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2017年8月11日金曜日

神戸中央区 小野八幡神社

ひきつづき中央区にある小野八幡神社の紹介である。中村八幡神社を参拝してから阪神の
春日道駅に戻り三宮駅で下車し、徒歩で神社に向かう。神戸市役所の筋向いにあるが、ビルの谷間に埋もれていて行きにくい。周辺をくるくる回ってようやく入り口を発見。

神戸の中心部のその真ん中にある神社である。平日にも拘わらずちょくちょく参拝客が訪れている。人気のある神社なのでしょう。

小野八幡神社社名板  社碑はあるが、八幡神社としか刻されていないので社名板が必要になる。

大鳥居  神額には八幡宮とある。 右側の建物が社務所。


社碑  郷社 八幡神社 とある。 歴史を感じさせる社碑である。


常夜燈二基


この神社はWikipediaには見あたらないが、充分に記載する由緒、規模をもつ神社である。前回のように、サイト神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ の記事 神戸・小野八幡神社。 や兵庫神社庁その他の記事を参照して解説を行う。

由緒:

小野八幡神社生田郷の人々が海岸沿いを開拓して住み着き、887(仁和3)に創建されたと伝えられている。9世紀末の寛平年間(889~898年)には神前の七草を宮中に献上したという記録が残されている。




それから時代は下って平安末期の源平争乱期のこと。平知盛公率いる平家軍は、神戸を拠点に守りを固めて源範頼公を総大将とする源氏軍を迎え討つ。平家軍は西は須磨・一の谷の守りを固め、北は夢野に防衛線を張り、そして東から攻め寄る源氏軍に対しては生田川を防衛ラインとして生田の森に拠って堅い守りを固めていた。両軍が対峙する中、武蔵国から参陣した河原太郎高直公と河原次郎盛直公という兄弟が、勇敢にも平家の大軍の中に先陣を切って斬りこむ。これがきっかけで両軍は激突、連動するように各地で戦端が開かれ、有名な「鵯越の逆落とし」によって総崩れになった平家軍は海へと敗走していく。



鵯越の逆落とし



 平家の滅亡後、勝利のきっかけを作るも敢え無く敵の矢に射られて戦死した河原兄弟の功績を称えた源頼朝公が、2人の菩提を弔うために現在の大丸元町店の北に報恩寺を建立する。そのときに報恩寺の鎮守の神とされたのが小野八幡神社である。



ご祭神:

応神天皇

今回は木像です。日尾八幡神社




少なくとも800年以上の歴史を持つ由緒ある神社である。大丸北側の地から現在地に遷ったのは戦後になってからとのことです。

社務所の表札には「新渡戸」とあり、小野八幡神社の宮司さんは、新渡戸稲造の親戚筋にあたるそうです。宮司の娘さんも小野八幡神社権禰宜日本の神道を世界に広めるべくアメリカの地で活躍されている。

旧5000円札の肖像

権禰宜新渡戸涼恵さん。シンガーソングライターでもあります。


つい嬉しがって彼女のライブ動画などをアップしてしまう。


花の祈り【地球からのメッセージライブバージョン】涼恵suzue


それでは境内の参拝である。

渡し鳥居とその奥の社殿  逆光で写りが悪いのはご容赦。



社殿側面


拝殿



拝殿


本殿屋根部分



社殿から大鳥居までの参道  こちら側からはクリアに写せるんだけどね。



拝殿前 狛犬二基  立派なお姿をしている。





手水場


境内社は三社ある。

金刀比羅社  石造りの社殿で、金毘羅大権現なので丸金です。


巳神社  白龍大明神を祀っている。


神額

社殿と陶器の狛犬が可愛らしいので、アップで写してみた。

社殿前の小振りの狛犬二基


白玉國高稲荷社  稲荷鳥居が四連並んでいる。

神額  正一位 白玉國高稲荷大明神 とある。


社殿 赤銅葺きの凝った造りである。  こちらにも狛狐が二匹いる。

慰霊碑
神戸大空襲で殉職された電話局員の方々の霊を悼む。


この慰霊碑は、1945(昭和20)年3月の神戸大空襲宿直勤務中に殉職した7名の電話交換手の慰霊のために建てられたものです。御幸通にあった神戸中央電話局葺合分局に勤務していた皆さんは、「通信を確保せよ」という軍令を受け、何があっても職務から離れないよう義務付けられていたため、空襲の爆音が鳴り響いて周囲が火の海と化していたにも関わらず、必死に電話を繋ぎ続けて犠牲になったといいます。
交換手たちが犠牲になった地に新しいビルが建てられた際に慰霊碑が建立されましたが、阪神淡路大震災のためにそのビルが全壊したために小野八幡神社の境内に移されたそうです


阪神淡路大震災のため崩れ落ちた鳥居常夜燈などの残骸。社殿の裏側に置いてあるが、元に戻すのは難しいですね。


神社のお隣が公園になっていて一休みできる。 これでおしまい。

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