三井寺
佐川美術館 琵琶湖大橋 とつづく 9月28日の琵琶湖ドライブ旅行の最終回である。
最後に訪れた三井寺を紹介する。 このお寺周辺は、歴史的風土特別保存地区になっている。
ここは、三尾神社である。
ウサギを守護神とする神社である。
ここの神官に教えて頂いて、三井寺の玄関口に着く。 三井寺の名は、通称であり、正確には、
園城寺という。 四国第十四番札所である。
Wikipedia により、ちゃんと勉強しましょう。 どなたが、主として執筆したのかしらぬが、充実した記事である。 園城寺
滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。
開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。
一般には「三井寺(みいでら)」として知られる。
園城寺 | |
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金堂(国宝) | |
所在地 | 滋賀県大津市園城寺町246 |
位置 | 北緯35度0分48.09秒 東経135度51分10.26秒 / 北緯35.0133583度 東経135.8528500度 |
山号 | 長等山(ながらさん) |
宗派 | 天台寺門宗 |
寺格 | 総本山 |
本尊 | 弥勒菩薩 |
創建年 | 7世紀 |
開基 | 大友与多王 |
別称 | 三井寺 |
札所等 | 西国三十三観音14番 西国薬師四十九霊場48番(別所・水観寺) 江州三十三観音4番 近江西国三十三観音5番 神仏霊場巡拝の道147番(滋賀15番) |
文化財 | 金堂、絹本著色不動明王像(黄不動)他8件(国宝) 梵鐘他(重要文化財) |
相当に古い、由緒のあるお寺です。 Wiki の記事はとても長いので、適当に要約して、受け売りの説明をしよう。
天智天皇ゆかりの寺として7世紀に創建された、天台寺門宗の総本山。
正式名は、 長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)。
三井寺の名称は、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた湧き水(三井の霊水)があり、「御井戸(みい)の寺」と呼ばれていたことに由来する。
その後、智証大師が、この霊泉を密教儀式である三部潅頂の法水に用いたことから「三井寺」と呼ばれるようになった。
後半の部分の説明がわからん。智証大師は知らんし、三部潅頂の法水が全くわからん。
Wiki で調べると、ごく短い記事で、 円珍 天台寺門宗の宗祖。諡号(しごう)は智証大師 とある。 まあ、天台宗の宗祖であることは分かった。
三部潅頂 は、Wiki の記事にはない。 潅頂(かんじょう) については、ブリタニカの国際大百科事典にはあった。
水を頭の頂に注ぐという意。元来は,インドの王の即位,立太子にあたり,大海の水を注ぐ儀式のこと。それが仏教に取入れられ,菩薩が最上の境地に入ろうとするとき,諸仏が智水を菩薩の頭に注ぎ,最上の位に達したことを認めること。
これで、なんとなく分かったことにしよう。 久々のゆるキャラ紹介をする。
ゆるキャラグランプリ エントリーNo.338(滋賀県) のべんべんである。
こいつは、三井寺の広報担当の坊主である。頭にかぶるは、三井の晩鐘である。
Facebook も持っている。 べんべん
三井寺の公式ホームページ である。 拝観料は、つぎの通り。
拝 観 料 |
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老人割引なし。 従って500円支払った。 最近こんなことばかり言ってる。
パンフは、これです。四つ折りなので、こんな風になった。
このパンフを参考にして寺院の紹介をする。
智証大師は、とんがり頭のこの僧である。 生誕1200年の大法会が10月18日から11月24日まで開催される。 べんべんもいる。
水観寺である。 三井寺の五別所のひとつで、現地に移築したもの。本尊に薬師如来をまつる。
薬師如来様です。
このお寺にも、 智証大師像が安置されています。
この水観寺を出て、石段を登る。
頂上まで登ると、観音堂である。西国十四番札所。
このお堂である。
ここには、三井寺の概観マップがあり、それによると、観音堂周辺には諸堂が並び札所伽藍を構成している。
これは、百体堂
観月舞台
手水舎
鐘楼
観音堂の中である。
さて、観音堂の奥にもうひとつ山道があり、そこを登ると広場にでる。
此処には、大津そろばんの石碑があり、
観音堂を一望に見下ろすことができる。
また琵琶湖も見渡すことができる。琵琶湖競艇の競艇のエンジン音がここまで聞こえてくる。
イオンとか、高層ビル、競技場も見える。
紅葉は、紅葉し始めている。
ここから、もとの観音堂に下る。
三井寺は、文化財だらけです。 解説書から引用する。
三井寺には実に多くの文化財が残されています。 それはただ単に量的に多いというわけではなく、 国宝10件(64点) ・重要文化財42件(720点) の国指定文化財が示すように、質の高さは県内はもとより全国でも屈指のものです。
これは、鐘楼にある童子因縁の鐘である。
その由来が説明されている。 興味ある方は、写真をアップして読んでくだされ。
境内の通路には、このような石仏がならんでいる。
これが、微妙寺である。本尊が十一面観音である。
これが、重要文化財の圓城寺唐院四脚門。 この門内全体が、唐院である。
潅頂堂
三重塔
唐院をでて、石橋をわたると 一切経蔵 一棟 が現れる。
毛利輝元公の寄進で、慶長7年、山口の国清寺の経蔵を移築した禅宗経堂である。
堂内には、このように一切経を納める八角輪蔵がある。
お寺ばかりだと、ウンザリするので、気分を変えて 池の鯉。
これが国宝の金堂です。実に古式豊かで優美です。
現在の金堂は、豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので、 三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。 また本尊弥勒菩薩もここに安置されています。
という説明である。
これが、かの有名な三井晩鐘である。
とのことで、一打ち300円で打鐘させて頂ける。 近くによると、このような感じである。
このようにして、鐘をつく息子であった。 個人情報は守っているのである。
実際に鐘の音をお聞きください。
ここが、閼伽井屋(あかいや)である。
天智、天武、持統の三天皇の産湯に使われたという、「三井寺」の名前の由来にもなった泉の湧き出ている場所に建てられたものであり、重要文化財に指定されている。格子を通して内部が見えるが、水の湧き出し方がそう激しくないにも拘わらず、「ゴボッ、ゴボッ」と大きな音を立てている。
写真を撮ったが、なにも写らぬ。
左甚五郎の龍
閼伽井屋の正面に、有名な左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻がある。むかしこの龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れたために、困った甚五郎が自ら龍の眼玉に五寸釘を打ち込み静めたと伝えられている。
ここが、霊鐘堂、 弁慶の引き摺り鐘が安置されている。
弁慶の引き摺り鐘
延暦寺の僧兵だった弁慶が戦利品として園城寺から比叡山までひきずり上げたが、比叡山でついたところ鐘の音が出ず、ただイノー・イノーと鳴った。怒った弁慶が、イニけれりゃイネと谷底に投げ捨てたため、後に三井寺に戻った、と伝えられる。
弁慶の汁鍋というのもありました。 また、こんなスタンプも置いてあった。
榊莫山の石碑が見つかった。
解説には、こう記述されている。
重要文化財。室町時代中期の宝徳3年(1451)の建築で、左右に運慶作の密迹金剛力士像が安置されている。東近江の常楽寺にあったものを慶長6年、徳川家康が園城寺に移したもので、蟇股など細部意匠の大変美しい門である。
弁慶さんの ひきづり鐘 である。 お土産のお饅頭ですね。
これで、三井寺の拝観は完了。
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