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2018年2月16日金曜日

ナポリ旅行記 XIV エルコラーノ遺跡 (3)

しばらくお休みしていたがナポリ旅行記のつづきを始める。今回はエルコラーノ遺跡の3回目で、邸宅の見学である。この地はローマ貴族の別荘地だったのでポンペイより高級な邸宅が多い。

この遺跡で沢山の邸宅や浴場、運動場(水泳場)などを案内して頂いたのだが、写真を眺めてもどこに何があったかさっぱり記憶していない。邸宅の名前は勿論覚えられないし、ガイドさんの説明も殆どが忘却の彼方である。

後で調べてみたがガイドブック(地球の歩き方)に掲載されていない邸宅も多くあって名称すら良くわからない。イタリア語は読めないので訳のわからないグーグル翻訳を助けとして適宜名称をつけました。間違っている可能性は大です。

それで知識不足(全くの無知に近い!)は承知で写して来た写真をおぼろな記憶を基にして説明をしていく。御了解下さい。

それではつづきを始める。
鉄製の簡易階段の奥にあるトンネルを通って遺跡の街路にでる。溶岩流をくり抜いて作ったトンネルでしょうね。


街路の両側に邸宅跡が並んでいる。

テレフォの救済の家  Casa del Rilievo Telefo 


邸宅の壁面  赤で彩色されたコリント様式の列柱が並んでいる。その奥の壁面も同様に赤と黄色で彩色されている。当時は黄色の彩色であったそうだが噴火後のガスにより赤くなったとされる。浅はかな私は全てポンペイレッドの彩色と思ってしまった。赤の邸宅ではなく当時は鮮やかな黄金の邸宅でありました。

この邸宅跡は敷地1800平方メートルでエルコラーノ遺跡2番目に大きい邸宅であった。

玄関を入ってすぐの所にある雨受水盤) ポンペイ遺跡で見られたものより深い。 


大理石のレリーフ これがテレフォの救済と呼ばれる石版でこの邸宅の呼び名になっている。神話の一場面だそうです。筋骨隆々の男性だが、ち〇こは小振りです。


柱は赤いスタッコで覆われたレンガで造られている。天井から大理石浮き彫り円板が吊るされている。

注:スタッコとは、壁や天井の被覆や装飾のため、そして美術のために建築に使用される石膏 、 石灰またはセメントをベースとした非常に微細な混合物。


邸宅跡  ここら辺からは誰の邸宅かはわからない。


壁に残るフレスコ画の一部 プラスチックカバーが覆われているが絵柄はもはや定かではない。


瓦屋根の邸宅  

邸宅跡の連なり 

祭壇跡

列柱跡  体育館もしくは水泳場があったらしくその列柱廊跡かもしれぬ。今となっては定かではない。


神殿跡の洞窟 


中央の石台に置かれている青銅の彫像  木に巻き付く多頭の蛇のようです。何を意味するのかは不明。


洞窟内



ここが水泳場であったそうです。手前に2レーン、その奥に1レーンあったみたいです。


水泳場左側の通路  行き止まりになっていて、その先の壁上には新市街の建物が立っている。アンバランスな光景。


水泳場左奥にある邸宅跡  こちらは全く保修されてなくて放置であった。



さて東西にある2本の通りの1つ(中央にある)に入って再び邸宅の見学である。


板仕切りの家  Casa del Tramezzo di Legno

裕福な貴族の邸宅が紀元62年の地震後に商店に改装された家とされる。


雨受水盤) こちらは浅くてポンペイと同型式である。中央噴水もそのまま残っている。大理石のテーブルも損傷なく保存されている。アトリウムの床にもモザイク紋様が変色はしているものの当時のまま残っている。


アトリウムの屋根は2階分位の高さがある。屋上の天窓からの雨水を取るわけである。


アトリウムの天井壁面装飾 残念なことに大部分のフレスコ画がはがれ落ちてしまっている。


奥の小部屋の壁にもフレスコ画の装飾がある。


小部屋の寝台跡?

この邸の呼ばれる由縁となった板仕切り。現在はガラス板で補強されているが、アトリウム食堂を区切っていた可動式の木板壁である。


食堂の壁面上部   

格子垣の家  Casa a Graticcio   煉瓦の柱で支えられ、道に張り出したバルコニーが特徴となる。民衆のため安い建築費用で建てられた共同住宅である。骨組みは木で作り、その中に石を積み込んで壁となしている。安普請の建物で現在は鉄骨で補強中である。



漆喰の塗られたその壁面

青銅器時代の家  Casa dell'erma Bronzo 


邸内に展示しているブロンズ像で知られている。家の中から青銅の鎧が見つかったそうです。

アトリウム壁際に置かれているブロンズの男性頭部像  見学はこれだけ。


モザイクの中央広間の家  Casa dell'Atorio a Mozaico



玄関床モザイク紋様  白石と黒石による幾何学紋様でこの図案がアトリウム床までつづいている。奥のアトリウムには入れないためこの邸の見学もここまで。2棟ある邸宅には有名な壁画やガラス窓などが残されているようだが見ていない。


サム二テスの家  Casa Sannitica 
紀元前2世紀に建てられたというエルコラーノ遺跡の中でも最も古い邸宅の一つ。


玄関を入ってすぐの所がアトリウムになっている。

アトリウム上部
2階ほどの高さをもつが2階部分に相当するところに柱廊を模したレリーフがあり、その四方の一面は外側の面した窓になっている。奥行はないが一見バルコニー風である。


柱廊部分の壁画  鮮明な絵画はあまり残っていない。

アトリウム床のモザイク紋様  火山流のせいで波打っている。



アトリウム天窓

店舗跡 (翻訳だとワークショップと記されているが居酒屋と思われる) Bottega  



1階部分 左側にパン窯、中央に大きな壺が並ぶ。その奥に木製扉があり物置のようである。


2階部分  木製の保存棚のようだが炭化して黒くなってしまっている。端っこにワイン壺が並んでいる。


パン窯の手前には大型の壺が並べられている。



ネプチューンとアンピトリティスの家
  Casa de Nettuno e Anfitrite 
この邸宅はネプチューンアンピトリティスを描いたモザイクで有名である。



解説パネル 邸宅の見取り図が右下方にある。


アトリウム跡  雨受水盤) は残っているが、天井部分は全て失われている。



アトリウムの奥にある食堂に半円に彫り込んだ壁がありそこが祭壇になっている。

その祭壇のモザイク絵は色練ガラスで描かれていて芸術性の高い遺物とされる。

祭壇のモザイク絵  鹿や野鳥の猟犬による狩りの様子が描かれている。



隣の壁面  壁面のフレスコ画は半分以上が剥離してしまっている。庭園風景の一部らしい。



お目当てのネプチューンアンピトリティスを描いたモザイク絵



有名なモザイク絵なのでさらに拡大した画面でどうぞ。細かい色ガラスの破片が無数に使われていて細部まで端正に描かれている。


モザイク画右隣のフレスコ画 庭園の景色らしく噴水と草木、そして飛ぶ野鳥や地面を歩く大型の鳥が描かれている。


邸宅のどこの場所か不明だが、中庭跡が奥に見えている。


そしてこの邸の見学を2分ほどでおえてつぎの見学場所へ向かうのであった。

東西にはしる2本の通路のうち北側にある通り。 石畳でなく砂利道です。


水飲み場  ポンペイ遺跡と違ってあまり見受けられなかった。まあ発掘面積が小さいからね。


南北にはしる3本の通路のうちの真ん中の通り。

崖上の新市街の住宅がみえる。 この高さまで火山流で埋まっていたのです。

エルコラーノ遺跡の北側端っこの  凱旋門だったのかしらね。新市街地下へのトンネルがある。通行禁止でこの先は発掘されていない。先には大邸宅もあるだろうし、従ってまだまだお宝は眠っているのです。


邸宅見学はさらにつづくのであるが一旦ここでお休みにする。今回はこれでおしまい。

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