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2017年6月25日日曜日

西宮神社 I

本住吉神社を参拝してから、阪神バスで西宮に向かった。前回の神社記事で書いたように、昼間の西宮えびす神社を参拝するためである。

阪神西宮駅



駅前から石畳の敷かれた戎参道(車両通行禁止)が神社に向かってつづく。


途中参道を右折すると、大練塀に囲まれた西宮神社が現われる。全国のえびす宮の総本山だけあって広大な敷地をもつ日本有数の神社である。私も年中行事の一つとして1月10日には、十日戎には福をさずかりにお詣りしています。

社碑


西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社です。
三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造の本殿。
江戸時代寛文三年(一六六三)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、昭和二十年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和三十六年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、
ほぼ元通りに復興され、今は銅屋根も古色を帯び、 えびすの杜を背景に佇んでいます。
本殿後方一帯の境内えびすの森は、兵庫県指定天然記念物となっています。

国指定 重要文化財 の大練塀 

このような練塀が境内を取り巻いて建てられている。



大練塀が最初に建てられた年代についての文献は残っていませんが、昭和二十五年の大修理の際、築土の中から宗銭三枚、元銭一枚が発見され、これによって室町時代に建造されたものと推定されます。全長二四七メートル土塀で、その堅牢な構造から国の重要文化財に指定され、名古屋・熱田神宮信長塀京都・三十三間堂太閤塀と共に日本三大練塀と称されています。

知らなかったが、日本三大練塀なんてのがあるんですね。しかし、この大練塀は、家康塀というわけではない。

西宮市教育委員会による 西宮神社大練塀 の説明板もある。





大鳥居


社碑

由緒舎

大練塀前に立派な青銅製の常夜燈が二基ならんでいる。


二基並んでいる所を写す。何とならば土台の六角形の部分に二基で合わせて十二支の動物が描かれているからである。


表大門(おもてだいもん)

通称赤門(あかもん)と云われる表大門は、桃山建築の遺構をのこし、その左右に連なる大練塀と共に、重要文化財に指定されています。

西宮市教育委員会による 西宮神社表大門 の説明板。



赤門脇の常夜燈


下馬碑もある。

赤門横に鎮座する梅宮神社の社  



ここでWikipediaから西宮神社を解説して頂こう。

西宮神社
西宮神社
Nishinomiya-jinja01s4592.jpg
本殿
所在地兵庫県西宮市社家町1番17号
位置北緯34度44分8.5秒
東経135度20分4.6秒
座標: 北緯34度44分8.5秒 東経135度20分4.6秒
主祭神西宮大神(蛭子命)
社格等県社・別表神社
本殿の様式春日造
札所等神仏霊場巡拝の道67番(兵庫2番)
例祭9月22日
主な神事十日戎
おこしや祭
誓文祭
地図
西宮神社の位置(兵庫県内)
西宮神社
西宮神社


拝殿

西宮神社


西宮神社(にしのみやじんじゃ)

兵庫県西宮市にある神社である。日本に約3500社ある、えびす神社総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する。


祭神: 第一、第二、第三と祭殿ごとに異なっている。
  • えびす大神(西宮大神・蛭児命) - 第一殿主祭神

  • 天照大御神 - 第二殿

  • 大国主大神 - 第二殿

  • 須佐之男大神 - 第三殿


祭神の蛭児命伊弉諾岐命伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。
しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。


由緒


西宮のえびす様は、古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、この西宮にお遷し、祭られたのが起源と伝えられております。
この鎮座の年代は明らかではありませんが、戎(えびす)の名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座したえびす大神は、漁業の神として信仰されていましたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。
現在では一月九日、十日、十一日の「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、阪神間最大の祭として全国に知られています。特に、十日早暁の大祭終了後の開門神事・走り参りは、福男選びとして大変な熱気につつまれます。 九月二十二日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして地元の人々の大きな楽しみとなっています。

さらに詳しい歴史に関する記述があるが、それはWiki-西宮神社にまかせる。

赤門の看板  表大門 とある。


屋根部分  桃山風の建築様式らしい。


それでは広大な境内の参拝である。

境内案内図  このような配置になっている。



入ってすぐの参道横に常夜燈がいくつも並んでいる。


境内  広い参道が拝殿までつづく。

広田神社摂社である南宮神社末社である 児社。 
南宮神社は、この西宮神社境内内にある。



二柱鳥居

広田神社摂社である南宮神社



南宮神社拝殿
 拝殿前 狛犬二基

 本殿

西宮神社本殿に向かう参道


境内案内舎 境内にある数多くの摂社名も記されている。


本殿前 大鳥居


祈祷殿

神馬を祀る 神馬舎 その由緒板。

えびす様が10日えびすの前夜に市中を乗馬で巡回するという伝承がある。その神馬を奉る社である。


社内には、このように愛嬌のある神馬がおわせまする。


参道脇にある、二龍一玉のブロンズ板の埋め込まれた石碑


歌碑

手水舎 立派な太い柱です。
由緒舎

御戎之鐘を保存する社

豊臣秀頼公の発願による御社殿再興の翌年、即ち慶長十五年三月付の銘が有る事から、秀頼公の奉納になるものと思われます。天和四年(一六八四)の「西宮社旧記」には「志ゆろうたう(鐘楼堂)」の記載があり、実際に使われていた事を窺わせます。


銘文:

奉 建立攝州武庫郡 西宮
御戎之鐘 一口
諸行無常 是生滅法
生滅々己 寂滅為楽

大檀那武運長久息災延命之処也
洛陽三條 鋳物師
藤原徳左衛門 国宝作
慶長庚戌十五年三月八日
施主 敬白



拝殿



拝殿本殿の側面

立派な拝殿本殿です。社格は県社のようですが、全国のえびす宮を束ねるだけのことはあります。

拝殿前にはブロンズ製の威厳ある狛犬神馬が共に神社をしっかりお守りしている。

狛犬二基


神馬二頭


拝殿 から 本殿 を望む




本殿第一、第二、第三殿の屋根


今回はこれでおしまい。境内社神池等の参拝は次回にまわそう。


2 件のコメント:

  1. まず、西宮の称号は廣田神社に奉られた固有の称号だと言う事を皆さん忘れていらっしゃる。
    西宮廣田神社の社領は正に広大で
    、、、東は神崎川に至る尼崎まで。
    、、、西は神戸市東灘区(多分、住吉川)まで。
    、、、北はいわゆる六甲山~宝塚の手前まで(有馬郡)。
    南は御前浜の鳴尾浜(灘六郷全て)

    西宮神社を僭称している件のヱビス神社は、元来廣田神社の南宮の摂末社。

    廣田神社の祭神、天照皇大神荒御魂/ツキサカキイヅノミタマ・アマサカル・向津毘女尊(瀬織津姫大神)
    の御神名や武庫、六甲(ムコウ)の地名等から出雲帝国の東王家、向/富(登美)家の流れを汲む大巫女さまかと拝察できます。
    近隣の高槻辺りは三嶋と呼ばれた地域で向家の当主で有った八重波津身命=事代主神/少彦神/粟島神/大物主神/、、、の后の三嶋の生玉依姫の実家の地盤。
    、、、向王家(出雲東王家)の領地か?
    (神戸も出雲西王家の神門臣家(分家が葛城南部に移住して高鴨家を号する)に由来するのが本儀ではないか?)
    古代出雲帝国の第8代少彦(副王)八重波津身命(向/富家当主)と同じく第8代オオナムチ(主王)の八千戈命が相次いで渡来人らに謀られ殺害されたことから御子らを連れて実家の三嶋に避難なさった。
    その御子、奇日方命が大和の葛城に移住して登美王(、、、金鵄、金鳥、飛鳥、外山、富)家を号して、、、

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    1. 森岩光様
      誠にもって貴重なるご教示有り難うございます。廣田神社の称号が西宮だったのですね。忘れているのでなく知りませんでした。廣田神社の社領がそれ程広大であったのも知らずでした。エビス神社は廣田神社の摂末社で崇め奉るほど由緒ある神社ではないとはね・・。無知のまま神社の写真記事を書き散らしていますが、誤解等お気づきの際はどうぞお教え下さい。大変勉強になります。多謝。

      なお記事を書いたきり森岩様のコメントを読んでいませんでした。お許しください。

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