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2016年12月14日水曜日

加西市 酒見寺

住吉神社に引き続いて酒見寺の紹介である。住吉神社のお隣にある。

寺碑  泉生山 酒見寺とある



桜門 立派な門構えである。江戸時代文政8年(1825年)に再建された。200年近い歴史を持つ。



ここでWikipedia様にお寺の基礎情報を教えて頂く。

酒見寺
Sagamiji02s3200.jpg
楼門から金堂を望む
所在地兵庫県加西市北条町北条1319
位置北緯34度56分8.5秒
東経134度49分46.5秒
座標: 北緯34度56分8.5秒 東経134度49分46.5秒
山号泉生山(せんしょうざん)
宗派高野山真言宗
本尊十一面観音
創建年(伝)天平17年(745年)
開基(伝)行基、聖武天皇(勅願)
札所等新西国三十三箇所29番
播磨西国三十三箇所16番
文化財多宝塔(重要文化財)
鐘楼・梵鐘(兵庫県文化財)


酒見寺(さがみじ、さがみでら)

兵庫県加西市にある高野山真言宗の仏教寺院。聖武天皇勅願寺。山号は泉生山(せんしょうざん)、本尊は十一面観世音菩薩、開基は行基とされる。


歴史:

天平17年(745年)、酒見明神(住吉神社)の神託を受けた行基聖武天皇に奏上し、寺号を酒見寺として開創したと伝わる。

行基聖武天



平安時代から毎年勅使の参詣が行われていた名刹は、2度全山を焼失している。
平治の乱での全山焼失(1159年)の際は二條院の勅により再建、天正年間(1573~92年)にも兵火で全山が焼失した。


平治の乱

その後、江戸時代に入り、姫路城主となった池田輝政が姫路城の守護寺に定めて援助を行う。
池田家の転封後は本多忠政の援助を受け、寛永年間(1624~43年)に幕府の命を受けた実相院降恵が再興した。


池田輝政 


本多忠政

さらに江戸幕府3代将軍徳川家光が朱印寺と定め、代々将軍から朱印状を下附されて隆盛するなど、これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた。


徳川家光



数々の殿様により手厚く保護されてきた由緒ある寺院なのです。

ご本尊は十一面観世音菩薩であるが、お寺の秘仏なので拝顔できない。このようなお姿のようです。



さて境内を見ていこう。

住吉神社との間には小さな池があり、石橋でつながっている。


桜門に掛けられている額  新西国第二十九番霊場とある。


その奥には大草履が掛けられている。

正面が金堂で、参道の両側には常夜灯が立ち並んでいる。


手水舎

地蔵堂


国指定重要文化財多宝塔

江戸時代 寛文二年(1662年)に建立。上重が桧皮葺、下重が本瓦葺であり、高さは15.4m。

 

屋根部分  見事な寄木の組み合わせですね。


 引聲堂(常行堂)   播州酒見念仏道場になっている。

慈母観音像


新観音堂と思えるがはっきりしない。


本堂


本堂前の金灯籠燭台

鐘楼  県指定の文化財である。 艶やかな屋根の造りですね。



本坊山門



本坊の入り口  住職さんの住居も兼ねているんだろうね。


庭内は手入れは行き届いていて綺麗に整えられている。

護摩堂


供養塚お地蔵様

境内には従軍記念碑もありました。

これでおしまい。

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