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2017年1月25日水曜日

神戸兵庫区 湊川神社

今回は神戸の神社シリーズ。以前記事にしたことのある湊川神社である。母の見舞いの際に再取材した。前の記事は今から見ると不十分に思えたのです。勿論厄払いの参拝も兼ねてです。  元町散歩 - - 湊川神社と中央図書館
ついでだが、関連事項として湊川神社楠正成公銅像も見て欲しい。 神戸兵庫区 湊川公園 

湊川神社の改訂版で、前回の写真も利用して神社紹介したい。

社碑  立派な社碑で高さ5mほどある。




表神門   荘重な造りの立派な御門である。 参道を通して本殿まで見渡せる。




この神社は、神戸市民ならは誰でも知っているが、楠木正成を祭っている神社である。 我々は なんこう楠公)さんと呼んでいる。

まづWikipediaから簡単に説明を受ける。

湊川神社

湊川神社
Minatogawa Jinja(the front of the main shrine).jpg
本殿正面
所在地兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目1番1号
位置北緯34度40分53.5秒
東経135度10分32.0秒
座標: 北緯34度40分53.5秒 東経135度10分32.0秒
主祭神楠木正成
社格別格官幣社・別表神社
創建明治5年(1872年)
札所等神仏霊場巡拝の道70番(兵庫5番)
例祭7月12日


湊川神社(みなとがわじんじゃ)

兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目にある楠木正成を祭る神社。地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれている。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。


ご祭神:
  • 主祭神:贈正一位橘朝臣(楠木)正成公

Kusunoki Masashige.jpg楠木正成
配祀神
  • 贈従二位楠木正行卿
楠木正行像.JPG
楠木正行石像(大阪府大東市飯盛山)
  • 贈正三位楠木正季卿

「七生まで只同じ人間に生れて、朝敵を滅さばやとこそ存候ヘ」(太平記より)
  • 菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命
  • 箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命
  • 和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命
  • 冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
  • 宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命
  • 南江正忠命
以上の16名は楠正成一族であり、太平記では自刃したと言われる。

本殿には摂社甘南備神社の祭神も祀られている。

  • 本殿合祀:摂社甘南備神社
ご祭神

大楠公御夫人滋子刀自命

画像は見つからず。

由緒:

楠木正成は、延元元年(1336年)5月25日、湊川の地足利尊氏と戦い殉節した(湊川の戦い)。その墓は長らく荒廃していたが、元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立した。以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬された。

幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり、彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至った。1867年(慶応3年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)、墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め、明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建された。

創建は明治初年以来なので、歴史的には浅い神社といえる。かっては、紀元祭が行われたとあるが、2年前訪れた日は建国記念日であったが、何も催し物はなかった。

境内を紹介する前に表神門脇にある大楠公墓所を写真紹介する。
墓所の横に立て看板が置かれている。そこには吉田松陰楠公を崇拝しており、それを門下生に伝え、幕末の志士たちに多大の影響を与えたことが説明されている。


大楠公御墓所の山門


墓所の参道  石灯篭が並んでいる。


手水舎

掲示板があり、徳川光圀公大日本史の編纂を通じて楠木正成を景仰するようになり、「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立したとある。



嗚呼忠臣楠子之墓」の拓本


徳川光圀公御像


楠公を顕彰する常夜灯

楠公墓所

祀られている「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑



境内の案内に入る。

神社の平面図。 縦長の敷地で、表神門から一直線に本殿に至る。
縁日には、この通りの両側に沢山の店が並ぶわけである。



宝物殿



 現在新春企画展が催されている。 


宝物殿横の大常夜灯


入り口付近に掲げられている大楠公御一代記の大看板

興味のある方はこのアルバムをご覧ください。大楠公ウエブリアルバム  



末社の楠本稲荷神社  稲荷鳥居が幾つも連続している。




鳥居を潜っていくと、その先に拝殿がある。

拝殿  

楠本稲荷神社社額   拝殿中には沢山の提灯が吊るされている。


本殿への扉は閉められており、ご本尊は拝めませんでした。


大鳥居  


大鳥居両脇の狛犬二基




参道横の常夜燈

手水舎

拝殿

拝殿をお守する狛犬二基




拝殿の内部

拝殿天井画  全国の著名画家が奉納したそうである。



社務所


社務所前の狛犬  陶器製です。


もう一基の狛犬

 開運巨大絵馬。今年は酉年です。


本殿横の祈祷殿


本殿右横奥にある楠木正成公戦没地の史跡碑 

 戦没地墓所


正成公はこの地でわずかな手勢をもって足利勢と戦い16度も合戦を繰り返すが最後に力尽きる。類い希なる軍略の才をもち、天皇に忠節を尽くして散っていった正成公には今でも多くの人に感銘を与えている。


末社菊水天満神社 拝殿のお隣にある。 


ご祭神菅原道真公で、そのシンボルである神牛が祀られている。



拝殿

拝殿横の狛犬二基


その奥に祀られtいる社が本殿になる(と思われる)。


本殿横の小振りの狛犬二基




東門


西門

最後に動画を2本紹介したい。1本目は、今年の初詣の動画である。


2017年初詣@湊川神社(楠公さん) First Visit to Shrine
お詣りに行ってきたような気になりました。

2本目は拝殿の天井画の動画。運よく今年の動画を見つけたので、是非ご覧になってください。

湊川神社 拝殿天井画 2017.01.03

正月3ヶ日のみの公開という事です。旅行していたので、実物を間近に見る機会を逸しました。

これでおしまい。

1 件のコメント:

  1. 湊川神社よりも本来なら裏手の所謂、楠寺さんこそ大切に為さるべき処。
    なんとなれば自刃なさられた皆様方を手厚く葬られ累代菩提を弔って来られたお寺ですから。
    ただ最近は世知辛いようで事情(¥に走って、、、楠公さんらがぞんざいに扱われている気が)がちと違うきもしますが、

    あと、ちまたでは余り有名ではありませんが、この湊川合戦の砌、最後の晩、主の楠木正成公から自念神仏の八幡大菩薩と菊一文字の小太刀(現在、国指定重要美術品(旧国宝))を託された吉川弥六らが夜陰に乗じて重包囲網、四面楚歌の死地を脱出して艱難辛苦の末に淡路島に落ち延び神祠に御神体と小太刀を納め隠棲したのが後に楠木村。更に現在の淡路市楠本地域。
    因みにそれに先立って同様に平家の落人も同処に来たっています(淡路花さじきには平家の供養碑が有ります)
    また、自刃の晩、陣より夜遅く迄盛んに念仏が聞こえて来たと伝わりますがそれはこの八幡大菩薩に対して(南無八幡大菩薩、、、)だったのかも知れません。


    それから約60年も過ぎて時世が平静となったので?先の楠本地域の神祠から現在の松帆神社、明治以前は幡山八幡宮に遷座して八幡宮を創建。
    1399年の事と伝わります。
    ところで、その真南一キロ程に伊勢久留麻神社(敏達天皇の御代の創建/1430有余年の式内社)が有りますが、
    楠本御一統に取って非常に重要な氏神(美具久留御魂神社(富田林市)と同じ久留麻神=大国主神/出雲大神荒魂)にあたる神様が祀られています。

    御一統が落ち延びて人心地ついてふとなにやら杜を見やれば何と、氏神様がいらっしゃるではないか?正に在り難き神の導きと落涙したでしょう。



    旧東浦町の大半と旧北淡町の小田仁井地域等の総氏神社として崇敬を集めています。
    同じような伝承が明石海峡大橋の袂の岩屋八幡宮にもあり、これは何か八幡宮創建に絡み仲間内で一悶着有った結果ではないかと愚考します。

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