ページビューの合計

2016年12月27日火曜日

タイ国リアル旅行記 XXV

バンコク市内観光の最終回。と言っても今回は、レストランでのグルメ写真とバンコクのお勉強記事である。

その前に、前回の旅行記で書いた異様な姿のビルについての調査報告を述べたい。

このビルです。



実はこのビル、マハナコンという有名なビルでした。



マハナコンは、都心のど真ん中にあり、地上77階建て高さ314mと、タイで一番の高さを誇るビルです。

ブロックが崩れたような外観ですが、建設途中でなくこれで完成している。2016年8月29日に開業したそうである。


気になる欠けたような部分の拡大写真がこれ。へこんでいる部分だけでなく飛び出ている部分もある。


マハナコンの周辺は、高層ビルだらけ。

光りのショー(動画を見てください)でのマハナコン


マハナコンの高層部分は、高級住宅リッツ・カールトンレジデンス、低層部には、リッツカールトン系のホテルThe Bangkok Edition Hotelや小売店等が入居しています。

このように出窓みたいな外に出ている住居部分がある。こんな見晴らしの良い所で食事ができれば最高だろうね。


マハナコンでの光りのショー   是非この動画をご覧ください。


脱線は以上でおしまい。

旅行記をつづける。

ワット・アルンを(外側から)見おわってから、バスに乗りこみレストランに向かった。

ツインタワーズホテル内にあるレストランである。

ホテルの玄関口


垂れ幕が掛かっている。岐阜第一高校が修学旅行で宿泊している様だ。海外での修学旅行など、半世紀前の私の時代には考えられないことです。時代は変わりますね。

ホテルの外観



天井のシャンデリアが豪華



このレストランGOLD TEAKでバイキング料理である。


タイラーメン、お寿司、サラダや揚げ物や野菜の炒め物が自由に選べる。

私の選んだ料理 説明省略。 久々に寿司を食べられたのが嬉しかった。



勿論完食した。ビールはシンハ。美味でした。

ついで、バンコクのお勉強だが、これは架空旅行記ですでに済ませている。編集し直したものを再録しよう。   タイ国架空旅行記 I バンコック 


バンコクBangkok

タイ王国首都である。人口8,249,117人(2010年)、面積1568.737km²。都市圏人口は2016年時点で1500万人を超えており、世界有数の大都市圏を形成している。東南アジア屈指の世界都市でもある。

市内の名所


王宮

高層ビル群を背景としたルンピニー公園

バンコク中心部の高層ビル群


我々はこのツアーでは王宮周辺しか見ていない。もっと広い地域を見てみたいね。

歴史を繙いてみる。

アユタヤ王朝は、ビルマ軍により壊滅的に滅ぼされた。
タークシン王がビルマ軍によって滅んだタイ国を再建すると、廃墟となったアユタヤに見切りを付けて、1767年王朝の首都として建設されたのがトンブリー金都の意)である。

トンブリ-の地図   チャオプラヤー川の右岸に位置していた。



バンコクの歴史は1782年、ラーマ1世タークシンを処刑しそれまでのトンブリーからチャオプラヤー川の対岸に首都を移したことに始まる。

ラーマ1世



タークシン




バンコクの建設は6月10日午前6時45分にラックムアン(市の柱)が建てられ始まった。3年後に建設が終了した。アユタヤと同じく王宮や関連施設を含む土地の周囲には運河が掘られラッタナーコーシン島と呼ばれる人工の島を形成した。この島の中には王に許された者のみ住むことが出来た。

ラッタナーコーシン島の運河





建国当初はラッタナコーシン島のみがバンコクの中心として機能していたが、タイの経済発展と共に市街地は東へ延びていった。
またラーマ5世チュラーロンコーン)の時代にすでにラッタナコーシン島の王宮のみでは妻や子供を十分に収容することが出来ないため北にドゥシット宮殿群を建設している。チュラーロンコーンの子供はさらに北にバーンクンプロム宮殿スコータイタンマティベート宮殿などを建設している。

ラーマ5世



即位するとすぐに欧米に視察旅行をしてタイの立ち後れを実感し、チャクリー改革と呼ばれる数々の改革を行った。タイ三大王のうちの一人で今でも国民から人気が高く、肖像画が首飾りやポスターになったり、像が仏壇に置かれたりしている。


建設からラーマ5世時代までは、バンコクチャクリー王朝の王による直轄地であった。しかしラーマ5世の以降市街地が拡大を始めたため、チャクリー改革によって、バンコクは畿内省という機関の管轄に置かれることになった。

1972年には、拡大が進みノンタブリー県、サムットプラーカーン県、パトゥムターニー県がバンコクから分離。一方で1975年にはバンコクと経済的に密な関係にあったトンブリー県がバンコクに吸収されている。その間にもさらにバンコクの市街地の拡大が進んだ。

とくに1980年代にはタイ国内の投資が拡大し、タイの経済の中心であるバンコクも必然的に発展する事になった。バンコクは特に目立って教育が普及しリベラルな住民が増えたため内務省の直接統治が難しくなった。このため1985年に『仏暦2528年バンコク首都府行政組織法』が国会で成立。これ以降、住民に選ばれた知事による自治が行われている。

東京都のような統治形態になった。ちなみにバンコクは市ではなく、首都府になっている。

豆知識だが、バンコクの儀式的正式名称は世界一長くて、これである。

クルンテープマハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーアユタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラットラーチャターニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピーマンアワターンサティット・サッカタットティヤウィッサヌカムプラシット

意味:

イン神(インドラ、帝釈天)がウィッサヌカム神(ヴィシュヴァカルマン神)に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、イン神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都。

今回はこれでおしまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿