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2014年10月4日土曜日

三宮地下画廊


先日、運動不足解消のため、自宅からバスで新在家まで行き、そこから三の宮まで歩いた。
坂を登ったり下ったりしたので、都合2時間ほどかかったのだが、三宮の地下街に行きついた。

ここは、私にとって周知のホームグランドみたいな場所であるが、地下鉄海岸線の三宮・花時計前駅周辺の地下通りに、このようなミニ画廊があるとは知らなかったのである。



そこで展示されている絵画(陶板印刷したもの)を、写真にとったので、これらを紹介したい。

神戸をかたる画家たち とある。 以下、フラッシュが反射して見難いがご容赦。


小磯良平の「集い」


 
実物の画像は、これ。



小磯良平の「働く人」とその実物画像。




 
 小磯良平の「三人の踊り子」。その実物画像は見つからない。


 
 
小磯 良平(こいそ りょうへい、1903年7月25日 - 1988年12月16日)

は、神戸出身の画家として有名であるので、人物紹介は略す。東京芸術大学教授。 
Wikipedia の 小磯良平 を参照されたい。

以下の画家の人物、経歴紹介は、Wikipedia による。

金山平三の「大石田の最上川」 とその実物画像。

 
 金山平三

 
 金山平三の「渓流」 とその実物画像。


    金山 平三(かなやま へいぞう,1883年12月18日 - 1964年7月15日)

卒業作品の自画像


大正・昭和期の洋画家である。
兵庫県神戸市生まれ。黒田清輝らに師事し、東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科を首席で卒業。助手として大学に残り、28歳から31歳までの間はヨーロッパ各地へ写生旅行に赴く。帰国後、文展初出品の『夏の内海』特選第二席、翌年の「氷すべり」特選第一席など官設展での受賞を重ね、36歳にして帝展審査員に選ばれる。
1935年の帝展改組を機に中央画壇から去り日本の風景を描くために旅を続けた。
1957年 日本芸術院会員。
 

田村孝之介の「ニース」 とその飾り皿。

 

 
  田村孝之介の「海をたたえる」。 意外であったが、実物画像は見つからない。

 

田村孝之介の「踊る」。 これまた、実物画像は見つからない。


 
 画像が見つからなにのは、著作権の関係であろうと思われる。

田村孝之介   


妻・ふきとともに(1954年)

田村 孝之介(たむら こうのすけ、1903年9月8日 - 1986年6月30日)

洋画家、文化功労者。
大阪市生まれ。本名・大西孝之助。太平洋画会研究所、信濃橋洋画研究所に学ぶ。
1926年二科展に初入選、戦後1947年二紀会創立に参加し、1952年初めてヨーロッパに渡る。1974年二紀会理事長。1985年文化功労者、裸婦、風景画を描く。


 
 
 ミニ画廊は、これでおしまい。

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