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2015年7月21日火曜日

村上帝社と関守稲荷神社

恒例の神戸の神社仏閣案内シリーズです。今回はマイナーな小さな二社。昨日垂水の帰りに寄った、村上帝社関守稲荷神社です。

特に取材に行ったわけではなく、JR須磨駅周辺で偶々見つけたという神社である。

村上帝社



村上帝社の赤鳥居と参道だが、惨憺たるものですな。お隣は、駐車場と民家です。奥は、山陽電鉄の陸橋。社や地蔵堂も見える。公明党党首のお顔も見えている。



念のため調べてみた。驚いたことに、Wikipediaに掲載されている。

村上帝社
祠
所在地兵庫県神戸市須磨区須磨浦通4
位置北緯34度38分38.3秒
東経135度6分52.4秒
主祭神村上天皇

村上帝社(むらかみていしゃ)

兵庫県神戸市須磨区にある神社である。村上天皇を祀る。

村上天皇も私にとっては馴染みがないので、調べてみた。同じく、Wikipediaより村上天皇の記事。


村上天皇
第62代天皇
村上天皇像(永平寺蔵)
在位期間
946年5月31日 - 967年7月5日
元号天慶
天暦
天徳
応和
康保
先代朱雀天皇
次代冷泉天皇

誕生926年7月14日
桂芳坊
崩御967年7月5日
清凉殿
陵所村上陵
御名成明
異称天暦帝
父親醍醐天皇
母親藤原穏子
中宮藤原安子
女御徽子女王
荘子女王
藤原述子
藤原芳子
更衣源計子 他多数
子女冷泉天皇
円融天皇 他多数
皇居平安宮
 
村上天皇(むらかみてんのう)、
(延長4年6月2日(926年7月14日) - 康保4年5月25日(967年7月5日))

平安時代中期の第62代天皇(在位:天慶9年4月28日(946年5月31日) - 康保4年5月25日(967年7月5日))。諱は成明(なりあきら)。
第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経の娘中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。

 
村上帝社の由緒

この神社の創建について、次のような伝承がある。
平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡って琵琶の奥義を極めたいと思い、都を出て、須磨まで来た。その夜、村上天皇梨壺女御の霊が現れ琵琶の奥義を伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、名器「獅子丸」を埋めて都に帰った。
この伝承を題材として能の「絃上」(玄象)が作られた。この伝承に基づき、土地の人が村上天皇を祀ったのが当社であると伝えられる。

藤原師長

イラスト




師長が琵琶を埋めたという琵琶塚前方後円墳で、現在は一部面影をのこすものの山陽電鉄本線の線路によって二分されている。

元古墳の一部でした。電鉄は通るし、マンションは建つわで、敷地が小さくなり、それで写真のように貧弱だったのだ。

線路向かいにある、琵琶塚碑。マンションの前に設置。誰が気付くであろうか。



境内だが、小さな公園のようになっている。石鳥居と村上帝社の石碑。


村上帝社の由緒を記した掲示板。藤原師長唐に琵琶留学しなかったので良かったというのも、変な話だね。謡曲自体を知らないので、意味不明にするしかない。


社  防犯カメラが目を光らせているそうです。


狛犬


社内社の正一位 天隆稲荷大明神
 そのお狐様


同じく、別の社だが名前は不明。しめ縄の掛かっている社。
 


なんでこんな所にあるのか、と訝しくおもう地蔵堂。一般には、お寺のテリトリーです。やっぱり神仏混淆のせいですかね。


言いたくはない結論・・・・・大して見るべきものはない。

 関守稲荷神社

村上帝社から、5分位山側に上ったところにある。 これまた、小さな神社です。

神社の石碑とご神木の楠


全く不十分な記事だが、Wikipedia にも記載がある。

関守稲荷神社
Kobe-sekimoriinari.JPG
所在地兵庫県神戸市須磨区関守町1-3
位置北緯34度38分41.4秒
東経135度6分48.03秒
主祭神稲倉魂神
関守稲荷神社(せきもりいなりじんじゃ)

兵庫県神戸市須磨区にある神社。祭神は稲倉魂神

稲倉魂神(イナクラシコノカミ)

名前の由来は、源兼昌が詠んだ百人一首のうちの一首に登場する須磨の関があったとされる場所に神社を建てたことから来ている。

源 兼昌(みなもと の かねまさ、生没年不詳)

平安時代中期から後期にかけての歌人・官人。宇多源氏で、美濃介・源俊輔の子。子に昌快、前斎院尾張がいる。官位は従五位下・皇后宮少進。  (by Wikipedia)


 
小倉百人一首の読み札に描かれた源兼昌の肖像

その歌碑


あはぢしま かよふちどりの鳴く声に いくよねざめぬ 須磨のせきもり   兼昌

有名な、歌ですね。カルタ取りで、よく耳にしました。

須磨観光協会のホームぺ-ジの記事:

須磨の関は、大宝令に定められている摂津の関のことで、海陸を兼ねた関であったといわれています。 天下の三関、(「伊勢の鈴鹿の関」「美濃の不破の関」「越前の愛発(あらち)の関」)についで重要な関でした。
関守稲荷神社は、この関の守護神として、まつられたと伝えられ、境内に百人一首で知られる源兼昌の歌碑があります。
源氏物語」で光源氏が須磨に退居していた時、巳(み)の日祓(ひはらい)をしたところをここになぞらえ「巳の日稲荷」ともいわれています。

藤原俊成の歌碑もある。

聞き渡る 関の中にも 須磨の関 名をとどめける 波の音かな   俊成

藤原俊成像


須磨の関を歌った古歌は沢山ある。それらを記載した掲示板。


須磨の関の由来が記載されている。須磨の関がどこにあったか、正確にはわからんと書いてある。関屋跡の石碑は出土している。



これである。  「関屋跡」石標

 


お狐様

社の拡大写真。真新しい社です。


古い社

社と言うより、ミニチュア。

 ということで、この神社も見ごたえはありません。残念がつづきました。

神社見学を終えて、JR須磨駅に戻る。以下おまけの写真集。

台風一過、海水浴の季節になった。午後6時近くだったが、海水浴客はまだ沢山いた。2階の駅舎から、その様子を写してみたのだ。

駅前にある海の家KURONBOWの看板が見えますね。


波止の様子。

泳ぐより、砂浜で遊んでいる人が多い。


海上には、ヨットなどが浮かんでおりました。


沖には、タンカーが見える。

 
海中に浮かんでいるのが、須磨海釣り公園。
 
この施設

これで、今回はおしまい。

明日から鳴門方面に取材旅行のため、3日ほどブログは休載する。

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