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2015年12月13日日曜日

淡路人形の頭

引きつづき淡路人形浄瑠璃関連の記事。淡路人形座を訪れたとき、御多分にもれず私も淡路人形の姿、とくに変幻自在のに魅せられた。 淡路人形まつり


前回書きそびれたが、淡路人形浄瑠璃の歴史について簡単に述べる。淡路人形浄瑠璃資料館

淡路人形浄瑠璃

 淡路人形浄瑠璃は、江戸時代には徳島藩主の蜂須賀(はちすか)氏の保護もあって大いに繁栄し、18世紀前半の享保・元文(きょうほう・げんぶん)のころには淡路島に40 以上の人形座がありました。 しかしその後、しだいに減少し、現在、活動しているのは “淡路人形座” ただ1座になってしまいました。


淡路人形のおこり

 室町時代後期、西宮神社に仕えていた百太夫(ひゃくだゆう)という傀儡師(かいらいし・くぐつし)が淡路の三條村に来て、人形操りを教えたのが始まりだと伝えられています。

全国に広がった淡路人形

  淡路の人形座は、西日本を中心に全国各地を巡業して、浄瑠璃文化を普及し、人形芝居を根付かせました。各地に伝承される三人遣い人形芝居の多くは淡路系と考えられています。
  天竜川流域の長野県伊那地方では、江戸時代、淡路の人形遣いが住み着き人形芝居を教えました。岩手県盛岡市には、江戸時代の初めに淡路から移り、座本として活動した鈴江四郎兵衛座の人形や古文書が残っています。文楽座の始祖植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)も淡路の出身でした。


淡路人形座の舞台






淡路人形浄瑠璃の舞台は、面白かったのである。

それで、福良から帰ってきて、暇のある時に検索をして、その画像を何枚か収集した。調べてみると、その構造や操作法は奥深いものがある。色んな技術の積み重ねで、伝統の技が保たれている。

迂闊に深入りすると、記事を書くのに時間がかかり面倒なことになりそうである。関連情報の収集、そのコピペと編集だけだが、記事の形に纏めるには結構時間がかかるのだ。

日常の業務が積み重なり、かなりくたびれている現在の私にはかなりの負担になる。気散じの遊びで、へたばってはどうしようもないので、ここでは単に頭の画像の鑑賞のみにしたい。

本格的に淡路人形を鑑賞しようと思えば、上記の淡路人形浄瑠璃資料館を訪づれると良い。入場無料です。

資料館の様子。



それでは淡路人形の頭をご覧ください。




 


 


 
 
最後に、淡路ではないが、阿波の人形浄瑠璃の頭の製作者を紹介したい。
 
すたれゆく人形浄瑠璃、文楽を守ろうと、四国・徳島県の実家で人形の首づくりに孤軍奮闘しているのが、“デコ細工師”・甘利洋一郎(70)さん。
専門職人は、徳島県には「もう3、4人しかいない」という。
 
 
その作品
 
 
 
 


 

 
 
頭の裏側

製作用の鑿等の道具
 
甘利洋一郎さんのインタビュー動画。 人形の変幻の様子が見られます。
是非ご覧ください。
 
人形浄瑠璃、文楽の人形の首(デコ)を作り続けて40年
 
 
これでおしまい。

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