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2017年2月1日水曜日

エジプト旅行記 XVI

今回はコム・オンボ神殿の見学記。コム・オンボは、神殿が見つかった町の名前でコム=丘オンボ=金で、金の丘の意味。

コム・オンボ神殿の地図


小高い丘の上にあるので、船着き場から少し歩き、この階段を上って神殿前に達する。

入場チケットの50エジプトポンドを払って、神殿に入る。

コム・オンボ神殿


コム・オンボ神殿は、プトレマイオス朝時代に建設された神殿である。ホルス神セベク神の二神を祀っている。面白い構造になっていて、塔門から列柱室そして至聖所まで左右対称に並んでいる。左側が善の象徴のホルス神で、右側が悪の象徴のセベク神である。

ホルス神セベク神

 


神殿まえの広場では、蛇使いがいてコブラを触らせてくれた。笛は吹いていなかった。


牙は抜いてあると思うがやっぱり恐ろしい。
こいつもコブラなんだろうけど姿形はそんな風にはみえない。



ここでWikipediaから神殿の説明をしてもらう。


コム・オンボ神殿
Kom Ombo 38.jpg
遺跡
種類神殿 (Temple)
所在地エジプトの旗 エジプト
アスワン県、コム・オンボ
祭神セベク、ハロエリス(大ホルス)
歴史
時代ギリシア・ローマ時代
王朝プトレマイオス朝
着工プトレマイオス6世
増改築ローマ時代まで
建築
資材石材


コム・オンボ神殿(英語: Temple of Kom Ombo

プトレマイオス朝の時代(紀元前332-32年)にエジプトのコム・オンボの町に建設された、珍しい二重神殿である。神殿はのちのローマ(支配)時代(紀元前30-紀元後395年)にいくらか増築されている。




コム・オンボ神殿のレリーフ


建物の「二重」構造は、2神のために重複した中庭広間祭壇部屋があったことを意味する類のないものである。神殿の正面より向かって右側半分は、ハトホルやコンスとともに豊穣と世界の創造の神であるワニの神セベクに捧げられた。一方、神殿の左側の部分は、大ホルス (Horus the Elder) の別名で知られるハヤブサの神ハロエリスに捧げられている。
神殿は変則的で、すべてが主軸を中心に完全な左右対称である。

神殿の平面図


1. セベクの聖所 (The Sanctuary of Sobek)
2. 周壁 (The Wall surrounding)
3. ハロエリスの聖所 (The Sanctuary of Haroeris)
4. 階段 (The Staircase)
5. 列柱室 (The Hypostyle hall) - 第2列柱室
6. 入口の間 (プロナオス、Pronaos) - 第1列柱室
7. ハトホルの礼拝所 (The Chapel of Hathor)
8. プトレマイオス12世アウレテスの門 (The Gate of Ptolemy XII Auletes)
9. 井戸 (The Well)
10. 塔門 (パイロン、Pylon)
11. 祭壇を備えた前庭 (The Great Court with the Altar)
12. 誕生殿 (マンミシ、Mammisi) - Birth House
13. 前室 (Hall of the Temple's Fundation)
14. 生贄室 (Hall of victims)
15. 彫像室 (Hall of statues)
16. セベクの礼拝所 (The Chapel of Sobek)

歴史:

1870年代のコム・オンボ神殿

第18王朝(紀元前1550-1295年頃)のトトメス3世(紀元前1479-1425年頃)の遺物も発見されているが、現存の神殿は、プトレマイオス6世フィロメトル(紀元前180-145年)の治世の初めに開始され、


プトレマイオス6世の指輪(ルーヴル美術館所蔵)

他のプトレマイオス朝の王、特にプトレマイオス13世(紀元前51-47年)によって増築されて、内側と外側の多柱式の広間を建設した。

プトレマイオス13世は、プトレマイオス12世の息子で、クレオパトラ(7世)の弟である。

最も外側となる部分は、前庭とともにローマ時代に築かれた。
神殿の大部分は、ナイル川や地震で、そして後に他の事業にその石を使用した建築業者によって破壊された。
内側のレリーフの一部は、かつて教会として神殿を使用したコプト教徒により損傷した。

台地の南側にあるすべての神殿の建物は、残骸が片づけられ、1893年にジャック・ド・モルガン (Jacques de Morgan) によって修復された。

ということである。

それではコム・オンブ神殿の写真集を始める。

神殿の入り口  このように入り口は2つある。左がホルス神の入口、右がセベク神の入口。


周壁

周壁前に並ぶ列柱



 前庭  ここにも列柱が左右に立ち並んでいる。


列柱の殆どはその上部が失われている。

 しかしその表面に刻まれたレリーフは、現在も実に鮮明である。わずかだが色彩も残されている。しかし、この彩色は建設当時のものではなく後に彩色されたものだという。


神殿の様式は他のエジプトの遺跡と異なりギリシャ風である。

柱の柱頭部は蓮の花を形どっている。


門壁のレリーフ。  トート神ホルス神が王を浄化しているところを描いているそうだ。ガイドのAさんの解説。


同様のレリーフは左側の門壁にもある。



神殿入り口最上部のコブラの彫刻。


入り口から列柱室、至聖所に至る参道


列柱室  パピルス形式の列柱 柱頭部はパピルスの花が開いた様子を示している。


 列柱室の壁面に刻まれた見事なレリーフ。それらを見よう。
ホルス神と王様との交流を表しているようだが詳細は不明。




天井部分にも色彩画が残っている。ハゲワシの姿のネクベト女神だそうです。


エジプトのカレンダーを刻んだレリーフ



右側にはテフヌト神が三神描かれている。 ライオンの頭を持つ女神である。

これらの女神はエジプトの3つの季節を表している。播種期(夏)、収穫期(秋)そして洪水期である。

その左横がカレンダーを表している。1年間毎日様々な儀式があり、それを表現しているのだそうだ。


至聖室祭壇石  至聖室の奥からは沢山の宝物が発見されたようである。


神殿後壁 この神殿は病院の機能もあったようで、 この内壁には医療器具のレリーフも刻まれている。




またその隣には妊婦の分娩の様子を表しているレリーフがある。
妊婦は台の上にしゃがんで分娩しており、これが当時の一般的な出産の方式だったのかもしれない。


全体のレリーフ

その他内部回廊外部回廊の壁にも壁画がびっしりと刻まれている。


外部回廊を抜けて一旦神殿の外にでる。

神殿周辺の写真


ナイロメーター


井戸のようなものだが、これでナイル川の水位を測り洪水を事前に予測したという。その予測に基づいて王に支払う税金の額を決めていたそうだ。


側面から眺めた神殿


神殿入り口に回り込む。

ここが神殿の写真スポットである。

家族写真 コム・オンボ神殿まで来たという証拠写真でもある。


邪魔者のいない神殿写真  最初の神殿写真と被っているみたいだが別の写真です。


ここで自由時間が与えられたので、改めて列柱や壁上のレリーフの写真を撮りまくりました。
それらの画像をアップする。 描かれた神々や王、動物などの説明は省略する。調べる時間を節約するためである。御了解くだされ。














時間節約にご協力有難うございました。

かくして神殿見学を終える。

神殿遠景

神殿上空

周壁から見た神殿の全貌


我々は引きつづきわにの博物館へと向かうのであった。 次回はワニの博物館の見学記。 今回はこれでおしまい。

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