陸前高田の奇跡の一本松
改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。
世の中には、不幸な出来事が多い。そして、その事に対して、無力であった、もしくは適切な処置を出来なかった自分を見出す事も同様に多い。現役の頃は、それが人生というものだ、と割り切って深くは考えなかった。仕事が忙しかったためである。退職して時間ができると、深く考えるわけではないが、その不幸に寄り添うというか、先行き良かれと願い祈るしかない心境になってくる。
それで、腑に落ちたのが、定年後神社仏閣を巡るのが好きになったことである。 お賽銭、といっても10円から100円までだが、をあげお祈りをすると心が洗われるような気がする。家内安全しか祈ってないが、神というものが存在して人々を見守ってくださいと願うのだ。
ということで、今回は地元神戸の神社シリーズ。 自宅から散歩の距離にある、近場の神社を紹介したい。
護國神社である。 Wikipediaによる解説記事。
兵庫縣神戸護國神社 | |
---|---|
所在地 | 兵庫県神戸市灘区篠原北町4-5-1 |
位置 | 北緯34度43分18.8秒 東経135度13分28.5秒座標: 北緯34度43分18.8秒 東経135度13分28.5秒 |
主祭神 | 兵庫県東部ゆかりの英霊 |
社格等 | 内務大臣指定護国神社・別表神社 |
創建 | 昭和16年(1941年)6月 |
例祭 | 5月6日 |
主な神事 | みたま祭(7月第3土・日曜日) |
兵庫縣神戸護國神社(ひょうごけんこうべごこくじんじゃ)
兵庫県神戸市灘区にある神社(護国神社)である。兵庫県東部(丹波・摂津・淡路(十三市一郡))ゆかりの英霊53,257柱を祀る。
第2次世界大戦の最中に灘区王子町に社殿が造営されている。その後、
昭和20年(1945年)の戦災で社殿ほかを焼失し、昭和34年(1959年)11月、同区篠原北町の現在地に社殿を復興し、遷座した。
社碑 兵庫県神戸護国神社 とある。
Wikiの記事では、鳥居は現在存在しないと書いてあるが、実際は現在再建されて存在する。新しい大鳥居です。
護国神社由緒が書かれた石碑。
御由緒略記のパンプが、これである。(拡大すれば、読めます。)
御祭神は、兵庫県下の当神社管内出身戦没者5万余柱の英霊 である。第2次世界大戦で出兵し、戦死した兵士の霊を祀っている。
当時は一基しか写していなかったのでもう一基を追加でアップする。
境内の参拝である。
陸軍少年飛行兵顕彰碑
歩兵第百七十連隊 慰霊之碑
(歩兵第六連隊)
第14飛行団司令部、飛行第六十八、第七十戦隊 慰霊碑 雄渾
大戦殉難 北方異民族慰霊之碑
二ブヒ民族の戦闘姿
第二次世界大戦やその後のシベリア抑留で亡くなった、アイヌ民族ではない民族である、ウィルタ(オロッコ)やニブヒ(ギリヤーク)の人々を弔う碑である。
響 第5333部隊戦没者慰霊塔
拝殿
拝殿中。お賽銭を挙げたとはいえ、中を写すのは不謹慎であったかもしれぬ。
社務所 いつもは、写さないのだが今回は特別。
この神社は、桜の名所になっています。毎年花見に行ってますね。境内は、桜の木の下にゴザをひいた花見客で一杯になります。 蕾は膨らみかけていますが、まだこんな具合です。
満開時の写真です。
境内社である 末廣稲荷社。 三連の稲荷鳥居が鮮やかである。
社殿
これでおしまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿