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2018年1月2日火曜日

大阪 天王寺公園 I

今回は昨年12月19日に取材したものの暮れの忙しさで記事にできなかった天王寺公園の紹介である。したがっていささか時期外れになってしまったがクリスマス風景の写真から始める。

クリスマスツリー  JR天王寺駅MIO本館前に飾られていた。


下から見上げるとやっぱり高いですな~  の あべのハルカス

あべのハルカス天王寺駅MIO の三点セット


天王寺駅の道路を隔てた所に天王寺公園がある。

ドアの取っ手みたいな形の公園碑

天王寺公園の案内図  広大な敷地を持っていて、公園内に天王寺動物園市立美術館慶沢園などの施設がある。また茶臼山古墳もある。


天王寺公園には何度も訪れているが、現在のように整備され都市公園の面目を新たにしているとは知らなかった。以前の天王寺公園は有料で、公園と美術館との間にある通路にはカラオケの店が並んでおりおじさん達が路上でマイクを持って演歌を歌っていたのでした。


調べてみると青空カラオケと称する露店で、30年に渡り存在し続けた野外のカラオケ小屋群のことだそうです。2003年に強制撤去されるまで9軒が軒を連ねていた。



現在は影も形もありません。今や懐かしい風景になっています。

さてここで天王寺公園の基礎情報をWikipediaから取得しよう。 

天王寺公園


天王寺公園
天王寺公園の位置(大阪市内)
天王寺公園
分類動植物公園
所在地
日本の旗 日本
大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-108
座標北緯34度38分59.46秒
東経135度30分40.003秒
座標: 北緯34度38分59.46秒 東経135度30分40.003秒
面積28.2ha
設備・遊具植物温室、大阪市立美術館、慶沢園
駐車場あり
告示入園料:なし,休園日:なし


天王寺公園(てんのうじこうえん)

大阪府大阪市天王寺区茶臼山町にある市立公園
上町台地の西端に位置しており、総面積は約28万m2。園内には大阪市天王寺動物園植物温室大阪市立美術館慶沢園を擁する大阪を代表する都市公園である。かつては天王寺図書館や天王寺公会堂、野外音楽堂もあった。池上四郎第6代大阪市長の銅像が園内に建つ。



歴史  適当に端折って引用する。
  • 1903年 第5回内国勧業博覧会が開かれる(第1会場が天王寺、第2会場が大浜)。
  • 1909年 会場跡地の東側を公園として整備し、「天王寺公園」が開園(通天閣を含む西側が新世界となった)。
  • 1913年 内国勧業博覧会で使用した集会施設を天王寺公園に移設し「天王寺公会堂」となる。
  • 1913年 「明治記念拓殖博覧会」を開催。

明治記念拓殖博覧会 (台湾土人ノ住宅及其風俗)
  • 1915年 上野(東京)、岡崎(京都)に次いで国内3番目大阪市天王寺動物園が開園。
  • 1917年 内国勧業博覧会で使用した美術館を改装し「大阪市立市民博物館」として開館(大正天皇大典事業の一環)。
  • 1918年 住友家本邸内に庭園「慶沢園」が完成。
  • 1923年 「大阪市電開業20年交通博覧会」を開催。
  • 1925年 「大大阪記念博覧会」(大阪毎日新聞社主催)を開催。
  • 1928年 「大礼奉祝交通電気博覧会」を開催。
  • 1936年 天王寺公会堂が閉鎖され、跡地は天王寺動物園の敷地になる。
  • 1938年 大阪市営地下鉄御堂筋線動物園前駅天王寺駅が開業。
  • 1952年 「講和記念婦人とこども大博覧会」開催。
  • 1952年 公園内に大阪市立図書館(本館)開館。
  • 1961年 大阪市立図書館大阪市立天王寺図書館に改称。
  • 1969年 大阪市営地下鉄堺筋線動物園前駅が開業。
  • 1980年 天王寺野外音楽堂が閉鎖。
  • 1985年 大阪市立天王寺図書館が上之宮町に移転。
  • 1987年 天王寺博覧会開催に伴い、園内を再整備。閉幕後、公園主要部分はフェンスで囲われ、入場が有料となった。
  • 1990年頃 公園と美術館との間にある公道に「青空カラオケ」と称する露店が並ぶ。
  • 2003年 大阪市によって露店撤去
  • 2012年 第1回「あべの・天王寺イルミナージュ」を開催。
  • 2014年12月2日 入園料が公園工事に伴い無料になる。
  • 2015年4月1日 条例改正に伴い、休園日がなくなり、入園料は、慶沢園のみ有料、その他は無料となる。
  • 2015年10月1日 公園南東部のエントランスエリア再整備。サッカーコートやレストラン・カフェ、ドッグランなどの施設が備わった「てんしば」エリアとしてリニューアルオープン。
  • 2016年11月1日 「てんしば」エリアにバス待合所、国際観光案内所、ゲストハウス「Kintetsu Friendly Hostel -Osaka Tennoji Park-」からなる複合棟オープン。

という変遷で2015年10月からてんしばエリアが整備され現在見られるようになった。

それではてんしばエリアのそぞろ歩きである。

てんしば入場口



SPOONBILL  複合型大型店舗である。インテリア雑貨、アパレル、食料品までを取りそろえている。その向こう側に見えるのはお城スタイルのラブホテル 醍醐である。


ラブホテル 醍醐


まだ灯りは灯っていないがてんしばのイルミネーション


遊歩道 奥に見えるピラミッドは、天王寺公園植物温室安藤忠雄の設計による。


このエリアから通天閣が見える。

直産市場 よってって  ここには産地直送の新鮮な野菜が集まっている。


第6代大阪市長 池上四郎 銅像


池上市長顕彰碑 碑文


池上 四郎
(いけがみ しろう、安政4年4月18日1857年5月11日) - 昭和4年(1929年4月4日




日本警察官僚政治家第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監。兄に検事池上三郎、娘婿に内務省官吏石川銀蔵秋篠宮文仁親王妃紀子曾孫に当たる。

ちょっと長いけれど略歴を引用する。

1913年、池上は嘱望されて、大阪市長に就任した。財政再建を進める一方、都市計画事業や電気・水道事業、さらには大阪港などの建設などの都市基盤を整備し、近代都市への脱皮を図った。
御堂筋を拡張し大阪のメインストリートとする計画は、池上の市長時代に立案され、続く関一市長時代に実現し、大大阪時代の全盛期を迎えることとなった。また、市庁舎の新築、博物館図書館などの教育施設や病院の整備など、社会福祉の充実にも注力した。池上は1915年に天王寺動物園を開園させた。また1923年9月に発生した関東大震災では、いち早く大阪港から支援物資を東京に送り、被災者の救済を行った。
池上は3期10年の市長職を退任後の1927年、朝鮮総督府政務総監として朝鮮半島へ赴任した。大土地所有制によって貧困化していた小作農を救済するため、小作法を制定するなどの救済政策を進めた。しかし1929年、池上は任期半ばにして病に倒れ、東京で没した。

天王寺動物園入り口


3年半くらい前に孫と一緒に来て記事にしたことがあります。孫が可愛いい盛りでした。
天王寺動物園

公園内の彫像  いのちいきいき



大阪市立美術館  伝統を感じさせるレトロ風の建築です。


美術館正面



美術館から動物園方面を望む。  右手に通天閣が見える。

美術館から茶臼山方面への散策路


河底池

茶臼山  前方後円墳とされる古墳である。



茶臼山に向かって架けられている 和気橋

河底池を泳ぐ黒鵜?

茶臼山古墳河底池大阪府指定史跡となっている。

史蹟碑 茶臼山及河底池





ここでWikipediaから茶臼山古墳の概要を引用する。


古墳自体は5世紀にこの地の豪族のために作られた墓といわれ、大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は不明である。1546年(天文15年)、細川晴元の家臣山中又三郎が古墳の後円部に大塚城を築く。1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣では真田信繁幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった。
明治以降は住友家邸宅の敷地の一部となっていたが、1925年(大正14年)に住友家から邸宅敷地(現・大阪市立美術館)、慶沢園とともに大阪市に寄付され天王寺公園の一部となった。河底池は1928年(昭和3年)に公園に編入されている。

茶臼山山頂  今は休憩所。 真田幸村に関連するパネルが周辺に設置されている。


英雄になった真田幸村   六文銭

名言: 十万石では不忠者にはならぬが、一国では不忠者になるとお思いか。



大阪の陣 史蹟 茶臼山



 水生花園

茶臼山から和気橋を望む。




水生花園から和気橋を望む。 冬枯れで花園では花を見る事かなわず。



黄昏の中にある和気橋通天閣

水生花園から茶臼山を望む。

池中の鴨

今回はこれでおしまい。次回は 慶沢園(けいたくえん)の紹介である。

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