この駅だが、30年前とあんまり変わっていないように思う。小さな駅です。
駅を降りてから、参道を登っていくのだが、最初に現れたのがこの石の鳥居。
日本最初笑門平和 萬霊殿とある。神社である。
神道大教院の流れをくむ神社。震災後に復興された小さい神社で、御祭神は沢山おられる。
神社の賽銭箱上に初穂米が置いてある。それがこの神社の特徴になっている。
神社のホームページより:
当社をご参拝の方のため、賽銭箱上に、ご祈祷した初穂米を置いております。
普通のお米と一緒に炊いて食べて頂ければ結構です。
お一人様ひとつづつお持ち下さい。(無料)
という事です。さらに詳しいことは、萬霊殿のホームページを見られたい。
やや寂れた商店街をぬけると、黒塗り金箔の「日本第一 清荒神」と書かれた額のかかった鳥居前にでる。この鳥居が清荒神参道の入り口になる。
清荒神は、火の神・台所の神様、荒神さんとして有名である。かまどの神さんです。
参道案内図
案内図のような山道を通って清澄寺へと至るのである。お寺までは、結構な距離がある。
ここで、Wikipediaによる清荒神のお勉強。
清荒神清澄寺 | |
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拝殿前から本堂、鉄斎美術館(奥)を望む | |
所在地 | 兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地 |
位置 | 北緯34度49分19.7秒 東経135度21分09.3秒座標: 北緯34度49分19.7秒 東経135度21分09.3秒 |
山号 | 蓬莱山 |
宗派 | 真言三宝宗(大本山) |
本尊 | 大日如来(重要文化財) |
創建年 | 寛平8年(896年) |
開基 | 静観僧正、宇多天皇(勅願) |
別称 | 清荒神 |
札所等 | 真言宗十八本山 第3番 摂津国八十八箇所 第72番 神仏霊場巡拝の道 第79番 西国七福神 |
文化財 | 木造大日如来坐像(重要文化財) |
清荒神清澄寺(きよしこうじん せいちょうじ)
兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の寺院(大本山)。摂津国八十八箇所第72番。
896年(寛平8年)に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により建てられた。本尊は大日如来。鎮守社として三宝荒神社があり、竃の神の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称がある。
開創の際、荒神がお姿を現されたと伝えられる。この霊験の報告を受けた宇多天皇は大変感銘され、「日本第一清荒神」の称号を下賜された。
当時は何の知識もないので、神社とお寺の取り合わせに違和感はなかったが、今回行ってみると
神仏習合の混ざり合いが奇妙で、参道を歩いていると実際に神社だかお寺だか解らなくなる。(お寺です。)
参道脇に、このような小さな鳥居と祠が祀られてある。額には、豊山稲荷大明神とある。
参道の上を高速道路の橋桁が走っている。厳かな参道の雰囲気ぶち壊しですね。
暫く歩くと、このような大きな常夜灯がある。
お寺まであと190mのところにある垂れ幕。中途半端な距離ですね。この写真を撮ったのは、さんぽ龍が居たため。参道は、くねくねしているので龍の身体に見立てて、それに因んでこのゆるキャラが生まれたそうである。
さんぽ龍
紹介記事を引用すると、宝塚清荒神の専属ゆるキャラで、
決して凶暴なわけではなく、さんぽ龍にかみつかれると、頭がよくなる、幸せになる、などのラッキーが訪れるといわれています。
普段は清荒神の山深くに住んでいて、時折、機嫌のいい時は参道をふらついているらしい・・・。
しかし、イベントのような人が集まる場所にくると人々に福を授けるべく、やたらハイテンションで噛みつきまくります。
という事らしい。なまはげの変形バージョンですな。
その紹介動画というより漫才(好みの違いがあるので、見ない方が良いかもしれぬ。)
縁日には、お寺の前にこのような出店が並ぶ。その記憶はあったのだが、全ての店は閉められていた。
これが、清澄寺の山門。山門は閉まっていたが、大門横の小門は開いていた。
境内の案内図
見やすい案内図はこれ。
境内は広くて、沢山の立派な建造物がある。
- 山門 - 1891年築
- 眷属堂 - 布袋尊安置
- 本堂(本堂・霊牌堂と練行堂)
- 天堂
- 護法堂
- 護牛神堂
- 宝稲荷社
- 一願地蔵尊
- 龍王堂
- 荒神影向の榊
- 火箸納所
- 右崖庵
- 練行堂
- 池苑 - 池泉回遊式庭園、江戸時代初期
- 聖光殿
- 龍王滝
- 眼神祠
- 宝蔵
- 鐘楼
- 庫裏
- 鉄斎美術館
鳥居と布袋さまの像に奥が本堂である。お寺なのだが、神社の雰囲気もたっぷりある。
拝殿
霊牌堂
鐘楼
神変大菩薩として、役の小角が祀られていた。
網で見えにくいが、役の小角の像である。
役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの)
飛鳥時代から奈良時代の呪術者。
舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年(701年) 6月7日伝 | |
役行者像(五流尊瀧院)
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幼名 | 小角、金杵麿 |
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諡号 | 神変大菩薩 |
尊称 | 役行者、役優婆塞 |
生地 | 大和国葛城上郡茅原村 (現奈良県御所市) |
宗派 | 修験道 |
その行者としてのシンボルである錫杖が飾られている。
護法堂
護法堂から、このような石段を登って本堂に周りこむことができる。
その途中に祀られている、宝稲荷大明神の社。
池苑 池泉回遊式庭園で、江戸時代初期のもの。奥に見えるのが、資料館。
本堂
一願地蔵尊
お願いはただ一つ。欲張ってはいけません。
拝観時間を過ぎていて、鉄斎美術館には入れなかった。30年ぶりに行きたかったのだが残念。
しかし、画像を探すことはできる。次の機会には鉄斎の絵を見にいこうと思っている。
資料館
入館無料だが、やはり拝観時間が過ぎていた。
修行大師(空海)像
立派で落ち着いた感じのお寺です。参拝客の少ない時期に行くのがベストかもしれぬ。
かくして、清澄寺のお参りをおえ、帰途につくのであった。
今回はこれでおしまい。
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