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2015年11月23日月曜日

神戸中央区 北野天満神宮

今回は、神戸の神社シリーズで北野天満神宮の紹介。港の見える丘の神社として人気がある。何度か訪づれたことはあるが、取材のためとは云え、ゆっくりと境内を眺めたのは初めてであった。とても雰囲気の良い神社です。先週16日の事であったが、北野町の異人館巡りで立ち寄る観光客で一杯でした。外国人観光客も多数訪れている。実を申せば、中国人観光客ばかりでした。

北野天満神社の看板  由緒書も記されている。


天満宮なので、菅原道真を祀っているのだが、歴史は古く、平清盛が治承4年(1180年)6月に福原に遷都するにあたり、京都北野天満宮を勧請して祀ったと伝えられている。

鳥居    平清盛ゆかりの 神戸 北野天満神社 と書かれた看板が掛かっている。


鳥居石額 



ここでWikipediaによる解説を引用する。

北野天満神社
Kitano tenma jinja01 2816.jpg
所在地兵庫県神戸市中央区北野町3丁目12
位置北緯34度42分7.1秒
東経135度11分22.4秒
主祭神菅原道真
創建1180年(治承4年)
例祭4月25日


北野天満神社(きたのてんまんじんじゃ)

兵庫県神戸市中央区北野町に鎮座する神社。

えらく素っ気ない説明だが、つづいて歴史ではこう記されている。

歴史:

平清盛が治承4年(1180年)6月に福原に遷都するにあたり、禁裏守護・鬼門鎮護の神として京都の北野天満宮を勧請して祀ったと伝えられる。
異人館の密集地域で、神戸大空襲にも、阪神・淡路大震災にも本殿は耐えた。



運よく本殿の倒壊が免れたわけで、神のご加護があったせいである。

御祭神: 菅原道眞公



それでは、写真紹介に移ろう。

天満神社参道の石碑   鳥居横に建てられている。


この急な石段の道である。 登りきったところが、神社の境内であり港のみえる丘になっている。





鳥居のすぐ後ろにある狛犬二基  石段なので、下方向からの撮影。





石段を登りきったところにある常夜灯


境内前の鳥居

手水舎  

水かけ祈願の 叶い鯉 がいる。

本来は手水でありましたが、古から人々がそこで手を合わせることによって信仰が生まれました。 鯉に水をかけ祈願すると願いが叶うといわれています。とくに水を「鯉にかける」ところから「恋とかける」 つまり恋愛が成就するといわれ、現在では、水かけ祈願叶い鯉といわれています。

恋の信仰は、ダジャレから生まれる。と言ったら怒られるだろうね。

拝殿

現在、北野天満神社拝殿は舞台として舞の奉納や、人前挙式などが行なわれています。国際祭りなどの際には各国の民俗芸能が奉納されています。神戸市の重要伝統的建造物に指定されている。

前方より。

社務所  お隣が神官の住居になっているらしい。

ここから石段を数段上ると、本殿が見える。


本殿

本殿由緒板

 本殿奥




菅原道真公、すなわち天神様が祀られているのが本殿です。約260年前にご造営された本殿は、透塀、拝殿、鳥居、灯籠、石段とあわせ、昭和60年に神戸市の「伝統的建造物」として文化財に指定されています。


瓦ぶきなのに、よく地震で倒壊しなかったものです。奇跡に近いかもしれぬ。

神牛を祀る舎  


由緒:

北野天満神社に祀られている菅原道真公は845年、乙丑の年にご誕生になられました。
牛がお好きで、可愛がっておられたと言い伝えられています。903年、59才で配所でお亡くなりになられたとき、その遺言に従って鬼門にあたる宝満山の麓に埋葬しようとご遺骸を牛車にお乗せして来たところが、急に牛が臥せ、動かなくなりました。
それでここに葬ってほしいというのが道真公の思召しなのだろうとそこに葬りました。
そしてこの牛は道真公の思召しをうけた「御神牛」として崇められるようになったのです。


因みに私も丑年生まれである。菅原道真公の学識にあやかりたいものである。

願かけ所にも、白きご神牛がおられる。 黒牛と白牛とでペアになっている。恋愛成就と合格祈願の絵馬で一杯であった。


境内社の天高稲荷神社

朱鳥居



同じく境内社の水天宮

鳥居

社  お賽銭は賽銭箱に入れて、奥の神社も一緒に拝めるようになっている。


その奥にある、境内社の正一位薬照大明神。 お狐様も鎮座なされている。



 この神社の境内からの眺めは、神戸中心部の様子を良く映し出している。現在は、建物ばかりで港は見えない。



風見鶏の舘の屋根


そして、黄昏写真二葉。


これでおしまい。

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