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2014年11月11日火曜日

信楽ドライブ旅行


前回の信楽たぬきの記事に書いたが、信楽へドライブ旅行をしたのである。その際の旅行日誌。 
今回の記事では、たぬきでない信楽焼きを見るのが目的。

朝9時半に自宅を下の息子の車で出発。 名神高速を1時間半ほど走って、草津のPAで一休み。   


久しぶりに、名神高速を車の中から写してみた。 秋の気配である。



12時半に信楽鉄道の始点信楽駅に到着。



このような面白い信楽焼きでできた鐘の塔のモニュメントがある。


 
駅前の駐車場に車をおいて、信楽の町を散策する。 たぬき巡りですな。

ここで、信楽焼の基礎知識。 Wikipedia より。

信楽焼(しがらきやき)

滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、日本六古窯のひとつに数えられる。一般には狸の置物が著名である。
信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である。長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。
信楽特有の土味を発揮して、登窯、窖窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わび・さび”の趣を今に伝えている。信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、かつ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であり、多種多様のバラエティーに富んだ信楽焼が開発されている。

と、いうことで狸以外(といっても狸は必然的に含まれてしまうが)の置物を見ていこう。
 
坊主の置物。
 
 
駅から少し歩いたところに小川があり、そこに橋がかかっている。
その橋の歩道は、信楽焼きのタイルで敷き詰められている。
 

見ればわかるので一々コメントはしないが、このような置物がそこかしこに散見されるのである。
七福神とか観音様とか中国の坊主だね。


 
 
 
 
 
 

四六のガマもいた。
 
 
 

 
そう言えばコマ犬もいましたね。


 
信楽駅の近くにある新宮神社をお参りした。


なんと、本殿まえには信楽たぬきの置物がずらりと並んでいました。神社としては珍しいね。

 

 
 

この神社の神使は、にわとりです。たぬきではない。


新宮神社の由緒が陶板パネルに書かれている。それによると、祭神は、

素盞鳴命(すさのをのみこと) 
稲田姫命(いなだひめのみこと) 
大山津見神(おおやまつみのかみ)

である。 有名な八雲神詠が記されている。

八雲立つ 出雲八重垣

妻ごみに 八重垣作る

その八重垣を

日本神話においてスサノオが詠んだ日本初の和歌ということになっている。


 

 

 
焼き物の見物を終えて、遅い昼食を狸家分福でとる。 ここは、うどん屋兼陶芸品のショップである。

 
前回に紹介したこの店です。外装が寝そべったたぬきを形どっている。 



店内にはいると、このようにやっぱりたぬきの置物が飾られている。 その他置物や陶器の販売もしている。

ここが食堂の部分。

我々は、当然地元グルメのたぬき丼、ぶっかけたぬきうどん、および日替わり定食を注文。
このように、たぬきの鉢に盛られて出てくるのだ。愛嬌があって良し。




うどんは讃岐うどん風で、こしがあり、味付けはコブ出しで悪くない。丼は近江地鶏を使っていて、なかなかのものであった。充分にうまい。

さて、つぎの見学場所の宋陶苑である。 江戸時代の築窯された、信楽唯一の窯元です。
ここは、このように信楽焼きの置物だらけです。



ここが作業場です。



解説パンフによると、宋陶苑の全貌はこのようになっている。


見にくいが、地図上ではこのような場所に位置している。



入場料は無料で、自由に見学できるが、来苑を事務所に届け出なければならない。
苑内の焼き物群です。



おばさんたぬきも写っている。


また、ここはのぼり窯で有名です。

しがらき焼 宗陶苑
  

●のぼり窯とは
山の斜面を利用し、細長い部屋を数室連続し、次第々に室内の容積を大きくし余熱を利用しながら焚き上げていく形状の窯のことを言います。
火袋・大焚き
●宗陶苑の登り窯は
日本最大級のもので、現在もフル活動しています。全十一室からなり、長さ30m、巾15m、高さ3.5m。その巨大窯をいまもなお年に数回焼き上げています。
●窯焚き
棚組による窯詰作業に約40日、窯焚き7昼夜、さまし3日、窯出し、窯の補修等に10日、
50~60日で一巡。燃料は赤松割木、最前室(火袋)を約3昼夜、あぶり・中焚き・大焚き
と燃焼を大きくしていきます。
火袋内部 窯焚き

        (練り焚き)次に焼く一の間より品物が入れてあり、第一室より窯の両サイドから薪を
入れる間焚きに移ります。15cmくらいの焚き口から薪を一本づつ放り入れ、長い薪を
タテ向きに転がしていきます。
狭い焼成通路にまんべんなくまくばる技は神技とも思えます。炎は作品、棚組の隙間を
縫い、天井をかえり舞い踊りながら次の部屋へと続く狭間穴(さまあな)へと流れます。

窯全体が煙突の役目をし、次・次の部屋で余熱利用していく事により燃料と時間を
節約し、多量に生産できる所に利点がありましたが、現在では炎のなせる不揃い、
高等技術を要する上に重労働、回転率の悪さ、小まわりがきかない等、
一種品目の大量生産には不向きな為、ほとんど使用されなくなってしまいました。

しかしながら、宗陶苑では昔ながらの古き良き物を使っていただきたくて今もなお、
昔のままの姿を続けております。

●宗陶苑の登り窯の歴史・江戸期に築窯されたと想定出来ます。

・明治、大正、昭和初期寄合窯として協同使用されました。

・その後直方家が使用したものを譲り受ける。

その間、三笠宮妃殿下、スペインのホアンミロ、スウェーデンのリリアン王妃、
八木一夫、能倉順吉、下村良之介等あらゆる芸術家が訪れ、この窯を使用致しました。
 
 

ということで、現在も使われている。

この窯です。 段差がつけられている。


 


 
これで、信楽焼きの見学はおしまい。 他に見るところはなかったので、3時には帰途についたのであった。 それでは、ごきげんよう。

 





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