治安は良くないと聞いていたので少し心配したが、結局事故にも盗難にも遭わず、数々の古代遺跡を見学できた楽しい、またたっぷりエジプト料理を味わった日々でした。現役時代と違って仕事が絡んでないので、心配事のない楽チンな旅ではありました。しかし、年齢のせいもあって行動が鈍くさく、さらに頭の回転が悪くなっているので小さな失敗だらけの旅でもありました。息子にそのミスを追求され落ち込んでしまうという情けない事もありましたが、ワイフのサポートは出来たので私としては満足できる旅行だと思っている。
それではエジプト写真旅行記を始める。エジプトに関する本とか映画とかは結構沢山見ているが、あらためてエジプトを説明せよと言われるとそれ程確かな知識がある訳でない。それで、いつもの如くWikipediaとガイドブック(地球の歩き方 エジプト 2014~15)を頼りにして勉強を兼ねての解説をする。
まづ Wikipedia からの概説
エジプト・アラブ共和国(エジプト・アラブきょうわこく、アラビア語: جمهورية مصر العربية)
通称エジプトは、中東・アフリカの共和国。首都はカイロ。
西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルと隣接し、北は地中海、東は紅海に面している。南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯(ナイル・デルタ)のほかは、国土の大部分が砂漠である。ナイル河口の東に地中海と紅海を結ぶスエズ運河がある。
首都、人口、面積等
公用語 | アラビア語 | ||||||||||||
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首都 | カイロ | ||||||||||||
最大の都市 | カイロ | ||||||||||||
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地図
人口は8200万で、アラブ一の大国である。首都カイロの人口は1600万人にのぼる。
地理には興味があるので、もう少し詳しく引用する。
地理
アフリカ北東隅に位置し、面積1,002,450平方キロメートルで世界で30番目の大きさである。
国土の90%は砂漠で、ナイル川の西側にはサハラ砂漠の一部である西部砂漠(リビア砂漠)、東側には紅海とスエズ湾に接する東部砂漠(シャルキーヤ砂漠)がある。シナイ半島の北部は砂漠、南部は山地になっており、エジプト最高峰のカテリーナ山 (2637m) や、旧約聖書でモーセが十戒をさずかったといわれるシナイ山 (2285m) がある。シナイ半島とナイル河谷との間はスエズ湾が大きく湾入して細くくびれており、ここがアフリカ大陸とユーラシア大陸の境目とされている。この細い部分は低地であるため、スエズ運河が建設され、紅海と地中海、ひいてはヨーロッパとアジアを結ぶ大動脈となっている。
ナイル川は南隣のスーダンで白ナイル川と青ナイル川が合流し、エジプト国内を南北1545kmにもわたって北上し、河口で広大なデルタを形成して地中海にそそぐ。
カイロ近辺で典型的な扇状三角州となるナイル・デルタは、地中海にむかって約250kmも広がっている。かつてはナイル川によって運ばれる土で、デルタ地域は国内で最も肥沃な土地だったが、アスワン・ハイ・ダムによってナイル川の水量が減少したため、地中海から逆に塩水が入りこむようになった。
ナイル河谷は、古くから下エジプトと上エジプトという、カイロを境にした2つの地域に分けられている。前者はデルタ地域をさし、後者はカイロから上流の谷をさしている。ナイル河谷は、世界でも最も人口密度の高い地域の一つである。
ナイル河谷以外にはほとんど人は住まず、わずかな人がオアシスに集まって住むのみである。
私達はナイル川をルクソールからアスワンまでクルーズをした。エジプト旅行の定番コースのようです。
歴史
大きく分けると次のようになる。
- 古代エジプト
- アケメネス朝ペルシア
- プトレマイオス王朝
- ローマ帝国
- イスラム王朝
- オスマン帝国
- ムハンマド・アリー朝
- イギリスの進出
- 独立・エジプト王国
- エジプト共和国
外務省の作った略史ではこのように書かれている。 地域大国としてのエジプト
その経過はエジプトの歴史として1から6までつぎのように纏められている。
■エジプトの歴史1:ペルシャ、ギリシャ、ローマによる支配の変遷
エジプトにおいては、様々な民族による混血が行われたため人種的な偏見はなく、国としてよくまとまっていると言われている。このエジプトの混血と多様性は、紀元前6世紀にペルシア帝国に征服されてから20世紀に至るまでの長い従属の歴史と深い関係があります。ペルシア帝国以後は、アレキサンダー大王の征服からクレオパトラで有名なプトレマイオス朝まで、ギリシア系の王朝による支配が続きます。紀元前1世紀にはローマ帝国領へ。7世紀にはアラブ・イスラム勢力がエジプトを征服。以後、エジプトのアラブ化、イスラム化が進みます。
エジプトにおいては、様々な民族による混血が行われたため人種的な偏見はなく、国としてよくまとまっていると言われている。このエジプトの混血と多様性は、紀元前6世紀にペルシア帝国に征服されてから20世紀に至るまでの長い従属の歴史と深い関係があります。ペルシア帝国以後は、アレキサンダー大王の征服からクレオパトラで有名なプトレマイオス朝まで、ギリシア系の王朝による支配が続きます。紀元前1世紀にはローマ帝国領へ。7世紀にはアラブ・イスラム勢力がエジプトを征服。以後、エジプトのアラブ化、イスラム化が進みます。
■エジプトの歴史2:奴隷がスルタンになる王朝
13世紀に入ると、マムルーク朝と呼ばれる、奴隷身分の軍人が支配者となる時代が始まりました。マムルークとは、中央アジアやカフカス(今のチェチェンやグルジアを含む地域)等からエジプトに連れてこられた白人奴隷のことです。この奴隷に軍人としての訓練を施すと、結果として能力のある者が台頭し、もっとも力のある者がスルタン(王)を倒して自らスルタンとなり、さらに別のマムルークにより倒され…という具合に、マムルークによる支配が続き、エジプトの混血はさらに進んでいきます。■エジプトの歴史3:スエズ運河とともに進むエジプトの近代化
16世紀からはオスマントルコの支配下に入り、19世紀にはオスマン帝国のエジプト総督であったムハンマド・アリの下で近代化が進められます。1869年にはフランスとともにスエズ運河を開通。しかし、エジプトは、王室の奢侈などの放漫財政によりイギリスの債権管理下に置かれることとなり、スエズへのイギリスの進出を招いてしまします。第一次世界大戦後に独立運動が活発化し、1922年にエジプト王国として独立しますが、スエズ運河地帯の駐兵権等は、依然としてイギリスが掌握したままでした。■エジプトの歴史4:イスラエル建国と中東戦争
1948年にイスラエルが独立を宣言すると、周辺のアラブ諸国はこれに反発。第一次中東戦争が起こります。エジプトは、イスラエルが国境を接している4か国(レバノン、シリア、ヨルダン、エジプト)のうちの一つであり、イスラエルの建国はエジプトにとって大問題でした。しかも、レバノンは1943年、シリアとヨルダンは1946年に独立した若い国家で、まだ十分に体制が整っているとは言えません。現在のアラブ連盟加盟22か国のうち、当時、国家として形成されていたのは、上記イスラエル周辺の4か国とイエメン、イラン、イラク、サウジアラビアを加えた8か国にすぎず、残りの14か国は独立前でした。このため、エジプトがアラブ諸国の中心となって戦わざるを得ない状況でした。結果は、アラブ諸国の敗北。■エジプトの歴史5:社会主義体制への移行とスエズ侵攻
第一次中東戦争の敗北もあり、1952年、エジプトはナセルによる軍事クーデターで王制から共和制に移行しました。大統領に就任したナセルは、アラブの統一を掲げ、ソ連の支持を受けて社会主義経済体制を構築し、1956年、スエズ運河を国有化します。スエズを管理下に置いていたイギリスとフランスがこれに反発。英仏軍はイスラエルとともにスエズに侵攻(第二次中東戦争)しますが、国連の即時停戦決議や米ソのエジプト支援声明を前にスエズより撤退しました。■エジプトの歴史6:イスラエルとの平和条約締結
その後エジプトは、アラブ民族の連帯を目指してシリアと合併し、アラブ連合共和国を成立させますが、シリアはほどなく離脱。1967年の第三次中東戦争ではイスラエル軍にシナイ半島を占拠される大敗北を喫しました。しかし、第四次中東戦争では、エジプトは緒戦で勝利を収めると、ソ連から離れてアメリカに接近し、1979年にアメリカの仲介により、エジプトはアラブ諸国として初めてイスラエルとの平和条約に調印しました。4度にわたる中東戦争の結果エジプトはイスラエルとの紛争状態を終結させたわけです。パレスチナとイスラエルとは歴史的な経緯があり、紛争終結には程遠いですね。
イスラエル パレスチナ問題
これでエジプトの概略は解かったことにしましょう。今回の旅行は、古代エジプトの遺跡を巡る旅で、エジプト史では紀元前3000年から1500年までの時代に当たる。
いつもの如く時系列で旅行記を記述する。
1月1日
朝7時にワイフとMKタクシーで関西空港に向かう。8時40分関西空港のターミナル1に到着する。ここで息子二人と合流する。
搭乗手続きカウンターの様子。丁度1年ぶりです。天井にモビールが掛けられていた。
このエジプト空港のデスクでチェックインを済ませる。我々は4人で、預けるバゲージは1つのみ。
乗客は日本人ばかりです。なぜならこの便は、成田までのチャーター便で全員がエジプト旅行の観光客でした。
構内のオメガ時計店の前に展示したあった宇宙服。この服で月面散歩した。これを見て漫画の宇宙兄弟を連想してしまった。
MS3001便でまづ成田まで飛ぶ。
搭乗機はこの機である。ジェットエンジン部が胴体に近いのでボーイング機と思われる。
頭部 タラップを昇ってエコノミー席である25Dに着席。一度ビジネスクラスに乗ってみたいものだが一生むるかもね。
全体像がわかりませんね。それで画像を調べました。
ついでに航空機情報もゲットした。やはりボーイング機でした。
13時に成田空港到着。一旦飛行機を降りて成田からの乗客を待つ。
搭乗ゲートから眺めた機体
このゲートからエジプト ルクソールに向かう。ここで便名はMS3002 に変わる。同じ機体なのにね。
これから飛行機に乗り込む爺さん。
15時間のフライトで現地時間22時にルクソール空港到着。その間映画を4本見たが、余り眠れず疲れました。日本映画は2本とも見たが面白くない。洋画は荒野の7人のリメイク版を見た。デンゼルワシントン主演。これはそこそこ面白かったがオリジナル程ではない。あとはピクサー社のアニメ。
ビザを取得してエジプトに入国。入国カウンターで取得するのは初めて。
ルクソール空港
この6番のバスでホテルに向かった。
25分ほどでソネスタセントジョージホテルに到着。
その玄関口
ロビーにあった植物を形どった置物。赤っぽい大理石であるアラバスター石で作られている。棗ヤシがモデルと思えるが不明。
ホテルの部屋
部屋の壁に掛けられていたパピルスに描かれたエジプト絵画
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