2,3回で旅行記を終えるつもりだったが、悪い癖で写真を見ながら調べているとこんなに長くなる。すみません、今回で必ず終わりますからと、誰にあやまる必要もないのについ謝ってしまうのである。
さて、1月5日の午後からの観光日記である。 最初は、
・ガジュマルの根が建物に覆いかぶさっている「
タ・プロム」
である。日程表には、
タ・プロムと書いてあったが、Wikipedia では、
タ・プロームと表記されている。それで、ここではWikiに敬意を表して
タ・プロームと書くことにする。
タ・プローム(
Ta Prohm)
カンボジアにある、アンコール遺跡群と呼ばれる多くの寺院や宮殿などの遺跡群の内のひとつで、12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡。創建したのは、クメール人の王朝、アンコール朝の王ジャヤーヴァルマン7世。
この写真で有名な遺跡である。
寺院の全体図である。
この遺跡は、ガジュマルによる浸食が激しい。上の写真の通りである。
Wikiによると、こう書かれている。
三重の回廊に覆われた遺跡には、文字通り樹木が食い込んでいる。
あまりの酷さにインド政府はタ・プロームの修復計画を発表した(インドはタ・プロームの修復を担当している)。しかし、現在ここで議論が沸き起こっている。熱帯の巨大な樹木は遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論である。2006年10月現在、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論が継続中である。
ガジュマルを切り取ったら、遺跡自体が崩壊してしまうということだ。ということは、当分はこのままだね。私は、この遺跡については修復などせず、ガジュマルが枯れてもそのまま放置が良いと思う。
タ・プロームの案内掲示板である。インド政府の作成したものである。修復の完成予想図を描いていると思えるのだが、よくわからん。
ここが、廻廊の入り口である。
中に入る。崩壊が進み、修復中のものもあるが、ガジュマルに浸食されていない建造物はこのようである。
だが、廻廊を奥深く進んでいくと、ガジュマルの浸食ぶりは凄まじい。これを見ていこう。
デブの爺さんは無視すること。
これらは、可愛いいほうである。
これを見よ!(Wikiのページにあった写真の巨大版)
上を見上げるとこんな大木である。
同じガジュマロの木だが、根が非常に複雑にからんでいる。
果たして元々1本の木であったかどうかも定かではない。
根の張り方が、すざましい。それぞれの根が癒着しまくっている。
こう見ると、木とは思えんね。首長のタコ入道という感じだ。
ジジイは無視
ほとんど、アートの世界になっている。
勿論、タ・プロームには、ガジュマロに浸食されないで残っている遺跡もある。
しかし、このような無残な状態にある。
特に観音菩薩像は、場所の関係でガジュマロの被害はないが、これはむしろ瓦礫化している。
後世に残すべき立派な遺産だと思う。
瓦礫の山と化さない様に、丁寧に保存して頂きたいとおもう。無責任な感想だが。
つぎは、
・千体仏石柱の発見された「バンテアイ・クディ」
である。
よく覚えていないのだが、 タ・プロームから密林の中を20分ばかり歩いたところにあった。定かではないが、写真の時間データによるとそうなる。 幸い、Wikipedia に説明記事があったので一部引用する。
バンテアイ・クデイ(Banteay Kdei)
は、カンボジアのアンコール遺跡において、「チャンバ族の砦」、または「僧房の砦」として知られる仏教寺院である。この寺院はタ・プロームの南東、アンコール・トムの東に位置する。12世紀半ばから13世紀初頭のジャヤーヴァルマン7世(在位1181年-1218年頃)の統治中に築かれたものである。バイヨン様式で、構成はタ・プロームやプリヤ・カーンに似るが、複雑ではなく、より小さい。その構造物は2重の周壁に囲まれており、そして塔門から2重の中央回廊を構成し、東面前方には前柱殿がある。
バンテアイ・クデイ (Banteay Kdei) の位置
バンテアイ・クデイとは 言語的には「僧坊の砦」と言う意味らしい。
これが、東塔門の観世音菩薩の四面塔である。バイヨン寺院の四面塔よりは、小ぶりな気がする。
この寺院にも参道や廻廊があるのだが、如何せん写した写真がゴッチャになっており、なにがどれなのかよくわからん。それで、場所の確定できた写真のみアップする。
参道である。道の脇に屋台が出ているわけではない。
これが、バンテアイ・クデイの中央祠堂周辺。
十字回廊の中の中央祠堂である。 このように塔は、ワイヤーで補強されている
守門神 ドヴァラパーラと、それに寄り添う美女。なお、肖像権の関係でご覧のようになっている。
十字回廊の中庭
テラスの石畳(?)
ここは、石柱へのアサプラスの彫刻で有名らしいが、写真には撮っていない。似たようなレリーフばかりだと、何が重要で貴重か判別不能である。しかし、何か悔しいのでWikiの写真をアップしておく。
そして、
・王の沐浴場であった「スラ・スラン」
スラ・スラン(Srah Srang)
カンボジアのアンコール遺跡にあるバライであり、東バライの南、バンテアイ・クデイの東側に位置する。
そして、バライ とは、
バライ (baray) は、東南アジアのクメール王朝における建築様式の共通要素となる人工水域である。
要するに、大規模なため池みたいなもんですな。 これです。
今は、水くみ場とか子供の遊び場になっているようだ。
最後のおまけで、もう一か所遺跡を回ったのだが、今やそこがどこだかわからない。それで、分からないまま写真をアップする。こんな仏塔群である。
仏塔の中にはいることができて、
壁には、このようなレリーフが彫られている。
ひとつ、付け加えたい。
アンコール遺跡の保存には、日本人の関与も大きい。例えば、上智大学アジア文化研究所所長の石澤良昭は、1980年以来16回にわたりアンコール遺跡調査研究を実施し、遺跡の保護・修復のために活動している。
上智大学アンコール遺跡国際調査団の調査報告パネル(の一部)
最後に、シェムリアップ市内の様子と市場の風景写真をアップしたい。そう、街の人たちは生き、生活しているのである。
市内風景
市場内の風景
そして、23時40分発のKE676便に遅れぬようにホテルを出発し、シェムリアップ空港に着。ここから空路韓国プサンへ。翌朝6時15分にプサンで乗りかえ、今度は2時間45分という短い待ち時間で、関空に10時25分に無事に到着したのである。
これで、4回にわたる
カンボジア旅行記はおしまい。 読んで下さった方々、お疲れさまでした
最後に坊の砦」 と言う
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