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2016年12月12日月曜日

淡路島 黄昏と夕暮れ風景

昨日ワイフと久しぶりに淡路島に出かけた。のんびりすることが目的だったので、取材写真を撮る積りは全く無かった。しかし帰り道夕日が余りに綺麗だったので、黄昏写真を撮ったのであった。

淡路島から鳴門、四国方面を望む景色である。





空の雲が刻々と変化する様子も見ごたえがある。



今、まさに日は沈まんとする。


空には月

夕暮れ模様


朧月夜

陸の港西淡の時計台


少ないけれども黄昏と夕暮れの写真はこれでおしまい。

2 件のコメント:

  1. 白砂青松の「慶の松原」。
    慶は変字のようで古くはケヒ、
    またお写真で夕陽がきれい(夕陽百選)な播磨灘も「ケヒの海」と言ったそうです。

    この「ケヒ」が何じゃらほい?
    淡路島は御食津国とされていた事から、ケヒは食糧の事とする解釈が現在は観光産業の観点から一般的ですが、
    熟考えたらケヒ、、、気比=吉備?!淡路島は吉備国の勢力、領土だった?
    あわせて和歌山の紀伊の国も、連動して考えたら公然と?吉備地域が有りますし、紀伊国は元来は気比国だった可能性が俄然高まりました。(紀伊(きひ)の国=気比の国)
    播磨灘をケヒの海と言ってしまうと瀬戸内海は吉備国の領海と成ってしまいます。
    古代の天皇家(桃太郎/亀)とその朝廷は正に吉備勢力(浦島太郎)に囲まれて四面楚歌状態?
    ただ、

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    1. 森岩松様
      私にとってはまたも新知識(元々地誌の知識皆無ですが)です。播磨灘が「ケヒの海」と呼ばれていて、「慶の松原」=「播磨灘に面する松原」とはね!またケヒ=気比=紀伊=吉備?で想像を逞しくして、古代朝廷の勢力分布まで考えが及ぶとは。大した考察ですね。でもただの次は何かしら?

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