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2015年2月7日土曜日

「死にとうない」の仙厓和尚

インフルに罹って調子が悪いせいか、一層身体のアチコチに不都合が出てきている。現役時代の長年の不摂生がたたっているのかもしれんが難儀なことである。身体の部品に故障が出始めているというのは、まあ本当の所は加齢が理由であろう。

それでふと、つぎのセリフを思い出したのである。

老人六歌仙

しわがよる ほくろができる 腰曲がる
頭がはげる ひげ白くなる
手は震う 足はよろつく
歯は抜ける 耳は聞こえず
目は疎くなる
見に添うは 頭巾襟巻
双眼鏡 たんぽ おんじゃく
しゅびん 孫の手
聞きたがる 死にともがなる 淋しがる
出しゃばりたがる 世話焼きたがる
くどくなる 気短になる 愚痴になる
心がひがむ 欲深くなる
またしても 同じ話に 子を誉める 達者自慢に
人は嫌がる


仙厓



俗の極みであるが、その通りなのである。 

この作者 仙厓和尚についてWikipediaでは、このように書かれている。

仙厓義梵(せんがい ぎぼん、寛延3年(1750年)4月 - 天保8年10月7日(1837年11月4日))

江戸時代の臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる。
美濃国武儀郡で生まれ、月船禅彗に師事。博多聖福寺の住持を二十年務め、多くの洒脱・飄逸な絵画(禅画)を残す。天保8年(1837)に88歳の生涯を閉じる。

仙厓はその奔放な生き方をもって知られており、狂歌も多く詠んだ。その狂歌を一部紹介する。

・美濃国において新任の家老が悪政を行ったことに対して

「よかろうと思う家老は悪かろう もとの家老がやはりよかろう」

・絵を依頼に来る者が後を絶たないことについても、自分の家をトイレになぞらえて

「うらめしやわがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」

・美濃国を追放された際には美濃国と蓑を掛詞とし

「から傘を広げてみれば天が下 たとえ降るとも蓑は頼まじ」


・この花を菊とはいうが耳はない 木はあっても酔いの実もない

「此花をきくとはいへど耳もなし 生はありとても良のみもせず」


また、有名なつぎのへそ曲がりエピソードが知られている。


 父死 子死 孫死


 ある人が仙厓に「書」を依頼して、こう書かれた。
 依頼主が「おめでたい言葉を書いて欲しかったのに」と抗議すると、仙厓は「子があなたより先に死ねば、あなたが悲しむ。孫が先に死ねば、あなたとあなたの子が悲しむ。
 私が書いた通り、親・子・孫の順で死んでゆけば『天寿を全うした』ことになり、これこそ『家の繁栄』ではないかな」と教え諭した。

くだらん屁理屈爺である。

その仙厓和尚の書画を紹介しよう。(九州大学文系合同図書室所蔵)


(1) 天神図



(2) 白衣観音図


(3)平士敬図


(4) 竹図


(5)茶湯図


(6)いぬの年祝ふた


(7)河豚図


(8)猫の恋図


(9)恵比寿図


(10)群蛙図


(11)神農図

(12)大黒天図


(13)寒山拾得図


(14)犬図


(15)釈尊降誕図


(16)拾得図


(17)三聖嘗酸図


(18)観音図


(19)稚児舞図


(20)臨済栽松図


(21)恵比寿図

 

(22)遊紫霞玄海図


(23)円相図
 

(24)寒山拾得図


(25)寿老人図


(26)管正利像


 


 その和尚の辞世の言葉は

「死にとうない」

だったという逸話がある。

今回は、墨絵ばかりで色がない。それで、先日フラワーセンターに行ったときの、色とりどりの花の写真をアップする。一部値段表つきです。

オブコニカ

 

ルピナス


チューリップ

シクラメン

木瓜の花

ラナンキュラス
 

 
冬場の花としては、とても鮮やかです。
不思議な心境の変化ですが、年をとると花を見るのが好きになります。
たとえ、それが人工的に栽培されたり、日本古来の花でなくともです。
 
今回はこれでおしまい。

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