鶴澤友路師顕彰碑
淡路人形まつり
今回は、この鶴澤友路師を紹介したい。
師は、三味線師で人間国宝である。正確には、国指定重要無形文化財義太夫節保持者である。 以前から、パンフなどでお名前は存じあげていた。この道一筋のとても偉い方である。ご存命で、現在102歳であられる。
矍鑠とされたこのお方である。80代後半(?)のころのお写真。
鶴澤友路
鶴澤友路顕彰碑碑文
師 本名宮崎君子大正二年十二月九日三原郡福良町に生を享く 五才にして義太夫節を志し九才より文楽座野澤吉童師に師事し のち三味線宗家六代鶴澤友次郎師の内弟子となり研鑽 斯道の真髄を極む その卓越せる技芸は高く評価され 斯界の第一人者として活躍せらる
郷里にありては淡路人形座若手 さらに児童生徒を指導 多くの俊秀を育成し淡路人形浄瑠璃の振興に寄与せらる
師 傘寿に当たり つとに芸恩に浴せし者及び有志相集い顕彰碑を建立偉大なる功績を讃え永く後世に伝えんとす
阪神間にも多くの門弟を擁し 友路会は素義会の最高峰に位す
幾度か海外公演にも参画し 各国で絶賛を浴び 淡路人形の名声を博す 昭和六十一年くにの重要無形文化財保持者に認定を受く師 傘寿に当たり つとに芸恩に浴せし者及び有志相集い顕彰碑を建立偉大なる功績を讃え永く後世に伝えんとす
平成四年四月十一日
鶴澤友路顕彰碑建立委員会
淡路人形協会のウエッブサイトに鶴澤友路師の紹介記事がある。
それに従って、簡単に経歴を要約する。詳しい経歴や活動歴については、上のページを参照して下さい。
・本名は宮崎君子で、大正2年12月19日福良で生まれた。
・浄瑠璃好きの両親の影響を受け、早くから三味線に魅せられ、5歳の時、淡路人形浄瑠璃上村源之亟、市村六之丞、吉田傳次郎各座の巡業で舞台に出演した。
・大阪に出て野澤吉童師に入門、内弟子となる。竹本東広師、豊澤広助師などの指導を受ける。
・昭和11年、三味線界の宗家、鶴澤友次郎師の内弟子となり、その後は淡路と大阪を往来し修行に努め、竹本小仙師、野澤吉弥師、竹本染登師、鶴澤寛治郎師、竹本綱太夫師にも学ぶ。
・昭和16年、宗家から「もうお前に教えることはない」と友次郎師匠の一字を頂き、「鶴澤友路」を拝命した。
・昭和15年から福良の自宅でも内弟子をとって大勢の育成に努めた。現在までその総数は1000人以上にのぼる。
・昭和26年、大阪四ツ橋文楽座にて竹本三蝶の相三味線を務め、宝塚大劇場、京都南座、大阪旭座、三越劇場、東京国立劇場等で、当時第一人者の相三味線にも出演した。
・昭和28年、弟子の会「友路会」を結成以来、人形浄瑠璃部での後継者団体の指導や淡路人形座の若手座員の指導にも励み、多くの人材を育て、自らも出演して人気を博した。
・昭和47年には天皇皇后両陛下の御前で公演する。
・昭和49年、日本顕彰会の表彰を受ける。 淡路人形座は世界各国への海外公演を毎年のように行い、友路師匠もその殆どに参加し、外国人に多大の感銘を与えた。
・昭和59年、芸能団体半どんの会受賞、兵庫県文化賞受賞。
・昭和61年、重要無形文化財義太夫節保持者に認定。
・平成7年文化庁長官表彰、平成8年伝統文化ポーラ賞特賞を受賞。
・平成10年重要無形文化財義太夫節三味線保持者(人間国宝)に認定された。
師を知るに、弟子の言葉にまさるものはない。ということで、そのお弟子さんの竹本友喜美師匠のお言葉である。
「この上ない幸せ」
人間国宝の認定を世界中で最も喜び、最も当然の結果と感じているのは私に違いありません。
終戦直後の何もない時代から弟子として仕えさせていただき、厳しさの中に温かみのある指導をして下さいましたお師匠様には、常に感謝と尊敬の念を抱き続けております。
鮎原での修行時代、水汲みに行った河原で遊びに夢中になり、叱られたことのありましたが、真冬の夜半に目が覚めると師匠の三味線の音が聞こえ、「何事も一所懸命やれば出来ないことはない」という言葉の裏には、人知れず努力する姿があるということに子どもながらも感動したものです。
立派な師匠のお言葉であり、その指導を受け入れた優れた弟子の含蓄ある言葉です。
100歳を迎えた誕生日の記念写真を紹介したい。
淡路人形浄瑠璃資料館 百寿記念展にて。
信じられないことだが、102歳になった現在も弟子の指導をしているそうである。
これでおしまい。
こんにちは。初めまして。
返信削除毎年新年早々、友路会というお弟子さんの会の新年語り初めが催されています。
(公開で無料)
多分、来年も6日前後ではないでしょうか?!
会場は福良の淡路島海上ホテルです。当然、友路師匠も来られます。
語り初めの後は新年会をされています。