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2016年2月4日木曜日

加古川高御位山ハイキング I

今回は、Iさんのお誘いで連れて行って貰った、高御位山ハイキングの報告記事である。昨年の12月19日なのでわずか1月と少し前なのだが、随分日にちが経ったように思う。母の入院がこの後すぐに起ったので、記事にするのが随分遅れてしまった。

Iさんは、かっての教え子である古くからの友人で、現在は大阪教育大学の教授をされておられる。彼は仕事の忙しい折にも拘わらず、ときどきハイキングに誘ってくださる。本当に有難いことである。その記録は、楽しみながら記事にさせて頂いた。
菊水山 ハイキング  宝塚周辺ハイキングとグルメ 

私が神社巡りを趣味にしているのを知っており、今回は行程に神社を含むコースを選んでくださった。前回と同じく午後からの半日コースで、

 加古川駅 → 鹿島神社 → 高御位山(高御位神社) → 成井 → 宝殿駅  →加古川駅

であった。ハイキング後は、待望のふぐ料理である。

六甲山系の山は、割合良く登っているのだが加古川の山は初めてである。私自身が膝に不安があったので、杖を持参して出かけた。これは正解でした。随分と歩きやすかった。もう必須のアイテムですね。

 待ち合わせは、12時50分にJR加古川駅改札出口であった。実を申せば母の世話で多少疲れており、久しぶりのハイキングで気分転換がはかれると気分は浮き立っていた。

早めに自宅を出たので、加古川駅に着いたのは12時29分であった。駅ホームである。この新快速の車輛に乗ってきたのだ。


加古川駅の南出口。待ち合わせまでに時間があったので、駅周辺を探索してみた。


加古川には退職後何度も来ており、記事も幾つか書いているが、駅自体は意識の外であった。
加古川散歩  加古川線沿線遊歩  加古川 八幡神社 

加古川駅は2005年に高架駅となり、現在のような3面6線のホームをもつ近代的な駅に生まれ変わっている。高架駅になる前にも来たことがあるのだが、どんな駅だったか忘れてしまっている。それで30年前の駅を調べてみた。昭和58年当時の加古川駅の写真。加古川まつりの折のもの。現在の地方駅と同じ佇まいだね。


駅周辺のモニュメント紹介。 駅北側にある抽象像  水の記憶/ 源流 生方貴春 作。


 

加古川駅北口 こちらのほうは人通りは少ない。 
 


北側にあった円錐のモニュメント。何だろうと思って写しておいた。後で確かめる楽しみを取っておいたのである。


調べてみると簡単に判明。加古川市と姉妹都市提携している、ブラジルのマリンガ市にあるカテドラル(大聖堂)をイメージして作られたものだそうである。高さ12.4m、底部直径は3.5m、構造は鉄骨構造で、チタンパネル貼りということだ。実物はその10倍の高さを誇る。これである。
Catedoral de Maringá
高さは124mで、南アメリカで2番目、世界でも10番目の高さをほこるモニュメントである。


そうなのかと思ったところで、ハイキング日誌をつづける。

Iさんも時間前に来ていて、集合時間少し前に合流できた。12時50分という半端な時間にしたのは、1日に4本しかないバスの出発時間に合わすためであった。13時発だったので、10分余裕をみたわけだね。行程はIさんにお任せなので、スケジュールなどは考えずにお気楽なものである。

駅前バスターミナルで、鹿島神社行のバスに乗り込む。35分ほどで、北山バス停に到着。



のどかな田園風景が広がっている。 鹿島神社への大きなの看板がある。


 
これから鹿島神社へ向かうのだが、その途中にあった石材店の布袋様と石灯籠。見慣れているにも関わらず、福々しいお姿をみるとつい写真に撮ってしまう。


神社の入り口に掲示されてあった、北山-高御座山ハイキングコースの絵地図。
右端のコースを行くわけである。


鹿島神社の境内を抜けて、急坂を三つ越えて高御座山に至るコースである。

この場所が北山登山口になる。地元の人かハイキングに来た人なのかわからぬが、年配の方々が何人か集まって談笑していた。その方に高御座山への行く道を伺った。確認のためです。

ここで趣味の神社紹介を行う。脱線ばかりだが、それが面白いので仕方がない。

鹿島神社鳥居  真新しい。真っ赤な額に真っ白な鳥居というのは、日ノ本を象徴しているのである(と思っただけ)。


ずらりと左右に石灯籠のつづく参道。歩きやすいように中央に手すりが設置されている。以前はなかったが、年配者のために作られたらしい。確かに歩きやすいが、景観的には余りよろしくない。

 

ここで鹿島神社と近くにある鹿嶋神社の違いについて記しておく。私も誤解していたのだが、しまの漢字が違っていて、西側にある規模の大きな神社が鹿嶋神社であり、東側にあるのがこの鹿島神社である。区別をつけるため、北山鹿島神社とも記されている。こちらのほうは、Wikipediaによる記載のないマイナーな神社です。メジャーな方の鹿嶋神社へも参拝したいと思っております。

判明したことを記しておく。創建は江戸時代初期である正保2年(1645年)頃といわれている。一町あまりの神域は、姫路藩主(松平忠明)の寄進によるものとされる。創建者は、当部落の開拓者・小島(駒井)利兵衛。

その逸話:

ある夜、利兵衛の枕頭に白髪の翁があらわれ「この地の田子の池を中心として開拓すべし、そうすれば、村は栄えるであろう・・・」そう告げると姿を消した。不思議の思った利兵衛は、数名の仲間と開拓の鍬をふるった。
さらに、その年の秋に鹿島の神霊をお祀りせよとお告げを聞いた者があり、このことを藩主にお伝えすると藩主も驚き調査をすることになった。その調査中の時のことである。
突然、東の山より角には光り輝く玉を頂いた牡鹿牝鹿があらわれ、その玉を今の社の地に落とし、西の方に走り去り姿を消した。検使(調査官)から、この話を聞いた藩主は深く感動して鹿島神社を創建したと伝えられている。
以来、村には不思議なめでたいことがしばしばおこったとある。(詳細略)

ご祭神  武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ/たけみかづちのおおかみ)

雷神であって、剣の神である。 下の瓦版絵にもナマズに乗って剣を抜いている。



「地震のおかげで普請が増え、大工が儲けて大喜びしている」という、地震よけの歌にかこつけた風刺画(安政2年10月の瓦版)。ナマズを抑えるのは鹿島神ことタケミカヅチ


由緒舎


 
手水舎

拝殿  比較的に小さい社屋だが手入れはよく行き届いている。


拝殿正面とその前の二基の狛犬

境内の様子。奥に社務所がある。



神鹿のブロンズ像。見ての通り、おみくじが鹿の角にまでびっしり結びつけられている。

 
神鹿由来の記    
牡鹿雌鹿の二頭が現れ、牡鹿の角の上には玉を頂いていたとある。前述の通り。
この神事により、神の使いとされる。
 

香取神の祠   経津主神(ふつぬしのかみ)のことであり、武甕槌大神とペアの神。


高倉大明神鳥居
 


社のお狐様


趣味の神社案内はこれでおしまい。

鹿島神社を抜けて、登山道を登っていく。岩山で木はあまり生えていない。

ハイキングコースの地図。



急な坂道を登ってゆく。見た所、お椀のような岩山である。

眼下の景色。
 


この山系を播磨アルプスという。岩場の様子。
 

 
中継ぎ地点の鉄塔前で一休み。
 
 

ここから眼下に播磨湾を望む。手前に広がっているのは、姫路の市街地。


この場所は、展望ポイントになっていて、ご覧のように眺めが良い。


大きなため池が3か所あり、田園風景が広がっている。

明石方面の景色。


正面に見えているのが高御座山である。山頂まで細い道がつづいているのが見て取れる。


ここから下りとなる。先に進んでいるのが健脚のIさんである。真っ赤なジャンバーを着ていたのだが、それをリックに入れ目立たぬ服装になっている。


鉄塔横の大岩に到着する。


ここで、周辺の景色を楽しみながら一休み。Iさんから、研究のこととか教育論などを伺う。段々と研究状況は困難になるばかりのようである。教育指向重視の大学で研究実績を出していくのは並大抵ではない。私としては、同情してうなずくしかない。そればっかりだがね。

退職後のことも色々と考えておられるようだ。何らかの形で研究活動をつづける計画を持っておられる。趣味の数学研究もままならぬ私とは格段の違いである。

また、退職後も企業を立ち上げて活躍されている方の話も伺った。独自のFEMプログラムを作成して、制作現場に活用しているとのことで、基本が非線形方程式の数値解析になる。非線形効果の強いモデル(破壊力学モデル等)への適用に利便性があるという。面白そうなお話ではあるが、現在の私には理解も覚束ない。

退職後も活動的で立派な方は沢山いるのである。私はそうでないが、比較して自分を情けなく思わないようにしている。止むをえないのである。今は母の介護のために生きるのが第一義と考えている。そのためにも自己憐憫は避けるべきである。鬱が昂進するかもしれないしね。つい、つまんないことを書いてしまったが、消さないでおく。これも日々の感想だ。

大岩からの景色


空の雲と光る播磨灘  なかなかの絶景でした。写真としては、電線が無ければ良かったんだけどね。


そして高御座山頂上を目指すのである。


山頂付近にある、高御位山ハイキングコースの案内板。


山頂にある高御位神社への参道。石柱が続いている。Iさんは、ゆっくりと歩き遅れがちの私を辛抱して待っていてくれる。私に対する配慮である。申し訳ない。



ここで、Wikipedia による山情報。
    
高御位山
Takamikura1.jpg
標高304.2 m
所在地兵庫県加古川市,高砂市
位置北緯34度48分47秒
東経134度47分34秒
山系--
種類--

高御位山は、兵庫県加古川市と高砂市の市境に位置する山。標高304.2m。別名は播磨富士。東播磨丘陵地高御位山系の連峰は播磨アルプスと呼ばれることがある。

そうなのである。播磨富士と呼ばれる高御位山は標高こそ高くないが、姿の美しい山ということになっている。 

高御位神社の山頂拝殿。 狛犬二基も設えてあり、山頂の社としては立派である。


ここでまた趣味の神社紹介である。Wikipediaから部分引用。

高御位神社

岩場を磐座としており、高御位の名前も神座、磐座から転じたと考えられている。神社由緒によると、欽明天皇10年に創立し、昭和58年4月に火災焼失後、同年12月に再建されている。
天津神(高天原の神で固有名詞ではない)の命を受け、国造りのために大己貴命少彦名命が降臨した所とされている。

ご祭神:

大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

何度もアップしているので、画像は省略。 本殿は、下山した麓にある。

狛犬のアップ


宇迦の御魂之神  佐田彦之神  大宮能売神 の三神を祀る社。 真っ新のピカピカである。

因みに、宇迦の御魂之神 は、穀物の神様。 佐田彦之神 は、猿田彦の別名。 大宮能売神 は、アメノウズメのこと。

山頂にある祠。そこまで登っていないので、祀り神は不明。


 
高御座山山頂までの登ってきたという証拠写真。どこから見ても草臥れた爺さんである。


高御座神社由緒記

記事が長くなり、さらに電波状況が悪く文字変換にかなり時間がかかるようになった。予定外だが、今回はこれでおしまいにする。IIにつづく。

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