修善寺川 通称 桂川
虎渓橋 奥に見えるのが 筥湯(はこゆ)とっこの湯公園
修善寺温泉マップ
修善寺温泉の歴史は、平安時代に弘法大師が開いたという修禅寺の歴史とともにある。独鈷の湯も弘法大師が湧出させたとされ、これが修善寺温泉の起源である。川原で病気の父親の体を洗う少年のために「弘法大師が独鈷を用いて岩を砕き、そこから湯が湧出した」との開湯の伝説が残っている。(Wikipediaより)
橋を渡ったすぐの所に修善寺はある。
弘法大師石碑 と 献燈碑
石段上に新しい山門がある。山門は150年ぶりに修復され、仁王堂が新設された。この日は参拝日和でした。沢山の人がお参りに来ていました。
山門の額 達筆すぎて読めませんね。 因に山号は 福地山 です。
仁王堂には二体の金剛力士像が祀られている。 ガラス越しに2体の力士像を拝むことができる。
阿吽の二体である。
山門の内側にある切り株上に祀られている石像
ここで修善寺の歴史をひも解く。
修禅寺 | |
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所在地 | 静岡県伊豆市修善寺964 |
位置 | 北緯34度58分17.4秒 東経138度55分39.2秒座標: 北緯34度58分17.4秒 東経138度55分39.2秒 |
山号 | 福地山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 大日如来(重要文化財) |
創建年 | (伝)大同2年(807年) |
開基 | (伝)空海 |
正式名 | 福地山 修禅萬安禅寺 |
文化財 | #文化財参照 |
公式HP | 福地山修禅寺 公式ウェブサイト |
地図 |
修禅寺(しゅぜんじ)
静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院。山号は福地山。正式名称は「福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)」で、略して福地山修禅寺と呼んでいる(宗教法人としての名称は「修禅寺」)。修善寺温泉街の中心にある。夏目漱石の「修善寺の大患」、岡本綺堂の「修禅寺物語」でも名高い。
807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられ、その後の約470年間は真言宗に属していた。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われ、『延喜式』には「伊豆国禅院一千束」と書かれる程の寺院であった。
その後、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、この地で殺害されたとしても知られている。
その後、伊豆一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、彼の叔父の隆渓繁紹に曹洞宗の寺院として再興させた。
現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。2007年(平成19年)には開創1200年祭が行われた。
それでは境内の参拝である。
石灯籠
お百度石とそのくぐり社
鐘楼堂
鐘はこのように吊り下げられている。
手水舎
手水鉢 標準的だが龍の水差しである。
本堂 瓦葺きの大屋根が立派な明治16年に再建された本堂です。
修善寺の寺額
本堂の門扉
檀信徒会館
会館内には仏像が祀られていて、これより先は立ち入り禁止である。
会館前に僧侶の石像がずらりと並んでいる。それぞれ独自の姿勢を保っている。
弘法大師塔の石碑
常夜燈 コケで黄色くなっている。
寺務所 玄関口
入館券と修善寺グルメメニュー(後に紹介する)
瑞宝蔵
ここには風神尊天、古面、金剛製の独鈷などの寺宝が展示されている。
風神尊天 福の神「大黒天」を現わしている。
邪鬼を踏む金剛力士像
参道横に露店が並んでいました。
梅干しとか野菜などが売られていた。観光客向けのお土産のようです。
今回はこれでおしまい。
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