参道
Wikipediaに記載があるが、極めて不完全な記事である。
赤羽神社 | |
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所在地 | 兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和1445 |
位置 | 北緯34度39分44.55秒 東経135度0分18.331秒座標: 北緯34度39分44.55秒 東経135度0分18.331秒 |
主祭神 | 天羽赤玉神 伊弉諾命 軻遇突知命 大日靈貴命 |
社格等 | 旧村社 |
例祭 | 秋祭り10月第2日曜日宵宮、翌月曜日昼宮 |
赤羽神社(あかばじんじゃ)
兵庫県神戸市西区伊川谷町潤和にある神社。
それで、兵庫神社庁の記事を当たった。その記事をもとにして基礎データを述べる。
御祭神:
主祭神 天羽赤玉神 (アメノハアカルタマノカミ)
画像は見当たらない。別名の天明玉命で検索するとこんな画像がでてきた。当神かどうかは判断できない。
配祀神 伊弉諾命 (イザナギノミコト)
今回はこの画像
軻遇突智命 (カグツチノミコト)
イザナミの子である。剣を振るっているのは伊弉諾命。 画像では、右下の火炎に包まれた子供の神。
大日靈貴命(オオヒルメムチノミコト)
天照大神(あまてらすおおみかみ)のことである。
天羽赤玉命は伊弉諾命の御子高魂命の孫とも伝えられ、玉連造、玉祖連の遠祖と仰がれる。天明玉命、天豊玉命、玉祖命、天櫛玉命はこの神の別名といわれる。 天照大神が天岩戸にお隠れの時、八坂瓊之五百筒御統曲玉を造り大神を慰めたといわれる。
由緒:
創立年不詳。社伝によると、聖武天皇18年勧請という。聖武天皇のご在位期間には、「神亀」と「天平」の二つの年号がある。この18年を天平18年(746)と考えると、翌年は、奈良の東大寺の大仏鋳造を始めた年になる。また、18年をご即位から通算してみると天平13年(741)であり、この年は国分寺建設の詔が出ている。社伝によるこういった頃に、この草深い印南の東端の一角に当社が建設されたことになり、延喜の撰定をさかのぼること150~160年前の事となる。
明治7年(1874)、村社となる。
『播磨名所巡覧図絵』では、赤羽神社の御祭神を、垂仁天皇の御代、天日槍が将来した「羽明玉」と考えたうえ、「明石郡」の郡名の起原もここからだという。赤羽神社に関連して明石郡の郡名が起り、出石神社と関係があるというのも、誠に興味深いものである。
鎮座地は明治初めより潤和といわれている。『万葉集』には二首読まれているが、この処かどうかは詳でないが、井上通泰は、「潤和はいづくか。今播磨国明石郡伊川谷村の大字に潤和と書きてジュンナと唱ふる処あり。或いは是か。」と説いている。
それでは境内を見てまわろう。
神門
手水舎 水道のホースが木の枝に巻き付けられているが、これは境内に水を撒くためのものである。手水鉢に水を入れるためではない。(私が誤解したのでわざわざ書いた。)
拝殿 真新しいピカピカの社屋です。
狛犬二基
常夜燈
扁額 美しい光輝く額です。
本殿
本殿屋根
拝殿と本殿
境内社の 稲荷神社
その鳥居
稲荷神社の社 額束に名称はないので、何稲荷神社かはわからない。神社庁の記事にも記載はない。
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