近い将来徴兵制が敷かれ、行きたくないものまで強制的に戦争に参加させられるやもしれぬ。日本を目標とするテロ行為は確実に増えるであろう。反対するものは、非国民という汚名を着せつつ、権力者は国を守るという名目で私腹をこやし、当人達は安全領域で守られている。過去の歴史を見ればそのことは一目瞭然である。
これからは一層、安倍政権が何を目論んでいるかを考え、そして見張り、おかしな事が起れば反対していかねばならぬと思う。
国家は国民の安全と平和そして幸せを守るためにある。国家を代表する政府は、その遂行のために存在する。その安全と平和を踏みにじるような政府の横暴は、国民が阻止せねばならない。
安保法案拒否の国民投票は無理なので、次期の選挙でその強い反対意志を示すべきと、私は考えている。そうすれば廃案も可能である。子供や孫が徴兵制で戦争に狩り出されたしないのを第一義に考えている。子供時代は、誰にとっても幸せであるべきなのだ。
と、日々の感想を書いてから、お気楽ブログ記事を始める。
もう亡くなって20年以上たつが、園山俊二の漫画は今も読み続けられている。先日古本屋で「ギャートルズ」を見かけて、懐かしくなり紹介したいと思った。若い世代の方は殆ど知らないと思うので、Wikipediaを利用して彼の人となりを説明する。
園山 俊二 この写真からも伺われるが、極めて人柄の良い漫画家でした。
園山 俊二
本名 同じ
生誕 1935年4月23日
島根県松江市
死没 1993年1月20日(満57歳没)
東京都
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1958年 - 1992年
ジャンル ナンセンス漫画、家庭漫画
代表作 がんばれゴンベ
ペエスケ
ギャートルズ
花の係長
さすらいのギャンブラー 他
受賞 第22回文藝春秋漫画賞
第6回日本漫画家協会賞特別賞
略歴:
1935 松江市に生まれる。
おりづる幼稚園、附属小中学校、新制松江高校(現在北高)を卒業。
1954 早稲田大学商学部入学。
1958 『がんばれゴンベ』(毎日小学生新聞)でデビュ−。
その後人気を博し、数多くの作品を世に送り出す。
1976 『ギャ−トルズ』などで第22回文芸春秋漫画賞受賞。
1977 『がんばれゴンベ』で日本漫画家協会特別賞受賞。
1992 6月27日『ペエスケ』連載3764回で最終回。
7月8日『がんばれゴンベ』連載9775で最終回。
1993 肝不全のため永眠(享年57歳)。
勲四等瑞宝賞を受賞。
Webさんいんのホームページに彼を知る、とても良い記事がある。それを紹介したい。 園山俊二
「おんちょ」と呼ばれた男の子
松江市出身の漫画家・園山俊二さんのこと彼の幼なじみであり義兄にもあたる信太内科医師に、個人の思い出について語っていただきながら、より身近に園山さんを知りたいと思います。
そのページから引用する。
1.子ども時代
家の前の四十間堀川で釣りをしたり、蓮で繁っていた城山内堀でとんぼ採りをしたり、クラスに3つしかないグロ−ブで草野球をしたり、戦中ということもあって松江全体を使って敵味方に別れた戦争ごっこをしたりしました。また、お父さんの大切な日本刀(もちろん真剣)をこっそり持ち出してチャンバラをしたこともあったそうです。
2.絵が好きな男の子
そんな園山さんに将来の大物ぶりを予想させるような工ピソ−ドがあります。
「園山が絵を描くことで感心したのは、初めて映画を見に行った時です。附中の1年か2年の頃一一あの頃は映画なんか余り見に行かなかった頃です一一『シーホーク』という海賊かなんかの外国映画を一緒に観に行って帰ってから、そのスト−リ−を漫画で全部描いたんですよ。うまいなと思ったんです。」
3.日本初のボーイス力ウトに入って
園山さんが中学生の頃は学校の授業で農業の時間がありました。その先生の影響を受けて、1年生の時にボーイス力ウトに人リました。「戦後初めてボーイス力ウトが出来たのが我々が中学1年の時なんです。最初は18人位で一緒にキャンピングに行ったりしました。園山の漫画の中によく自然やマンモスが出てくるのは、そういう経験が影響していると思います。」
4.早稲田漫研を創立。プロの道へ
園山さんは早稲田大学在学中に漫画研究会を創立し、活動。展覧会に『おとぎ動物園』を出品し、これが毎日新聞編集者に認められ、新聞連載のきっかけとなる。
「園山は大学卒業後、広告会社に就職したんですよ。
ところが初日の午後が終わって昼休みに食事を取りに出たら、そのまま戻らなかったんですよ。
その後『僕、漫画家になろうと思うんだけど・・・』と相談されて、私も含めて周りの皆も『止めとけよ』と反対したんです。
当時は漫画の世界というのは『のらくろ』のようにこども向けのイメージがあって今のように漫画が氾濫している時代じゃなかったから、それで飯が食えるなんて思ってなかったんです。」
5.結婚
漫画という難しく不安定な世界へ踏み出した園山さんでしたが、漫画家として順調に成長していく過程で、将来の良き伴侶となる奥様との出会いがありました。
「我々の結婚式の時、園山が友人代表で来たんですよ。その時、僕の一番下の妹と火花が散ったらしいんですよ。」その後2人はめでたく結ばれ、非常に仲の良い夫婦として評判でした。
奥様は園山さんの仕事のアシスタントを務めるほどだったそうですよ。
6.漫画家生活
「園山はアパートを借りて仕事場にしてたんですけど、ネタをひねり出すのが大変で、ネタに詰まると、よくアパートの部屋の中をウロウロと歩き回って頭を悩ませていたものです。
あいつの漫画は、甲子園・雪祭り、入院など体験がすべてなんです。いつも思い付いたことを書き留めるためのメモ帳を持ち歩いていたことが印象的ですね。」
「とにかく漫画について話すと園山さんは本当に嬉しそうでした。まるで子どものように、ケナされるとシュンとしてほめるられるとたちまち元気百倍になる。」(みつはしちかこ談)
いささか引用が多すぎたかもしれぬ。(もし著作権に問題があるならばご連絡ください。)
“園山さん素晴らしい漫画をありがとう”
これでおしまい。
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