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2017年1月27日金曜日

エジプト旅行記 XIV

前回の記事で間違いを犯してしまった。夕食において和食の追加を食べたとしたが、それは翌4日の朝食の写真であった。記事は直ちに修正しましたが、更新後すぐに読んで下さった方々にはお詫びいたします。

これは、4日の朝食の写真でした。毎回大食しているので、勘違いしたのです。こういう間違いをよく起こす。全くもってゴメンなさい。
朝食はビュッフェ形式だったので、この写真にある料理を選んだのでした。みそ汁、ごはん、卵焼き、ぬた、ナスの煮びたし、トマト、カリフラワー、ソーセージ、ジャガイモの煮っ転がし、オリーブなど。日本風にお箸で食べたのでした。


これだけなら大食漢と言われずにすむが、他にも食べたような気がする。忘れてしまったが・・・。

1月4日

目を覚ますと船はエドフの町に到着していた。朝7時前に朝食をすませる。上の写真です。

エドフの川岸  馬車が数珠つなぎで待機している。


クルーズの停泊所からナイル川を望む
 

7時半に船を下船。 馬車に乗ってホルス神殿に向かう予定。


待合場所での馬車の写真。 次々と馬車はやってくるのだが、指定された番号の馬車に乗らねばならないのだ。




左にいるガラぺーヤを着たエジプト人が乗車を差配するのだが、そう簡単に事は運ばない。馬車は順番を無視して客を運ぼうとする。


騎手がさぼって休んでいる馬車もあった。


ようやく一番最後にワイフと一緒に乗り込むことができた。前座席にはガイドさんがいるので心丈夫であった。

左側がガイドさん。馬車番号は192番。



馬車は神殿とクルーズ船の船着き場とを往復しているらしく、かなりのスピードで何台も途切れなく行き違う。


こんなスタイルで横座りしているご婦人もいた。ちょっと恐いですね。


まもなく民家でなく柵に囲まれた広い区域が現れる。


行き交う馬車

 10分足らずでホルス神殿前広場に到着。 この場所が観光客と馬車や三輪自動車のたまり場になっていて、帰り時には一杯になった。


左正面奥が入場チケット売り場。入場料は、60エジプトポンドで360円程なので安いですね。


ここで以前の旅行記で説明した、カルナック神殿ルクソール神殿、および今回以降紹介するホルス(エドフ)神殿コム・オンブ神殿の入場チケットの紹介をしておく。



上から
カルナック神殿(80エジプトポンド)
ルクソール神殿(60エジプトポンド)
ホルス(エドフ)神殿(60エジプトポンド)
コム・オンブ神殿(50エジプトポンド)


Wikipediaとガイドブックからホルス(エドフ)神殿の基礎知識を得よう。まづWikiよりの記事引用。ガイドブックでは、ホルス神殿と書かれているがWikiではエドフ神殿と書かれている。正確にはエドフにあるホルス神を祀る寺院である。ガイドさんはエドフ神殿と言っていたし、英語ではEdfu Templeと記されているので、エドフ神殿のほうを優先させる。


エドフ神殿
Temple of Edfu 02.jpg
エドフ神殿の入場口となる塔門
遺跡
種類神殿 (Temple)
所在地エジプトの旗 エジプト
アスワン県、エドフ
ノモス上エジプト、第2(州)
ヒエログリフ名
F18
D46
t
O49
(Bḥd.t)
祭神ホルス(主神)、ハトホル、ハルソムトス (Harsomtus)
歴史
時代ギリシア・ローマ時代
王朝プトレマイオス朝
着工紀元前237年8月23日
完成紀元前57年
建築
資材砂岩
高さ44 メートル(塔門東側)
137 メートル(塔門)


エドフ神殿(エドフしんでん、英語: Temple of Edfu

最高神ホルスアポロより、アポロノポリス・マグナ (Apollonopolis Magna) としてギリシア・ローマの時代に知られたエドフの町の、ナイル川西岸に位置する古代エジプトの神殿 (Egyptian temple)。エジプトで最も保存状態のよい神殿の1つである。

神殿発見の経緯

何世紀にもわたり、神殿は吹き積もる砂漠の砂やナイル川によって堆積した川の沈泥の層の下12メートルの深さに埋没することとなった。
1798年に、唯一神殿の塔門の上部が視認されたことで、神殿がフランスの遠征によって確認された。1860年には、フランスのエジプト学者のオギュスト・マリエットが、砂地からエドフ神殿を発掘、清掃する作業に着手した。



Mariette by Nadar, ca.1861

オギュスト・マリエット

エドフ神殿はほとんど無傷であり、古代エジプト神殿の非常によい例である。




砂の中から発掘したというのはロマンがありますね。



中庭、第1列柱室入口のホルス像


ハヤブサ神ホルスに捧げられたこの神殿は、エドフのホルス神殿として知られ、プトレマイオス朝時代(紀元前332-32年)の紀元前237年から57年にかけて建造された。


エドフ神殿の平面図


エドフ神殿の平面図

A. 塔門(パイロン、Pylon)
B. 出入口(Entrance door)
C. 周柱式中庭(Great Court、前庭、Forecourt)
D. 多柱室(第1列柱室、Hall of Columns)
E. 多柱室(第2列柱室、Second Hall)
F. 交差広間(奉納の間、Hall of the Altar)
G. 控室(中央の間、Hall of the Centre)
H. 至聖所(聖域、Sanctuary)
K. 礼拝室(保管室、Storerooms)

塔門南面図


歴史

エドフは、デンデラ、エスナ、コム・オンボ、フィラエを含むプトレマイオス朝時代に建造されたいくつかの神殿の1つであった。その規模は時代の相対的な隆盛を反映している。

現在の神殿プトレマイオス3世(紀元前246-221年)の統治時代に着手され、プトレマイオス12世(紀元前80-51年)のもと紀元前57年に完成した。


プトレマイオス3世を描く金貨


プトレマイオス12世

神殿のトピック


神殿の中心にある至聖所の内部

エドフ神殿の壁面のレリーフ

神殿の周柱式中庭、多柱室入口の正面西側


それでは、実際の写真見学を始めよう。

入ってすぐに高さ36mの第二塔門が見える。幅は136mである。カルナック神殿に次いで2番目の大きさを持つ。


正面に回り込むと、その壁面に巨大なレリーフの全体像が浮かび上がる。


レリーフは上写真で見るように左右対称になっている。神殿を完成させたのは、プトレマイオス12世であるが、レリーフの下段には彼がホルス神ハトホル女神の眼前で敵をやっつけてる場面が描かれているとされる。

左側がプトレマイオス12世で敵と戦うスタイル、中央がホルス神で、右端の幾分小さいのがハトホル女神である。 塔の上部にも小さ目だが神々や王のレリーフが二段に渡って刻まれている。実を言うと更に小さいレリーフがそれらの周りにも刻まれている。


因みに以前書いた記事より二神をカラーで引用する。古代エジプトの神々

ホルス神




ハトホル女神


中央部分

右側部分

これを見れば分かるようにレリーフは左右完全対象でなく、右側の方が幾分小さくなっている。これも遠方から角度をつけて見た時同じ大きさになるように彫られている。錯視効果が考えられている訳だ。最後に全ての大レリーフを1体づつ拡大した写真をアップする予定。

塔門入り口

中庭  奥が第一列柱室



中庭の左右、背面にも列柱が立ち並んでいる。周柱式中庭と呼ばれている。

列柱のレリーフ


背面右側の列柱 写真後方は塔門上部(の裏側) 



背面左側の列柱




第一列柱室前のホルス神石像 左右2体ある。ともに黒御影石で造られている。

左側の像はほぼ完全な姿。


この像は、ホルス神殿の写真スポットになっている。ということで修正(悪)済の家族写真。爺さんは眠ってますな。



右側の像 冠と嘴が欠けている。こちらは微笑ましい親子写真になっている。個人情報の保護に反さないと思えるので修正はしませんでした。


第一列柱室には天井まで網がかけられ、木枠の入り口を通って中に入る。



入り口 天井部分が煤けている。


列柱室




天井部分 後にキリスト教徒が台所として列柱室を使っていたためこんな風になってしまったという。


採光のため天井の一角に穴が穿たれている。


列柱室の柱や壁にも装飾としての多くの浮き彫りが残されている。


オシリス神ホルス神を描く柱のレリーフ


聖船を運ぶ神官を描くレリーフ


第二列柱室



回廊

前室


 至聖所  レバノン杉で造られた聖船が安置されている。

至聖所壁のレリーフはより完全な状態で残されている。



 ヌト神の礼拝所


壁一面にホルス神ハルホト女神の浮き彫りがなされている。


天井部分

至聖所を取り囲む回廊周壁  ここにもびっしりと浮き彫りが刻まれている。


そのレリーフは様々な意匠があり見事なのですが、しばしば顔の部分が削り取られている。後のキリスト教徒の手によるものである。

ホルス神妻ハトホル女神の姿は繰り返し描かれている。




そして回廊から列柱室を抜けて中庭に出た。中庭は観光客で混雑していた。


中庭を抜け第二塔門の入り口を抜ける。

その入り口の壁面のレリーフ  顔部分が全て削られている。


第二塔門の入り口まで出てきた。


第二塔門前の2体のホルス神像。共に不完全に残っている。

左側の顔部の削られたホルス神像


帽子の失われた右側のホルス神像  足の間にハルホト女神がいる。


 誕生殿  奥にみえる小さな聖堂で、神殿に付属するもので神の誕生に関連する。


誕生殿入り口




皆さん誕生殿は素通りして、出口へと向かう。我々も同じく素通りする。


誕生殿の入り口は暗くて誰も入っていないからだが、ガイドブックによるとここにはイシス神の乳をのむホルス神の姿が描かれているそうだ。その画像を探したのだが見つからない。

代わりに見つけたのがイシス神殿(今回のルートに入ってない神殿)のレリーフ。


誕生殿から見た第二塔門



神殿周辺の風景


出口から第二塔門を望む。


神殿を出る。神殿前広場は馬車と観光客とでごった返しであった。


なかなかお目当ての馬車が来ない。皆知らん顔して行き過ぎる。息子達は三輪自動車に乗せられそうになって引返してきた。


待つ事暫しで、帰れるのかと少し不安になる。


20分近く経ってガイドさんがようやく馬車を見つけるものの別の馬車になった。我々はまた最後になったが、ガイドさんと一緒だったので安心できる。帰路は川沿いでなく、エドフの町を迂回して船付き場に戻った。今回は長くなったのでこれは次回にまわそう。

最後にもう一度塔門に描かれた巨大浮き彫りの画像をご覧ください。

右側の塔門壁

プトレマイオス12世



ホルス神


ハルホト女神

左側の塔門壁

ハルホト女神

 ホルス神
 プトレマイオス12世

読者の皆さんは、王や神々の浮き彫りばかりでいい加減飽きてしまったかもしれませんね。実を申せば私もそうです。ああ草臥れた。

今回はこれでおしまい。




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