バス停前に丹生神社の石鳥居がある。その横に丹生神社の社碑が立っている。
ここからが参道なのだが、丹生神社は丹生山の山頂にありそこまではかなりの距離がある。この時点ではどれだけ遠いか認識していなかったのである。
ともあれ登り口までは田園風景がつづき、気持ちのよい散策である。
畑の奥に見えるのが丹生山系である。六甲山系と共に六甲山地を形成するとされることもある。丹生・帝釈山系とも呼ばれる。
志染川にかかる橋を渡る。
登山路の入り口にあった灯篭と小さな社
お地蔵様の座像 その台には、従 丹羽山 二十五丁 とある。
この道でお爺さんに会ったので、丹生神社までどの位ありますかと聞いた。「山をひとつ越えていかんとあかんので大分ありますのう」との答えであった。具体的な時間は教えて頂けなかった。
精々30分位だと思ったが甘かった。私の足で1時間半近くもかかったのである。
丹生山への標識 ハイキングコースになっていて太陽と緑の道とよばれている。
このような山道がつづく。
途中竹林を通過する。
標識塔があり、 従 丹羽山 二十二丁 と刻まれている。 この碑は丁石とよばれる。平清盛が建てたとされる。その後作り直されたかどうかはわからないが、当時のものだとすると歴史的にはかなり古い物になる。(後注:南北朝以降のものとされる。それにしても古いといえる。)
そしてまた山道がつづく。
またもや丁石がある。 これには 従 丹羽山 二十丁 と刻まれている。
休憩所 ここで一休みする。
丹生山系縦走路の標識
悪い趣味だとわかっているのだが、山道(参道でもある)脇にある標識塔をみつけると写したくなる。今回もその伝にもれない。 この記事を読んでいる方には面白くも何ともないでしょうが、しばらく我慢してください。
丁石 従 丹羽山 十六丁
丁石 従 丹羽山 十五丁
丁石 従 丹羽山 十四丁 頭部は崩れ落ちている。
丁石 従 丹羽山 十三丁
途中このような小さい橋を渡る。
丁石 従 丹羽山 十二丁
延命地蔵尊
丹生山の標識 ひょうご森林浴場50選に入っているそうです。
そのリストはここにあります。 ひょうご森林浴場50選
史蹟 丹生山 の石碑
丁石 従 丹羽山 十一丁
丹生山橋
そしてこのような山道がつづく。
丁石 従 丹羽山 九丁
丁石 従 丹羽山 八丁
丁石 従 丹羽山 七丁 頭部は落下。
丹波山系縦走路の標識
丁石 従 丹羽山 五丁 六丁の塔は見当たりません。どこに行ったのでしょう?
丁石 従 丹羽山 四丁
丁石 従 丹羽山 三丁
丁石 従 丹羽山 二丁
丹生山城 丹生山明要寺跡
ここは史蹟になっている。 その石碑
灯籠跡
丹生山城の歴史:
『新釈備中兵乱記』山陽新聞社刊によると、このように記されている。
天正六年の三木合戦の折、花熊(花隈)城との連携や、兵糧の運搬のために丹生山には砦が築かれ、近隣の野武士や農民ら500名余、及び備中勢の中島左京、祢屋与七郎、日幡八郎左衛門、生石中務らが300騎を従えて籠城した。これに対し秀吉は籠城する近隣の農民の妻子をいけどり、城内から内応させることを強要した。内部からあがった火により丹生山城は混乱に陥り、落城となった。
歴史:
明要寺は、「丹生山縁起」によると541(欽明天皇2)年、百済聖明王(せいめいおう、在位523-554)の王子童男行者(どうだんぎょうじゃ)が開いたとなっている。この聖明王は、日本に仏教を伝えたといわれている百済王朝第26代の王で、童男行者はその王子恵だとされている。
その後、衰微の時代を経て平清盛が丹生山を比叡山(鞍馬山の説もある)にみたてて明要寺を復興し日吉山(ひえさん)権現を祀って参詣したと伝えられる。上述の山頂までの参道の丁石はこのとき福原の都を起点に清盛が1丁ごとに建てたと言われている。
南北朝から室町にかけて、明要寺は戦乱に巻き込まれていった。播磨の赤松円心は建武の新政(建武元年(1334年))の破綻を期に足利尊氏につき、明要寺にこもった新田義貞の一族の金谷氏と戦い、結果、東播と西播の南部を制することとなった。
戦国時代に到り、明要寺は三木の別所氏に味方した事から1579(天正7)年、羽柴秀吉に僧坊・堂宇を焼き払われ数千人の僧・稚児が焼死した。
明要寺はその後秀吉自身によって復興されたが、往時の繁栄を取り戻すことはできず、明治維新の廃仏毀釈で廃寺となった。
現在は、丹生神社二の鳥居手前数10mの台状の土地に兵庫県の建てた石碑が残っている。
丹生山明要寺参拝曼荼羅 を描く掲示板
丁石 自丹生山丁 石垣にもたれ倒れているが最後の丁石である。
小さな拝殿 脇社と思われるが不明。
丹生神社 二の鳥居
常夜燈
手水舎
閉められているが社務所。
拝殿
拝殿の側面 竣工記念碑が建てられている。
拝殿中
拝殿と本殿
ここで丹生神社の基礎データを与える。
正式名: 坂本丹生神社
所在地: 神戸市北区山田町坂本字丹生山384
主祭神: 瓊瓊杵命 (ニニギノミコト)
配祀神: 丹生津姫命 (ニフツヒメノミコト)
月弓命 (ツキヨミノミコト)
由緒:
仏教伝来以前に起源を持つ古社である。平清盛が福原にいたとき、京都の比叡山になぞらえて、ここへ日吉山王権現(大山咋命)を祀って月参りをしたと伝えられ、長く山王権現と称してきたが、明治2年(1869)に丹生神社と改めた。本殿は春日造である。 元丹生山明要寺の鎮守社である。
狛犬二基 相当に苔むしている。
常夜燈
本殿 屋根部分
本殿の造り
本殿全体
境内社
八坂大明神 熊野大明神 二神大明神 の額が掛っている。
同じく境内社の 山田大明神社
本殿前の狛犬
境内の様子
境内には子供相撲の土俵が作られている。
祭りの日に付近の山田小学校の児童が行う。
境内からの眺め
空には月が見え、ジェット機が飛んでいる。 この境内でお弁当を食べたのであった。
拝観をおえて、二の鳥居を再びくぐり抜けて
来た道を戻り
神戸市バスに乗り込んで神戸電鉄箕谷駅まで戻ったのである。ここから谷上駅まで行った。
谷上駅の乗車口
谷上駅のプラットフォーム
これでおしまい。
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