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2017年12月8日金曜日

神戸北区 布袋寺

ひきつづき布袋寺の案内である。

布袋寺外観  参拝道から田圃を周り込む形で山門に達する。




山門  山額はないが、月亭山 である。



本堂




本堂側面




本堂に吊るされている釣鐘



ここでこのお寺の基礎情報を与える。



曹洞宗 布袋寺
山号: 月亭山 

住所: 神戸市北区有野町二郎779


御本尊 聖観世音菩薩 
創 立 大永年間(1521年~1528年)
開 基 宮崎弾正二郎廣綱(平教經の後裔)
現 在 別格地寺院(随意會地)
現住職 十七世 正教師 近藤芳樹


由緒: お寺のホームページから適宜抜粋した。 正福寺・布袋寺

當寺は平氏の勇将平の教經の後裔、宮崎弾正二郎廣綱の開基にして長門壇浦の戦に敗れたる平家の一族は、悉く滅亡離散し、教經の遺子も亦日向の國宮崎の地に落て茲に隠棲すること多年、地名を取って姓とす。其の後世静まりて大永年間弾正廣綱宮崎より教經の念持佛たりし聖観音の尊像を奉じ、平家福原遷都の當時教經の領地たりしと傳う八多の庄を慕い来て當地を開拓し村名二郎とし、観音の霊像を安置し以て當寺を開創、天正二年十一月十五日没す。


宮崎弾正二郎廣綱
の名から二郎村と名づけられた。全く知りませんでしたが、二郎は平家の落人村、平家の隠れ里だったのです。新知識でした。


壇浦の戦については、Wikipediaを参考にして記事を書いたことがあります。

AntokuTennou Engi.7&8 Dannoura Kassen.jpg

秋吉台と門司、下関の旅行記 IX  の壇ノ浦の戦いの項をご覧になってくだされば嬉しい。


その後の経緯:

 
此の外當寺は九世大圓和尚の時代、文政年間祝融の災に罹り伽藍、古文書當烏有に歸したるは遺憾とする處なり。依って十世祖宗和尚再建を念願し、東奔西走寝食を忘れ、檀徒一般の協力を得て天保四年秋現在の伽藍を再建す。

祝融の災とは火事のことです。

 尚又十二世祖拳和尚は逸材の器にして當寺住職中大本山永平寺の重役として凡十年間奉職し、恪勤勵多大の功勞あり。依って明治二年大本山永平寺はその功勲を賞して寺階を昇等し随意會を免牘され宗門一方の望刹として寺格を有するに至る。


ご本尊 聖観世音菩薩




それでは境内の参拝を始めよう。

舎利塔  十三重石塔


鐘楼  見晴らしの良い所に建っています。


観音堂


堂内に祀られている観音様 



地蔵堂

堂内お地蔵様

石祠をお守りする社  祭り主は誰だか不明。


石塔 平氏の墓かも知れぬが詳細は不明。

永代供養合祀塔



お堂  何を祀る堂かわからない。


この石像が祀られているが、正体は不明。行者像のような気がしないでもない。下段にはかわらけが並べられている。


慈母観音菩薩像  赤子を抱いています。


お寺の境内山側を登って布袋様をお詣りする。

布袋尊像  この巨大像がお寺のシンボルで電車の窓からも見えます。

正面  立派なお腹ですな。私ではかないません。


側面

腹立たしいことにお賽銭箱は壊されていてお金が抜き取られている。大したお金でもなさそうなのにね。このような事をする輩には仏罰が当たりますように。


台の碑文  昭和32年に建造されたようです。はっきりとは読みとれない。


布袋尊のおわす場所は見晴らしの良い小高い丘になっている。 

 

お墓や石塔もひっそりと祀られている。




この丘からの眺め

二郎駅方面


お寺の本堂境内を望む



建設中の高速道路


合同の墓  お参りする親族もなくなった墓と思われる。 


英霊の墓


お寺なので墓で締めくくりました。これでおしまい。

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