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2014年11月27日木曜日

何もない1日


山の裾野に住んでいるせいか、自宅は電波状況が極めて悪い。インターネットは、WiFiを通じて行っているが、全く接続できない時がしばしばある。昨日、一昨日と2日続けて全く繋がらなかった。なぜか天気の悪い日は、ダメである。おかげで、ブログを書くことは勿論、メールも出来なかった。困ったことである。 実は、あんまり困ってないが、調べものができないのが一番困る。今や辞書の類は、全てインターネット経由なのである。重たい辞書を引っ張り出す気にはならぬ。便利に慣れ過ぎると、禄なことはないなと反省する。

先週下書きした散歩記事をアップしそこねたので、今アップする。 続きを書くのが嫌になってやめてしまった記事である。 当然、つまらない記事である。 私のアホさが露呈している。 どの記事もそうだろうと言われると(誰も言ってないが)、その通りですと答えるしかない。 埋め草の積りです。 以下その記事。 

先日の天気の良い日のことである。母親との朝食を終え、久しぶりに部屋の掃除と暖房器の入れ替えをした。それが終わって、今や日課となったブログ書きを昼までに済まし、昼からは自由時間である。お勉強は、頼まれ仕事が終わったのでやめにして、自由気ままな散歩にでた。カメラだけをポケットに入れて。

バスで、阪神の新在家まで出た。そこで阪神電車に乗って、春日野道で降り、そこから三宮へむかい山側に歩いて行った。 春日野道では、3冊200円の古本を文庫本ばかり6冊買った。 
この6冊である。







相変わらず脈絡のない本の買い方である。小説は、楽しみのため、残りの本はブログのネタ探しのためである。 (後注:大岡昇平を除いて、全て読了。スポックをブログのネタに使った。)

平日なので人通りは少ない。暇そうに歩いているのは老人ばかりで、私もその一人。 のんびりと歩いていると、筒井八幡神社にでてきた。 随分久しぶりである。 この神社は余り変わっていないように思った。 紅葉の始まる時期になったね。 


iタウンページによると、

平安時代に宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられ、応神天皇(八幡大神)がお祀りされています。
古くから当地には清水が湧き出ていました。湧き水に井筒を設けて利用したことから筒井という地名が起こり、この辺りは筒井村と呼ばれました。その井筒は現在も境内に残っています。明治初期の耕地整理によって神社の周囲は宮本通となりました。


本宮です。七五三詣での家族が1組いたが、このように閑散としていた。


境内には、稲荷八幡宮の鳥居もある。


これも境内にある、石造りの社で祖霊社とある。 Wikipediaによると、

 
 
 
祖霊舎は、神道において祖先の霊を祭るための神棚である。 屋内神殿のひとつ。霊舎、霊屋、霊棚、霊床、神道壇などともいう。 神社本庁では霊舎としている。神社の中にある祖先の霊を祀る施設は祖霊社と表記して区別する。神道による祖先祭祀において、
仏壇に代わる物として登場した。
 
である。 その名の通りですね。 参道に隣接する公園は、宮本公園で爺さんや子供達の遊び場になっている。

Charlie-k-じいさん2

婆さんは見受けなかった。きっと婆さんは、家の中で忙しく働いているのだ。それに引きかえ爺さんは公園で暇そうにベンチに座り、カセットコーダーで石原裕次郎の曲をかなり大きなボリュームで流していた。 別に迷惑ではないが、買ってきた本を読むには不都合である。

気持ちの良い日差しである。
それで、清々しい秋の気配に包まれて、公園内での瞑想にふけったのである。

しのびあう恋を つつむ夜霧よ ・・・・・
夜霧よ今夜も有難う

という、裕次郎の歌を口ずさみながら。 つい、つられてしまったのだ。

外から見れば、あちらの爺さんもこちらの爺さんも、大差ない裏びれた存在である。 

その後、阪急三宮まで歩き、スタバでコーヒーを飲みながら読書をつづけ、気晴らしに淳久堂と古本屋を見てまわり電車で帰ったのだ。

私にとっての

 
悠悠自適

とは、こんなものである。 つまんないこと、夥しい。 

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