯常照寺に建つ。
  • 1974年 新田高等学校退職。詩作に専念。
  • 1980年 文部省中学校教育課『道徳指導要領三』に、詩「二度とない人生だから」が採録され、多くの教科書に掲載されるようになる。
  • 2006年 12月11日、97歳で永眠。
以前書いたが、彼の最も有名で人口に膾炙されているのは、「念ずれば花ひらく」 の詩でしょうね。 


それ以外にも、彼には、沢山の人としての生き方を教え励ます詩がある。

この記念館には、それらの詩を書として融合させた、芸術作品といえる多くの墨跡が残されている。 

坂村真民記念館の公式サイト からは、画像を無断で転載できないので、Naverのまとめサイト
から、転載可能な画像を採集した。 


私の気に入った詩の書を幾つかアップする。






この 「二度とない人生だから」 の書は、記念館に展示してあるのと同じですね。 Naverまとめ は、どうやら無断でこの画像をパクッているらしい。 本来ならば許せんが、コピペ可能となったので、有難いことではある。
年をとってジジイになると、このような詩が心にしみ入るのである。 ついこの間まで、仕事をやり遂げることで精一杯だったのである。 最近になり、退職してからだが、花の美しさとか鳥の声なんかに耳を傾けるようになったのだ。 若い頃から考えると、想像もつかん変化である。 


二度とない人生だから  坂村真民

 
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を
かたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか
よろこぶことだろう
二度とない人生だから
一ぺんでも多く
便りをしよう
返事は必ず
書くことにしよう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにも
めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう
二度とない人生だから
戦争のない世の
実現に努力し
そういう詩を
一遍でも多く
作ってゆこう
わたしが死んだら
あとをついでくれる
若い人たちのために
この大願を
書きつづけてゆこう



 
 
という心根のまま97歳まで生きたのである。 私には、無理であろう。 わかっているが・・・。

さいごに混声合唄の動画をYouTubeよりアップする。




混声合唱「二度とない人生だから」

実は、この曲を聴いてみて、さほど感動したわけではない。私は、やはり信心が足りないのであろう。 書のほうは、好きなのだがね。

ということで、今回の真民さんはおしまい。






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