市営地下鉄路線案内図
それで妙法寺探索にでかけたのである。かなり前になるが、3月22日の事でした。 今回はその報告である。
妙法寺駅
線路をまたぐ陸橋から妙法寺駅を望む。
駅から東方向に歩いて行く。 この日は3月22日なので早咲きの桜です。
毘沙門天 妙法寺の寺碑
駅から約10分程でお寺の石門に出る。
お経の文言が彫られた石柱が門構えになっている。
石柱横に立てられている妙法寺の解説板。英訳付きである。
お寺の説明板 神戸市教育委員会による解説。
概略:
高野山真言宗、毘沙門山妙法寺。738年聖武天皇の勅願所として行基菩薩によって開かれた。
平清盛が都を京都から福原に移したとき、ここを新鞍馬と称して福原京の鎮守の地として保護したといわれている。須磨区内最古の寺院である。
本尊の木造十一面観音・毘沙門天立像は国の重要文化財に指定されており、その他にも県の重要文化財に指定されている石造宝篋院塔や乳薬師などがある。
このお寺も平清盛ゆかりのお寺です。
本堂
本堂横手
ご本尊は 国宝 毘沙門天である。
1月3日の追儺式では、ご本尊が御開帳される。
いつものようにWikipediaから基礎情報をゲットする。
毘沙門山妙法寺(びしゃもんざんみょうほうじ)
兵庫県神戸市須磨区にある高野山真言宗の仏教寺院。
歴史:
箇条書きにするとこのようになる。
- 天平10年(738年)行基の開基。聖武天皇・高倉天皇の勅願所で、七堂伽藍37坊があった。
- 承和6年(839年)定範上人再興。
- 治承4年(1180年)の平清盛による福原遷都では乾にあたることから、新鞍馬として王城鎮護の霊場とし、寺領1000石を寄進している。
- 観応年中(1350年~1351年)に足利尊氏の軍が西国に敗退した時、高師直らの兵火により全焼。
- 元禄10年(1697年)復興。
- 明治35年(1902年)9月に摂取院を合併。
- 明治40年(1907年)12月には円蔵院を合併し、37坊で残っていた坊は全てなくなった。
- 大正3年(1914年)改築。
- 昭和48年(1973年)再建。
手水舎
常夜燈
本堂前の蓮の花のオブジェ 線香台かもしれません。 無知をさらけだしますが、正式には何と呼ぶのか知りません。
本堂の額 一部かけているので定かでないが、妙法寺 毘沙門天 と書かれているようです。
鐘楼 小ぶりの鐘です。
大日堂 大日如来を祀っている。
その解説板
宝筺印塔とは、経典の1つである 陀羅尼経(だらにきょう)を納める塔であり、後に供養塔・墓碑塔として建てられるようになった。この塔は約600年前に浄照という僧により建設された。
石造宝筺印塔
お地蔵様を祀る祠
寝釈迦の石像
大小様々な地蔵尊
水子地蔵尊
行者の石像 確かめていないが行基かもしれない。
毘沙門天像
境内社の 五社神社
行基が毘沙門山妙法寺の鎮守として創祀した神社である。つぎの五柱の神を祀っている。
天之御中主神 高皇産霊神 神皇産霊神 伊邪那岐神 伊邪那美神
僧主の住居だと思える。僧堂も兼ねているのであろう。
綺麗に整備された雰囲気の良いお寺です。気持ちの清々しい時間を過ごすことができました。
道路を隔てて妙法寺の向かい側に小さなお堂が建っている。
子安地蔵尊を祀るお堂です。
金平大神、玉光大神 を祀る石碑がその前に置かれている。
これでおしまい。
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