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2015年2月16日月曜日

福助人形

以前堺市博物館に行った時に、このような古い福助人形が展示されていた。





 

堺市まちなか福助人形展というのが開催されていた。市内外13カ所で福助人形などが展示されていて、その1か所が堺市博物館でした。 


その期間はもう終わってしまった。

それで、色んな種類の福助人形があるものだと思い、調べてみたのである。画像は、山ほど出てきた。調べた記事の全部は紹介できぬが、主だったものを紹介するのが今回の記事の目的。

いつものように、福助人形の由来をWikipediaでお勉強。

   
ショーウィンドウの福助人形
 
福助人形(ふくすけにんぎょう)
 
幸福を招くとされる縁起人形。正座をした男性で、大きな頭とちょんまげが特徴。頭が大きな人の比喩にも用いられる。
 
元々は、文化元年頃から江戸で流行した福の神の人形叶福助。願いを叶えるとして茶屋や遊女屋などで祀られた。叶福助のモデルとなった人物も実在したと言われている。
 
福助人形の生まれる経緯を箇条書きで述べる。
 
・一説に、享和2年8月に長寿で死去した摂津国西成郡安部里の佐太郎がモデルである。
もともと身長2尺足らずの大頭の身体障害者であったが、近所の笑いものになることをうれい、他行をこころざし東海道を下る途中、小田原で香具師にさそわれ、生活の途を得て、鎌倉雪の下で見せ物にでたところ、評判がよく、江戸両国の見せ物にだされた。
 
・江戸でも大評判で、不具助をもじった福助の名前を佐太郎に命じたところ、名前が福々しくて縁起がよいと見物は盛況であった。
 
・見物人のなかに旗本某の子がいて、両親に遊び相手に福助をとせがんで、旗本某は金30両で香具師から譲り受け、召し抱えた。
 
・それから旗本の家は幸運つづきであるのでおおいに寵愛され、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚し、永井町で深草焼をはじめ、自分の容姿に模した像をこしらえ売りにだした。その人形が、福助の死後、流行した、という。
 
 
「睦まじう夫婦仲よく見る品は不老富貴に叶う福助」
 
という、川柳がある。
 
江戸時代の古いものは、骨董品として外国でも売られているようである。値段は物によるが、日本円で数万円から数十万円する。
 
それらを見ていこう。
 
まずは、正統福助人形。端正なお顔だちである。
 

福助足袋の商標がモデルかもしれない。我々が普通イメージするのは、これだね。

 
これもそうだが、愛嬌がある。
 
 
お辞儀をしていて、顔を見せない福助人形もある。
 
 
 
笑う福助人形
 




つぎに古い時代のものを挙げよう。不気味な顔立ちの福助人形がある。
 





 

 


木像の福助人形





それで、最後に1人の福助人形作家を紹介したい。
現在71歳になられる、宮﨑工芸社宮﨑 隆さんである。福助人形を作りつづけて40年になる。
 

宮﨑さんの作品。
 各干支ごとに福助人形を作っている。全部の画像は存在しない。

 
 
 
 ネット上では、これだけしか見つからなかった。残念だが、仕方がない。
 
ということで、福助人形編はおしまい。
 

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