なお収集した画像の出所は明示しない。出所の画像の多くがパクリもしくは不正撮影と思われるからである。
王家の谷
王家の谷へは、ハトシェプスト女王葬祭殿から山を登りさらに谷を下っていくことでも到達できるらしい。その山道は遠くに見えていた。
山頂から王家の谷を眺めた画像 穴の開いている所がお墓への入り口。
いつもの様にWikipediaとガイドブックから基礎情報を収集する。
王家の谷
王家の谷(おうけのたに)
エジプト、テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある岩山の谷にある岩窟墓群のこと。
古代エジプトの新王国時代の王たちの墓が集中していることからこの名があり、24の王墓を含む64の墓が発見されている。西の谷と東の谷があり、東の谷に60、西の谷に4の墓がある。
新王国時代以前の王の墓の多くが盗掘にあっていたことから、トトメス1世によってはじめて自分の墓のありかを隠す目的でこの谷に初めて岩窟墓が建設された。その後の長い歴史の中で王家の谷にある墓の多くも盗掘を受けたが、1922年に発掘されたツタンカーメン(トゥトアンクアメン)王の墓は唯一未盗掘で、副葬品の財宝が完全な形で発見された。
墓にはKV1~KV64という名前がつけられている。KVはKings Valleyの頭字語、数値は発見順の連番である。ただし西の谷の墓はWVで始まり、WV22~WV25となっている。
墓の中での撮影は写真、ビデオとも禁止されている。外では可。
2014年、ミイラ約50体が埋葬された共同墓地が新たに発見された。
王家の墓の地図
我々はこれらの中
1)ラムセス4世
2)ラムセス9世
3)ツタンカーメン
4)ラムセス7世
の順で墓荒らし、もとい墓見学を行った。
盗掘はBC2000年頃から行われていたようだ。BC1100年にテーベの政府は盗掘団の摘発をおこない、その時の裁判の大規模な記録が残っている。一般人だけでなく墓所の管理役人も盗掘に加わっていた。
エジプト人が始めた盗掘は、ローマやビザンティンの皇帝たちに受け継がれてローマやコンスタンチノープルを飾り、さらにキリスト教の一派コプト教徒たちは神殿を教会として使い、神殿や墓所に住み着いた隠者や住民がレリーフや壁画を破損してしまった。
ツタンカーメンの墓は王家の谷の中でも最も規模が小さいが、1922年の発見はすばらしい品々を現代に残してくれた。たいした広さでない玄室の中に、あふれるばかりの宝物が入っていたことを考えると、他のファラオの墓にはどれほどの宝物が入っていたのか想像もつかない。
ツタンカーメンの墓も完成後すぐに盗掘にあっているが、盗人は内部を引っかきまわしわずかな宝を持ち去っただけだったようだ。その後墓地の番人たちによって盗賊に空けられたトンネルをふさぎ、再び封印し直した。
さらに百年後、近くにラムセスⅥ世の墓が築かれたので、その作業でツタンカーメン王墓の上には土砂や瓦礫がうず高く積まれ、そこに住居などができていた。それが今日まで盗掘を免れてきた原因らしい。
と言う事で、ツタンカーメンの墓の財宝が残されたのは奇跡的だといえる。
王家の墓の写真集 画質が悪い上に20枚で1000円なので高かったが、手元には資料がないので仕方がない。
左が王家の谷で、右は言わずとしれたツタンカーメンの黄金のマスク。
左側の写真が王家の谷の模型図と地下の墓の在りかを示している。
これから紹介する墓の入場チケット ホログラム付きである。
上から
王家の谷の墓(3墓まで入場できる。100エジプトポンド)
ツタンカーメンの墓(100エジプトポンド)
王妃の谷(50エジプトポンド)
ネフェルトアリの墓(1000エジプトポンド。 ヒェ~高い 日本円で約6000円!)
それでは見学した墓を順次調べながら(記憶が定かでないという理由で)見ていこう。
1)ラムセス4世
墓の構造
A B が入り口で D が玄室で E が石棺 である。下りの通路が玄室に1直線で向かっている。脇の通路はない。
入り口付近のヒエログリフ
またこのような色鮮やかな壁画が残っている。 購入した写真集より。
上の画像で楕円形に囲まれたヒエログリフがカルトゥーシュである。
カルトゥーシュ (cartouche)
古代エジプトで使われていたヒエログリフの文字(記号)の1つで、ファラオの名前を囲む曲線。古代エジプトではシェヌと呼ばれる文字であり、シェンを細長く伸ばしたものである。現在でも壁画などに描かれたファラオの名にカルトゥーシュを確認することができる。(by Wikipedia)
「死者の書」の壁画
天井に描かれたヌト神 「昼の書と夜の書」を表している。
ラムセス6世の墓にもヌト神が描かれている。そちらの画像はこれ。上部は夜で、下部が昼を表す。
玄室への入り口 下りになる。
玄室の入り口上部
玄室の壁画
以上写真集の物件を除いてパクってきた画像ばかりです。いささか気が射しますな。
2)ラムセス9世
ここには、「洞窟の書」があり、太陽が地下の洞窟(冥界)を通っていく様子と、冥界に住む神々の姿が描かれている。
と言う事になっているが、余りはっきりとは憶えていない。似たような壁画を沢山見たので、どこで何を見たのかゴッチャになって覚えられないのだ。老化のせいにしておこう。
写真集からの壁画。 上の1枚はハトホル神とクヌム神を乗せた船を描いている。
入り口にある、金色のコブラのレリーフ。 霊界の守護神である。
玄室への通路の壁に描かれた壁画
ラムセス9世の壁画 中央の人物
玄室の壁画
3)ツタンカーメン
墓の入り口の看板 ツタンカーメンの墓保存プロジェクト
墓の内部構造を示したパネル板
墓が発見された経緯を書く。
墓の発見 |
当時全く名前が知られていなかったツタンカーメンの存在を信じたイギリス人、ハワード・カーターがカーナボン卿の出資で発掘調査を開始。しかし、当初5年間は全く発見がなかった。
事業に失敗し、資金が不足してきたカーナボン卿は出資をやめることを申し出るが、カーターの熱意に折れ1シーズンだけ契約を延長することとなった。
最後のチャンスとなった発掘で、カーターは今まで掘られた事がなかったラムセス6世の墓の人夫小屋の跡を発掘を開始。
1922年、11月4日、発掘地点に地下へ続く階段が発見された。 この時点で発掘を中断、カーナボン卿を呼び寄せる。そして到着後、再発掘。ツタンカーメンの名前がある封鎖扉を発見した。その扉を壊し、中へ進むと、ほぼ未盗掘の素晴らしい宝物が現れた。
狭い墓にびっしりと収められた宝物は、ツタンカーメンが使った身の回りの物ほぼ全てが収められたと思われ、黄金の棺から、下着まである。
これら2000点にも及ぶ遺物は整理・分類に10年を要することになった。ほぼ全ての宝物は現在カイロ考古学博物館の2Fのほとんどのスペースを使って展示されている。 |
という事です。
ハワード・カーターがツタンカーメンの棺を取り出すシーンとそのミイラ。
黄金のマスクを清掃するカーターと黄金のマスク
以上写真集より。
ツタンカーメンの宝物については、後にカイロ考古学博物館の紹介の時に触れるが、その主なものを挙げる。
言わずと知れた黄金のマスク
金箔張りの厨子 4重になっている。
その中に黄金の棺があった。
アヌビス神
装飾品
それでは墓の内部の紹介。
玄室の壁画
現在ここにはレプリカの黄金の棺が置かれている。
歴代の王に比較して小さいお墓です。
4)ラムセス7世
王家の谷で最初に発見された墓である。
この墓も脇道のない直線形式になっていて、奥が玄室になっている。壁の装飾や壁画は充分ではなく未完成のままだったと記憶している。
壁画 20年以上前の写真ですね。この頃は撮影可能だったかもしれない。
おまけですが、鮮明な壁画を場所を特定せずにアップする。実はどこの壁画かを調べきれていないだけですが・・・。
せっかく1000円も支払ってので、写真集の残りも(実際は見ていないが)アップする。
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