堺市まちなか福助人形展というのが開催されていた。市内外13カ所で福助人形などが展示されていて、その1か所が堺市博物館でした。
その期間はもう終わってしまった。
それで、色んな種類の福助人形があるものだと思い、調べてみたのである。画像は、山ほど出てきた。調べた記事の全部は紹介できぬが、主だったものを紹介するのが今回の記事の目的。
いつものように、福助人形の由来をWikipediaでお勉強。
福助人形(ふくすけにんぎょう)
幸福を招くとされる縁起人形。正座をした男性で、大きな頭とちょんまげが特徴。頭が大きな人の比喩にも用いられる。
元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形叶福助。願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られた。叶福助のモデルとなった人物も実在したと言われている。
福助人形の生まれる経緯を箇条書きで述べる。
・一説に、享和2年8月に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルである。
もともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者であったが、近所の笑いものになることをうれい、他行をこころざし東海道を下る途中、小田原で香具師にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物にでたところ、評判がよく、江戸両国の見せ物にだされた。
・江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。
・見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。
・それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだした。その人形が、福助の死後、流行した、という。
「睦まじう夫婦仲よく見る品は不老富貴に叶う福助」
という、川柳がある。
江戸時代の古いものは、骨董品として外国でも売られているようである。値段は物によるが、日本円で数万円から数十万円する。
それらを見ていこう。
まずは、正統福助人形。端正なお顔だちである。
福助足袋の商標がモデルかもしれない。我々が普通イメージするのは、これだね。
これもそうだが、愛嬌がある。
お辞儀をしていて、顔を見せない福助人形もある。
笑う福助人形。
つぎに古い時代のものを挙げよう。不気味な顔立ちの福助人形がある。
木像の福助人形
それで、最後に1人の福助人形作家を紹介したい。
現在71歳になられる、宮﨑工芸社の 宮﨑 隆さんである。福助人形を作りつづけて40年になる。
宮﨑さんの作品。
各干支ごとに福助人形を作っている。全部の画像は存在しない。
ネット上では、これだけしか見つからなかった。残念だが、仕方がない。
ということで、福助人形編はおしまい。
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