老々介護というのは、する方もされる方も大きな負担である。今回は、されるほうはさて置いて、する方の苦労について極めて個人的な話をしたい。本当はこんな記事は書きたくなかったが、鬱屈が深まり気が変になりそうで、ある種の精神安定のために記録しておこうと思った。良い事も悪い事もその経緯を忘れてしまい、私には学習効果が見られぬ故である。
私の場合は、母親が食べること以外は何もできなくなっていて、室内を歩くことさえ手すりを持たないとできない。トイレにいくのも一苦労である。生活するための基本動作が怪しくなっている。
毎朝の訪問で、母親の家(隣)でTVを見乍ら朝食を一緒にとっていたが、その用意もできなくなった。コーヒーメーカーに入れる水さえ運べなくなっている。それで、用意や後かたづけ全般を担当するようになった。これは労働量としては全然大したことはなく、すぐに出来る仕事だが、毎日老いさらばえてゆく母親を見るのは、精神的には拷問に等しい。立ち上がることさえ難儀な様子をみるのは辛い。そして母親の私への依存度は一層高まっている。
かっては、着物をぬったり趣味の手芸で人形や色んな小間物を作っており、かなりの読書家でもあった気丈な母親はそこにはいない。自分のことは何でもできて、しっかり子供や孫の世話や気遣いのできる母親はいない。気遣いは今でもできるが、私や妹にのみ遠慮したものになっている。
頭のほうはしっかりしているので、耳が遠いとは言え、会話は可能である。朝の芸能の話題を提供したり、TVを見乍らの私の時事解説は聞いてくれる。ある程度は、理解しているようであるが、私と話すだけで満足するのだろう。
兎に角動けるようにと、理学療養士さんを介して運動をしてもらってはいるが、生来の運動嫌いで足腰は弱る一方である。それで結局は何もできないので、一日中ベッドでTVを見ている。不甲斐ないというか、以前の姿を思い出して、これでは生きてても意味がない、とすぐに思ってしまう私がおぞましい。私自身が意味のない存在になるのを極度に恐れているのだ。
母親は胃腸は非常に丈夫なので、ワイフの作る毎日の昼食兼夕食(運搬役は私)は殆ど残さずに食べてくれる。肉体的には、歩けない、手先を使えないことを除いては健康そのものである。現在93歳だが、食べられる限りは100歳くらいは充分に可能だろう。私より血液検査のデータは良好である。私以上に長生きするかもしれぬ。
父親が亡くなって以来朝食を一緒にしていたが、退職後は私に対する精神的依存が徐々に強くなり、一人で放っておくことができなくなった。特に手先が自由に動かせなくなったからはそうであった。それに、家でこけて怪我をしたり、具合が悪くなったりするのは、必ず私が旅行等で不在の時である。その後ひと悶着が起って(私が原因かもしれぬが)、精神的に非常に疲れる。私が常に隣の家にいないと不安なのだろう。
母親自身は自分のことで精一杯なので気づいていないのだが、それで私は鎖でがんじがらめに縛り付けられている。気兼ねしつつ「いつも世話になっているね」とは、言葉で言ってくれているのだが、私の仕事とか計画、やりたいことなどについては理解の外である。
それは当たり前で、ただ笑顔で傍にいてくれることを無意識に要求している。私は比較的忠実にその役割を演じているが、気分が落ち込み鬱状態になると気が狂いそうになる。機嫌良くいられないのだ。暗くなってしまう。家に帰っても、拷問をうけたあとの虚脱状態で、回復に時間がかかるのだ。母親が見知らぬ婆さんだったらどんなに楽かと思うのだ。
いつか態勢を整えて、本来の仕事に戻りたいと思いつつ、能力体力の低下といつまで続くか分からん介護で遂には何もできなくなるのでないかと思うと暗澹たる気持ちになる。
生来の小心者で気弱い(やさしいともいう)私には、親棄てはとてもできない。自由に自分勝手に振舞うことはできぬ。この状態をつづけるしかない。どうにもならんのである。66歳になった爺さんである息子としては、いまさら出家遁走はできない。
明るく生きていくのは大変難しいものだ。
まあそうは言っても、このブログを始めたきっかけが、その暗澹たる鬱状態を軽減するためであり、お蔭で神社仏閣めぐりやお祭りの取材記事を書く楽しみを得た訳なので、何事も悪い事ばかりではない。
それに、正真正銘の爺さんとしての役割もあるのだ。唯一の明るい話題かな。
先週の土曜日に王子の健民公園に孫の運動会を見に出かけた。昨年につづいてである。あれから1年経ち孫は3才となり、随分お喋りになりしっかりしました。
その運動会の写真。 2枚だけ。 近頃、個人を特定できないように上手く写真が撮れるようになりました。
入場門
セレモニーの行進式
孫の写真を文字通り山ほど撮りました。個人情報の保護のため、孫や息子夫婦の写真をアップするわけにいかない。ボカシを入れてもよくない。ワイフからキツク止められています。
その後、山の辺の道の取材に出かけた訳で、老々介護などと鬱陶しい記事を書いたが、客観的には無為な日々をそれなりに楽しんでいるのやもしれぬ。 今回はこれでおしまい。
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