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2017年2月3日金曜日

エジプト旅行記 XXI

今回はアブ・シンベル神殿の後篇。

ナセル湖を眺めつつ、大神殿から100m位の距離にある小神殿に向かう。


少し脱線するがナセル湖について解説を加える。
長さ550km、面積は5,250 km²。最大貯水量157km³という巨大な湖で、面積は琵琶湖の7.5倍というからかなりの大きさである。

パノラマ写真



以前アスワン・ハイダムの建設によりできた人造湖だと説明したが、それにより遺跡だけでなくヌビア地域の集落も水没し、そこに住む数十万の人々は全て移転を余儀なくされた。また1990年代におけるナセル湖の水位上昇によってエジプト側に水害が起こったため、それを防止するため1998年から西のサハラ砂漠側にトシュカ湖(the Toshka Lakes)の建設を開始した。

と色々と問題は起こっている。

青ナイル、白ナイルから贈られてくる沈積土、腐植土はナセル湖の底深く沈められ、もはや永遠にエジプトの土になることはなかった。流域農地では大量の化学肥料が必要になり、その必要量は毎年1億ドル以上にのぼると世界銀行は推定した。

流域の土地がやせてしまい穀物が育たなくなってしまったのだ。しかも塩分が流れず土地は増々劣化していく一方になる。

一方湖は富栄養化によりプランクトンが増え漁業は盛んになった。こんなナイルパーチが獲れるようになった。各国でナイルパーチフィッシングツアーなどが行われ人気になっている。


しかし、ナイル川の氾濫がなくなり栄養分がナイルの下流から地中海に流れ込まなくなった。

ダムは東地中海のイワシ漁業に最も大きな打撃を与えた。栄養分の不足している地中海の中で、これまでただ1つ豊かな資源を誇ってきたのが、ナイルの有機沈泥の放出される東地中海であった。それが、いまでは水揚げは激減してイワシ漁業壊滅状態となり、3万人の漁民が生計の道を奪われてしまった東地中海のプランクトンは3分の1に減り、替わって塩分がふえている

と困ったことになっている。

小神殿  こちらは観光客は比較的少ない。 大神殿の約三分の一の大きさである。


小神殿の正面写真



6体の立像が並んでいる。10m程の高さである。

ここでWikiの解説記事を引用する。


アブ・シンベル小神殿



アブ・シンベル小神殿。2体のネフェルタリ像及び4体のラムセス2世像が交互に置かれている。


アブ・シンベル小神殿

ラムセス2世により建造された。ハトホル神王妃ネフェルタリに捧げられた神殿である。


ネフェルタリ

立像が6体あり、そのうちの4体は王、2体はネフェルタリである。脇には王子と王女を配置している。



ラムセス2世については、以前書いたけど自己顕示欲の強い精力絶倫の王でした。自分の神殿や墓を造り、エジプト全土に自分の像をこしらえた。あまつさえ、他の王の像を自分の立像にすべくカルツ―シュを削るなどの細工もした。何人もの王妃と側室を持ち、子供は総勢180人にのぼる。その中で特に寵愛したのは超美人のネフェルタリ王妃である。その王妃の出身であるヌビアの地ネフェルタリのために神殿を建築したのである。しかも彼は90歳まで長生きした。ヒッタイトとのカデシュの戦いでは、実態は引き分けだったにも拘わらず勝利を収めたと喧伝し、その戦いの自己の栄光を自賛するため詩を作らせ多くの神殿の壁にレリーフとして刻み付けた。

なんとも横暴で自己中の見方しかしない王様だったんでしょうね。現在の米国の大統領を彷彿とさせます。

小神殿を左横から写した写真


それでは6体の立像を順次左側から見ていこう。


ラムセス2世像  鼻が欠けている。足元には王子と王女の小立像がある。


ネフェルタリ王妃像  顔の部分が剥落している。美人も台無しですね。 同様に足元には王子と王女の小像が2体ある。


ラムセス2世像  こちらも鼻が欠けている。当たり前だが出っ張っている部分は欠けやすい。


神殿内では撮影禁止でした。 足元の王女の小像の写真。



小神殿入り口を挟んで右側の ラムセス2世像  こちらはほぼ完全に残っている。


ネフェルタリ王妃像  美しい顔立ちがそのまま残っている。


ラムセス2世像  この像のみ頭部に飾りと肩当てをつけている。


ラムセス2世像を見上げた写真


入り口の壁に刻まれたハルホト神に捧げものをするレリーフ


小神殿に入る。奥行は20mほどである。小神殿の内部は撮影禁止なので、購入した写真集で内部を説明する。

入り口から内部をこっそり写した写真(私が写したのではない)


写真集より:

小神殿(上)とネフェルタリ王妃のレリーフ(下) 

右がネフェルタリの立像で左が小神殿の平面図。 やはり鉄筋コンクリート製のドームで覆われている。


列柱室にある ハルホト神のレリーフが刻まれたハトホル柱(左)  右のオシリス柱大神殿の列柱だと思える。写真集に説明なしで混じってました。


ネフェルタリ王妃の壁画 ホルス神トト神から祝福を受けている。

列柱室の奥が前室至聖所となっている。探したところさるブログに小神殿内部を写した画像があった。撮影が禁止される前の写真らしい。知らんふりをしてその画像を流用する。

列柱室には中央通路に向けてハトホル柱が6本2列に立っている。


 列柱室のレリーフ 

前室壁のレリーフ  ムート神ハトホル神の両女神の祝福を受けるネフェルタリの姿を描く。


至聖所のレリーフ




写真集に戻る。

上はネフェルタリ王妃の墓で見つかった壁画で、ここにはないが写真集に紛れ込んでいる。エジプト旅行記 VI

下は戦争の様子とネフェルタリ王妃に願い事をする民衆を描いたらしき壁画。彼女は戦争にもついて行ったそうです。まあ細かく描かれています。
発掘された当時の小神殿の写真(上)と ネフェルタリ王妃のミイラ(下)
美人もこうなればおしまいです。復活するとして元の美人に戻れるのでしょうか?
僅か10分足らずの小神殿内部見学をおえて外にでる。

右側から見た小神殿



この地点から小神殿大神殿とが並んで見える。


大神殿遠景

大神殿をバックにいささか草臥れた爺さんが写っている。

この場所が大神殿小神殿の両方が見える写真スポットである。ここで家族写真を写したのだが画像は省略する。


アブ・シンベル神殿の見学を終了して、神殿を取り囲むこのような小道を通って


駐車場に戻った。


ここでバスに乗り込み11時20分、再びアスワンへと向かうのであった。

今回はこれでおしまい。

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