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2017年5月28日日曜日

モリー先生との火曜日

息子に車で古本屋さんに連れて行って貰い、1冊80円の特価本を沢山買ってきた。その中の1冊に 

モリー先生との火曜日 ミッチ・アルボム 著 


がある。 20年近く前の本で、何気なしに読み始めたのだけど、少なからず感動しました。 最近読書に関する記事を書いていないので、久しぶりに感想を書きたくなりました。

Wikiを利用して、物語の概要を記す。

この本は、アメリカのジャーナリスト ミッチ・アルボムによって書かれたノンフィクションである。

難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った「最後の授業」を記録したもので、1997年にアメリカで出版されベスト・セラーとなった。日本でも別宮貞徳による翻訳書が出版され、やはりベストセラーになっている。

ミッチ・アルボムはALSにより死を目前にしている、ブランダイス大学の78歳の社会学教授、モリー・シュワルツとの亡くなるまでの日々、受けることになった「最後の授業」を語っていく。

シュワルツ教授の元生徒であるアルボムは卒業後16年間教授と連絡を取っていなかった。
最初の部分はアルボムシュワルツの最後の会話への導入、アルボムの卒業の回想、卒業から教授と再会するまでの経緯などが描かれている。

アルボムは子供の頃の将来の夢はピアニストであったが、「大人」になりデトロイト・フリー・プレスのスポーツ・コラムニストとして成功していた。

TVショウの『ナイトライン』でシュワルツのことが取り上げられているのを見て、シュワルツがALDで病に伏しながらも明るく生きていることを知る。

アルボムシュワルツに電話してみると、シュワルツは16年経っているにも関わらず元生徒のアルボムのことを覚えていた。アルボムミシガン州からマサチューセッツ州までシュワルツに会いに会いに行くことにする。

この本は彼らの14回の面会を基に、シュワルツから受けた補習、人生経験、回想、そして現在のことが描かれている。



ミッチモーリー先生


シュワルツアルボムに語る言葉が、平易なんだけど深いのですね。 基本は周囲の人への愛なんだけど、死にゆく人間が思索を重ねて自分の人生体験の上から生み出した言葉なので、重みというか、真実の価値のある言葉に結晶しています。

語っていること自体は難しくはなく、むしろ陳腐でさえあります。

「一期一会に感謝」

「普段の日常に感謝を忘れない」

「相手を思いやる気持ちを忘れない」

の3点が基本です。これは皆 人や自然を愛しなさい ということですね。私達は自己中心主義に陥ってしまい、これらのことを忘れていることがその人の不幸に繋がっていると指摘している。

その通りで、自己実現自己中心主義の区別が難しいわけで、自己を無くしてはいけないのだが自分の利益を求めて他人に迷惑をかけることを戒めている。
それはかえって自分を苦しめることになる。さらに相手にも思いやりを持って接する。
モリ―先生は、自分の世話はほどほどにして夫人や息子達に普段通りの生活をしてほしいと願っている。彼は自己実現という将来への夢や目的がないと人は幸せには生きていけないのを充分に承知している。

でも間近に死に面すると自己実現という一種の成果主義も意味を持たなくなる。求めるのは周囲の人(家族と言っていい)の愛情であり、最後まで与えたいのも周囲の人への愛情なのだ。

人は自分中心でないと物事が図れないし、そうすると他者への思いやりの欠如から多くの苦しみを無駄に与えてしまう。でもそうしないと自分が無くなってしまい、他者の思惑に操られてしまう。思いやりを持とうとすれば、自分のエゴをしばしば傷つけてしまう。そのような引っ張り合いの狭間で引き裂かれながら生きているのが我々の人生というものだ。

私もまたそんな人生を送っているが、彼の言葉を読み、死ぬまで自己実現を目指し成長するとかは考えずに、あるがままに現実を受け入れてなすべき義務を果たしていくのが肝要だと思う。

良質の人間が西洋文明(アメリカ文明)の影響下で育ち、思索を深めるとモリ―先生のような人物が現れる。しかし日本人の場合は、思想の背景が違うのでこんな風にはいかないとも思える。自然を愛することは無理なくできるが、根本に虚無思想というか無常観があり、キリスト教のいう自己犠牲を伴う愛を他人に与えることができない、というか不自然で必要ないと考えてしまう。

今正に苦痛の最中死んでいこうとしているのに、マスコミを通して人が幸せになるようにコーチするなんて本当に必要かしらと、赤の他人には余り関心の持てないエセ仏教徒(私)は思ってしまう。

彼の語る心打つ言葉を章ごとに列挙していきたい。 かすかに違和感のある文章もありましたが、私にとり特に印象的で生きる指針となるような文章を選んだ。 内容を強調したかったので大文字にします。


教室

「死ぬっていうのはね、悲しいことの1つにすぎないんだよ。
不幸な生き方をするのはまた別の事だ。・・・



出欠確認

「人生に意味を与える道は、人を愛すること、
自分の周囲の社会のために尽くすこと、
自分に目的と意味を与えてくれるものを作りだすこと、・・・


最初の火曜日

「レヴァインという賢人が言ってるよ、

『愛は唯一理性的な行動である


第二の火曜日

「必要なときにはまず思いっきり泣く、
それから人生にまだ残ってるいいものに気持ちを集中する。
・・・・


「私はね、それ以上自分をあわれむことを許さないんだ。
毎朝ほんのちょっと。
ニ、三粒涙を流せば、それでおしまい」



第三の火曜日

「だっていずれ死ぬんだよ、
遅かれ、じゃない早かれさ」


第四の火曜日

「誰でもいずれ死ぬことをわかっているのに、
誰もそれを信じない。・・・

「いずれ死ぬことを認めて、
いつ死んでもいいように準備すること。
そのほうがずっといい。
そうしてこそ、生きている間、
はるかに真剣に人生に取り組むことができる」

「いかに死ぬかを学べれば、いかに生きるかも学べる」



第五の火曜日

「自分の生活を捨てるんじゃないよ」




第六の火曜日

「経験から自分を引き離すってことなんだ」

「切り離すっていうのは、
経験を自分の中にしみこませないということじゃない。
むしろその反対で、
経験を自分の中に十分にしみこませるんだよ。
そうしてこそ、そこから離れることができる」




第七の火曜日

「私は老化をありがたく受け入れる」


第八の火曜日


「人を愛することにみずからを捧げよ、
周囲の社会にみずからを捧げよ、
目的と意味を与えてくれるものを
創り出すことにみずからを捧げよ」

「・・・ 人にあたえることで自分が元気になれるんだよ。・・・


第九の火曜日

「ねているときは死んでいる」



第十の火曜日

「お互いに愛せよ。
さもなくば滅びあるのみ」



第十一の火曜日

「人生のはじめ、
子供のときには生きていくのにほかの人が必要だろう?
人生の終わりにも、
私のようになれば、生きていくのにほかの人が必要だろう?

「しかし、これが大事なところで、
その中間でもやっぱりほかの人が必要なんだよ


第十二の火曜日

「死ぬ前に自分を許せ。
それから人を許せ

「対立物の引っ張り合い。・・・
物事はそれぞれ違う方向に引っ張られるものだ

第十三の火曜日

「・・・ 死ぬのは生きるのと同じく自然なこと。
人間の約束事の一部だよ」


第十四の火曜日

「これが・・・私たちの・・・さよなら・・・

「じゃあな」

モリ―先生はこの週の土曜日の朝亡くなった。

木々と、草と、丘の斜面が美しい場所に遺骸は埋められた。



読後ツタヤに行って、映画を借りてきてワイフと見ました。旧作なので100円でした。

涙ウルウルで見終わりました。名作と思います。ジャックレモンがその人になり切った演技をしています。是非ご覧になることをお勧めします。



その一場面


これでおしまい。

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