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2015年7月8日水曜日

教育の質の劣化を招く国立大改革

社会に役立っているとは言い難い退職した爺さんである故、政府の方針とかには意見は持っても、発言は控えようと思ってきた。
それで、このブログ記事にはめったに政府に対する批判記事は書いていない。

さて、先日ハイキングに行って、某国立教育大のIさんの嘆きを伺った。現役のご苦労話であるが、その中に無意味な(あくどいとさえ言える)文科省の方針があった。菊水山 ハイキング

一般の方は気が付かれていないと思うが、文部科学省は全国の国立大学に対し、教員養成系人文社会科学系の学部を縮小し、社会的要請の高い分野への転換を図るように、組織改編を求めている。

文科省に財布を握られている、各大学はその要請に応じざるをえない。

Iさんの大学でも、実際に講座編成や人員の大幅縮小などが迫られている。差し当たっては、大学院の縮小から解消を狙ってくるだろうね。

言うまでもないことだが、質の高い教育を担え得るには、その素養が必要で学部のみでは不十分で大学院の教育は必須である。この事は、工学系でいうと、修士課程まで進まないと研究開発のレベルに達しないので、修士卒業が殆ど必須になっていることでも了解される。

この縮小政策は、時代の要請に逆行している。現実は、人材を教育するための人材が少なすぎるのです。

そして、その教育者を精神的に支えるのは、理工系的知識ではなく、文系のいわば世界観を構成するための基礎的な素養である。そのバックボーンとなるのが、人文社会科学系の学問である。

読売新聞の「編集手帳」の意見を引用する。

<学問の世界でいえば、文学部はさしずめコントラバスに当たる。理工系のように経済成長の主旋律を奏でることはない。それでも古典や哲学、歴史の探究を通じて学問全体の重さと幅を支えいてきたのは確かだろう。・・・・ ”全日本アカデミック交響楽団”の深みのある演奏を促す名案とは思えない>

と比較的柔らかに抗議している。

実際に、理工系方面でも偉大な業績を挙げた人たちは、殆どすべてが古典の素養を持っている。ノーベル賞受賞者の多いイギリス人は、シェークスピアに常に親しんでいる。文学的素養の深さが、理工的な知識の裏打ちを与えている。

湯川秀樹にしても、彼の理論物理学の思想は殆ど哲学的と言ってよい。多変数関数論の岡潔にしても、その数学の根本を支えているのは紛れもない哲学である。問題や物事は多方面から見ないと、真の解決には至らないのだ。

人文分野の学問は、学者や一部研究者だけのためと考えるのは間違っている。文学や社会学そして、広く文化や教養は万人のためのものです。文科省の指針のように、役に立つかどうかで基準判断すべきものではない。

大学は、実学のみで成り立っているのではないのだ。それは、歴史が示しているし、大学の存在意義は時の政府に仕えることでは決してない。

文科省の方針は、自分で考えることをしない、上からの命令に答えるだけの、判断力の伴わない人間を生産する事でないか。その方が、時世の流れとかマスコミを通じて政府の意向に従う、容易に操作できる人間を増やせるからだ。

私には、時代逆行のみならず亡国の政策だと思う。このような政策は止めてもらいたい。以前も書いたが、全ての学部教官の数を倍増してほしい。これは、能力ある若手研究者を救う手立てでもある。

現在も、教授だけが任期なしで、殆どの若手准教授や助教が任期制である。その上、若手研究者の就職口をへらすなどは、言語同断の仕打ちである。

年を取った教官を全て首にするのは無理だが、無能な年寄り教官は減らすべきである。実績もなく、高給をとっている65歳以上の老人教授は結構な数になっている。伝聞きだが、ある私学では、3割以上にのぼっている。給与は半減させても生活には支障がないと思えるので、その分を若手の給与にまわすべきだ。

息子が小学校の教師をやっていることもあり、教員養成系の学部の縮小はとても他人事とは思えぬ。

実際は教師不足なのだ。現在の小学校や中学校の教育現場を見ればそれは如実です。先生方は、業務の過多に喘いでいる。

教員1人当たりの生徒数が問題なのではない。文科省のいつものトリックで、1クラスの数は欧米諸国なみであるが、その先生1人当たりの業務量は半端なく多い。

教育内容(授業時間)だけではない。小中学校は、教えて終わりではない。生徒の情操教育がもっとも大切なのである。個性のある生徒1人1人に親身になって対応する時間が必要であるにも拘わらず、圧倒的に少なくなっている。

教員を倍増することが無理ならば、教員のサポートをする準教員の充実が必要なのでないか。給与の差を減らして、准教員(勿論教育大卒)を常任として雇えばいいのである。こんなのは、予算があれば可能である。

給与もそうだが、先生方にこの職業が天職だと感じさせるような環境を整えるべきである。校内業務(雑用)と、クレーマー対策(こんなのは専門の資格を持った弁護士にやらせると良い)に神経をすり減らすなどは、もっての他である。

このような業務削減にこそお金を使うべきだ。

教えたり、一緒に遊んだりして、生徒に親しまれ、そして尊敬されるような先生が増えるのを、誰もが望んでいるのである。

これは、教員養成系人文社会科学系の学部だけではない。過去、理工系でも同様の仕打ちを受けてきている。

独立法人化以降、文科省は箍の外れた如く、理工系学部に対して無意味な業績主義を押し付けてきた。短期成果を出さんと金(研究費)をやらんという脅迫である。

研究とはそんなもんではないと知りつつ、現場の研究者は研究よりも、研究して成果を出しているという報告書きに忙殺される。

文科省から頻繁に報告書を出せと言ってくるのである。その報告書を出さないと、研究費が回ってこないので、大学幹部は必死である。

最近はどの大学も学外理事がいるので、その方の権力を増すためにも顔向けのできる業績報告は必要となる。

現在はお金がないと研究ができない時代になっていて、それだからこそ小保方事件などが起こってくる。これは、理研もそうだが政府の方針で、その政策の結果派手な研究成果がでたと宣伝したいがゆえである。ひいては役人の実績に繋がるからね。

須く役人は上の命令を聞いて、出世することしか考えていない。トップの人、局長だろうが、政府の幹部のご意向を受けて、自分たちに都合のよい様に大学の経営維持システムを改悪しようとしている。その点、京大は立派である。学長が優れているゆえだろう。

学問研究の自由などは放りっぱなしである。そして、大学幹部と対応する次官級の役人は偉そうな顔(金主方)をして、上に習えである。

国の根本は何か。有為な人材を育て、彼らの働きにより豊かな国を作り保持していくことである。

そのためには、何よりも良き教育が必要である。教養に富んだ知恵のある、理性的に諸国間の争いを主体的に解決していける国民である。

そのためにこそ、国民の税金を使うべきなのである。

なのに、もう無駄としか言いようのない地方の新高速道路整備や、今日の朝刊にあったが、新国立競技場建設に2520億円もの税金を使うのである。

大学1校の年間予算(人件費含む)は、神戸大でいうと221億(2009年度)である。トップ10に入っている。神戸大予算が10年分以上賄えるのである!

もっと弱小大学ならば、例えば友人のいる鳴門教育大ならば、たったの33・5億である。電卓で計算してみたが、75年分である。こんな1個の派手な建物を建てるためだけに使うである。

その上、やはり膨大な維持費が未来永劫かかるのである。かっての地方のおける箱もの行政の破綻を思い出して欲しい。

言っておくが、これは文科省の管轄である。文科省の文教政策は、既に倫理的に破綻していると言わざるをえない。

政治家の要請がないと、役人はこんな馬鹿なことは認めない。言わなくても良いかとは思ったが、決断してその政治家の名前をだすと、森喜朗である。あの宇和島水産高校のえひめ丸事故が起った時、ゴルフをしていた元首相である。安倍首相の後ろ盾の一人である。

こんな事がまかり通っているのだ。そんな金があるならば、むしろ逆に全国の地方国立大の予算を倍に、そして大学教官を倍増せよと言いたい。

もはやブラックアルバイト化している、若年研究者の非常勤講師を経済的にのみならず、常勤職員として救済する術を考えるべきである。

実際に文科省のかけてきている無意味な圧力について、Iさんからこのような話を伺った。教員になるためには、教員資格試験を受けねばならないが、最近になって妙な倫理試験が加わったそうである。

馬鹿な文科省役人がでっち上げた倫理試験で、全ての大学院生に課されていて、内容は聞くも馬鹿らしい、三択の自動車免許試験の類で、とても解きづらくしてある。

その学生は問題をクリアするのに5時間かかったそうである。研究や就職等で忙しい時に、全く無駄としか言いようのない時間を強制的に奪われたのである。

こんな馬鹿気たことを課している理由は解っている。文科省に間接的責任があるかもしれぬ小保方問題に対して、アリバイ証明をすることである。役人は自己保全のため、こんな事しか考えぬ。

私には今も動機が不明なのだが、自己顕示欲を業績主義の世界の下で満たそうとすれば、自己の研究(並みの研究者にとって)も、捏造の世界に入らざるをえないのだろうか?闇の世界である。文科省や理研の幹部に覚えめでたかった笹井さんの自殺は、その犠牲かね。

それと、これも Iさんから聞いたのだが、彼の学生さん達が、いわゆる名作を読んでいないのだ。恐らく最近の学生さんは、殆ど読んでいないのかもしれぬ。

明言しておきたいが、名作を読むことは人生の指針になりうる。 勿論娯楽にもなりえる。

精神的豊かさがないと、人生を充実して送ることはできない。本当は、人生には目的も意味もないのだが、充実して過ごすためには何らの精神的バックボーンが必要である。全てとは言わぬが、それを構成するのが名作の読書である。

ということで、私もIさんと同じく文学作品の名作を時間を見つけて読むことを学生諸君にお勧めしたい。

差し当たっては、どれからでも良いが下のリストの本を読んでみたらいかがでしょうか。若い人むきでないかと思われる。

1百年の孤独ガブリエル・ガルシア=マルケス
2失われた時を求めてマルセル・プルースト
3カラマーゾフの兄弟フョードル・M・ドストエフスキー
4ドン・キホーテミゲル・デ・セルバンテス
5フランツ・カフカ
6罪と罰フョードル・M・ドストエフスキー
7白鯨ハーマン・メルヴィル
8アンナ・カレーニナレフ・N・トルストイ
9審判フランツ・カフカ
10悪霊フョードル・M・ドストエフスキー
11嵐が丘エミリー・ブロンテ
12戦争と平和レフ・N・トルストイ
13ロリータウラジーミル・ナボコフ
14ユリシーズジェイムズ・ジョイス
15赤と黒スタンダール
16魔の山トーマス・マン
17異邦人アルベール・カミュ
18白痴フョードル・M・ドストエフスキー
19レ・ミゼラブルヴィクトル・ユゴー
20ハックルベリー・フィンの冒険マーク・トウェイン
21冷血トルーマン・カポーティ
22嘔吐ジャン=ポール・サルトル
23ボヴァリー夫人ギャスターヴ・フローベール
24夜の果てへの旅ルイ=フェルディナン・セリーヌ
25ガープの世界ジョン・アーヴィング
26グレート・ギャツビーF・スコット・フィッツジェラルド
27巨匠とマルガリータミハイル・A・ブルガーコフ
28パルムの僧院スタンダール
29千夜一夜物語-
30高慢と偏見ジェーン・オースティン
31トリストラム・シャンディロレンス・スターン
32ライ麦畑でつかまえてJ・D・サリンジャー
33ガリヴァー旅行記ジョナサン・スウィフト
34デイヴィッド・コパフィールドチャールズ・ディケンズ
35ブリキの太鼓ギュンター・グラス
36ジャン・クリストフロマン・ロラン
37響きと怒りウィリアム・フォークナー
38紅楼夢曹雪芹・高蘭墅
39チボー家の人々ロジェ・マルタン・デュ・ガール
40アレクサンドリア四重奏ロレンス・ダレル
41ホテル・ニューハンプシャージョン・アーヴィング
42存在の耐えられない軽さミラン・クンデラ
43モンテ・クリスト伯アレクサンドル・デュマ
44変身フランツ・カフカ
45冬の夜ひとりの旅人がイタロ・カルヴィーノ
46ジェーン・エアシャーロット・ブロンテ
47八月の光ウィリアム・フォークナー
48マルテの手記ライナー・マリーア・リルケ
49木のぼり男爵イタロ・カルヴィーノ
50日はまた昇るアーネスト・ヘミングウェイ




最後にもう一言。今の政府の方針は、明らかに右傾化への道を走っている。気付いている人には明確だが、そうでない人には解らぬようベールかけた形で行われている。安倍総理やその側近、若手の自民党議員の発言の真意を探ってみるべきである。戦争は決して起こしてはならないし、その芽には根気よく常に反対する姿勢を取り続けなければならぬ。平和な時代をつづける義務が我々にはある。

今回はこれでおしまい。久々に文字ばかりでしたね。

(追記:昨日の毎日新聞のオピニオン欄で、福岡県みやこ町の中原保(67)さんが、憲法23条の条項から国立大改革を批判しておられる。このような組織改編は、憲法23条で保障されている「学問の自由」を棄損するものでないかというご意見である。

(人文科学系学部の)卒業生の多くはサラリーマンなどになっている。だからと言ってその実績を踏まえ、社会的需要の高い人材を育てる学部に転換させようというのは乱暴ではないか。

と書かれている。その通りで、大学がすべき事ではない。企業がその教育を自前でなすべきなのだ。

憲法23条で学問の自由は保障されている。公権力や所属機関など外部からも干渉は許されないとされている。国旗掲揚や国歌斉唱をも要請する国立大改革は、戦前の滝川事件や天皇機関説などを想起させ、時代に逆行しているとしか思えない。

同感です。)

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