ウイーン幻想派の画家シリーズの4回目である。今回は、この幻想派グループの異端者と言ってよいエーリッヒ・ブラウアーの紹介をしたい。
画家 エルンスト・フックス 画家 ルドルフ・ハウズナー 画家 ヴォルフガング・フッター
エーリッヒ・ブラウアーのWikipedia 日本語ページはない。 一番充実しているのは、ドイツ語のページ。 Arik Brauer ドイツ語を訳すのは、面倒なので、英語ページで代用する。
Arik Brauer (4. Jänner 1929 in Wien; bürgerlich Erich Brauer)
Austrian painter, draughtsman, printmaker, poet, dancer, singer and stage designer. He resides in Vienna and Ein Hod, Israel. Brauer is a co-founder of the Vienna School of Fantastic Realism, together with Ernst Fuchs, Rudolf Hausner, Fritz Janschka, Wolfgang Hutter and Anton Lehmden.
(我流の日本語訳) エーリッヒ・ブラウアー (1928年1月4日 ウイーン生まれ) は、オーストリアの画家、版画製作者、詩人、ダンサー、歌手で舞台演出家でもある。 彼は、ウイーンとイスラエルのアイン ホッドに居住している。 ブラウアーは、エルンスト・フックス、ルドルフ・ハウズナー、フリッツ・ヤンスカ、ヴォルフガング・フッターおよびアントン・レムーデンと共にウイーン幻想派を創始した一人。
そうなのです。 エーリッヒ・ブラウアーは若い頃から、詩人で、ダンサーで、歌手で、舞台演出家でもある。恋多き人生を送った画家です。ボヘミアンですな。
若い頃の写真。俳優みたいだね。
現在も多方面の才能をもつ”カッコいい”お爺さんなのである。
娘さんは、ジャズ歌手の ティナ・ブラウアー。
手持ちの 『ウィーン幻想絵画展図録』 朝日新聞社 から彼の経歴を引用する。 小説家の
種村季弘が書いた、 『迷宮の魔術師たち―幻想画人伝』 求龍堂(1985) も参照。
1942年~45年、ナチスの強制労働に従事。
1945年、 ウィーン美術学校に入学し、ギュテルスロー教授に師事する。ハウズナーらが創設したウィーン・アートクラブに参加。
1951年~1952年、 フランス、北アフリカ、中東を旅行。リュート奏者やフォークシンガー、ダンサーとして各地のナイトクラブに出演して生活費を稼ぐ。途中、イエメンで現地女性のネオミと結婚。パリで芸能生活を続ける。
1952年、 イスラエルに滞在。昼の間は絵を描き、夜はネオミと歌手やダンサーをして暮らす。
1954年、 パリの画壇で歓迎される。この頃よりブラウアーらしい技法が完成される。
1961年~72年、 ウィーン、パリ、イスラエルと転々としながら創作活動をおこなう。
70年にはチューリッヒのボマルゾ・オペラ劇場の舞台装飾を手がける。
1966年、 代表作、『シナイ山の水飲み男』を描く。
1972年、 ウィーンのメデア・オペラ劇場の舞台装飾を担当。
1982年、 アメリカで個展を開き成功をおさめる。
ほかにもウィーンやイスラエルで複数の建築プロジェクトに参加し、数多くの壁画、床絵、装飾を手がける。
これが、代表作と言われる、『シナイ山の水飲み男』。 画像が見つからなかったので、手持ちの画集からスキャンした。 そんな訳で画質は悪い。
という事で、この記事の目的である彼の絵画を見ていこう。 例によって絵画の題名は煩わしいので省略する。
なんか、シャガールの影響が見てとれますね。
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