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2017年8月31日木曜日

淡路 丸山海釣り公園

淡路島の記事を最近書いていないと思って、写真のフォルダーを探してみると三ヶ月前になるが丸山漁港で写した写真が見つかった。記事用としては没にしていた写真である。

三男は魚好きで全国の水族館を見て廻っていて、海辺の小魚を獲るのも好きである。それで仕掛けを作っては、淡路島までやってきてそれを実践する。付いて行った私のほうはそこまではしないので、その間ワイフと共に風景鑑賞である。

以前記事にした記憶があるので調べてみると、2年近く前に丸山漁港周辺の記事を書いている。淡路 南あわじ市小磯  この時は冬だったので、黄昏写真を沢山写している。

今回は季節も時間帯も異なるということで、初夏の丸山海釣り公園の風景写真集である。

海釣り公園の広場



以前この石の椅子に座って昼ご飯を食べました。鳴門、四国の山々がみえる。


弁天島

丸山漁港

海釣り公園の芝生広場からは、南淡路ウインドファームの風車が幾つも見える。


これについては、記事 風をつかまえる-風車見学 をご覧ください。できればついでにこの記事もどうぞ。 風をつかまえて-風車を作る話 

公園の縁を歩いて行くと

岩の敷き詰められた海岸線にでる。


この辺りに息子は小魚獲りの仕掛けを沈めたのだが一匹も獲れずであった。そもそも魚がいそうにもない。

私は磯遊びを暫し楽しむ。岩肌にへばりつくヒザラガイ、マツバガイ、カキなど。


これでおしまい。




淡路 志知カフェ

息子(三男)が先週の24日に淡路島にドライブに連れて行ってくれた。平日だが息子のカツ丼屋の定休日なのである。私はワイフにくっ付いて行っただけでだが、訪問先は写真記事のネタになる。それでカメラを持って出たが、行先は西淡地区なので大体は記事にしてしまっている。

詳しい事は忘れているので、今回調べてみると淡路島関係の記事を結構沢山書いている。少なくともこれだけある。

淡路 伊弉諾神宮
淡路 成ヶ島
淡路 南あわじ市小磯
淡路島ドライブ
淡路島西淡地区遊歩 I
淡路島西淡地区遊歩 II
淡路人形まつり
淡路島西淡地区遊歩 III
淡路島西淡地区遊歩 V
淡路 おのころ島神社
淡路人形の頭
淡路島うずしお温泉とゆるキャラ
旧鐘紡洲本原綿倉庫
いぶし瓦の町 津井
淡路ふきもどしの里
淡路人形浄瑠璃 三味線師匠 鶴澤友路
明石散歩+淡路島岩屋散歩 II  

実際の関連記事はもっとあるように思うが検索に引っ掛からないと、すっかり忘れてしまっている。

神戸案内が終了すれば次は淡路案内だと思っていた時期もある。神戸案内は初めてから4年近くになるが今だ取材に行ってない場所も多く残されているし更には神戸関係の記事ネタはいくらでもある。神戸はやっぱり奥深い。今後もこのシリーズはつづける積りです。

一方淡路島に行く機会は極端に減り、関連記事も最近は書いていない。淡路島で訪づれたい神社も増えてきたのだが、行けねば写真も撮れない。秋になって余裕ができれば4年前みたいに一人で淡路島巡りをしたいなと思うが今はとても叶わぬ夢である。

またもや余分な感想を記してしまったが、今回は名所訪問記でなく淡路島でのグルメ記事です。

ドライブ途中に偶々昼食に立ち寄ったお店の紹介である。面白い飲食店だったので紹介したいと思った次第。

駐車場周辺の水田

稲の穂がたわわに実をつけている。東北地方と違いこちらは晴の日も多く、豊作かどうかはわからんが不作にはならないだろう。淡路島の田園風景である。


そのお店の名は志知カフェで、玉ねぎ倉庫を改装して作った店舗である。


お店の看板


お店の宣伝パンフ 


玉ねぎ倉庫跡地 SHICHI CAFE 

当店は閑散とした倉庫街でひっそり営業している玉ねぎ倉庫を改造したカフェです。


名産の淡路産タマネギを使用したメニューが売り物のようである。

店内の様子 倉庫なので当たり前だが天上の高いこと!

 

この広い店内にエアコンが一台。 当然全く効いていません。


淡路島では人気店のようで平日だというのにほぼ満席でした。

お盆は過ぎていたがお盆オススメメニューというのがあって、まづは
①淡路産藻塩のからあげ&エビフライプレート 1,300円
を選ぶ。息子のオーダーである。


これである。ご飯は五穀米であった。



ワイフは定番メニューを見てトルコライスを注文する。


爺のくせに食い意地の張っている私はメニューの一番下にある大人のお子様ランチを注文した。

志知カフェ風トルコライス 1,200円 


大人のお子様ランチ 1,800円


メニューよりもプレートが小さいし付け合わせも少ないと思ったが、そこは年の功で我慢する。なにせ私には生ビールが付いているからである。食べおわってからの写真ですまぬ。


味のほうはフライ物なので特に美味ということはなかったが値段相応には美味しかった。量がやはり多かったので満腹しました。晩御飯はいらない位でした。

淡路島から帰宅して自宅の窓からみる黄昏風景。


もう8月もおわりですね。 これでおしまい。


2017年8月30日水曜日

西宮市 森具の宮 須佐之男神社

またもや取材したものの放っておいた神社の紹介である。西宮市森具の宮 須佐之男神社である。阪急夙川駅から西宮方面国道2号線沿いに歩いて15分位の所にある。取材日はデータによると6月19日になっている。西宮神社を再取材した帰りに立ち寄っている。この日は実に精力的に神社巡りをしている。 西宮神社 I  神戸東灘区 本住吉神社

たった2ヶ月前なのにどんな特徴のあった神社かすっかり忘れている。名前すら忘れていた。それで写真を見ながら思い出して記事を書くことにする。森具はここの地域名である。

南参道前の石鳥居




JR住吉駅からバスで阪神西宮駅に向かう際に車中から神社の看板を見つけた。それで西宮神社取材後に立ち寄った神社なのを思い出した。おまけの神社取材でした。そんな訳で予備知識は全くない。

Wikipediaには記載のない神社なので、兵庫神社庁などから基礎データを取得した。

ご祭神:

祭神

須佐之男大神 (スサノオノミコト)

今回はイラスト画像



配祀神

天照大神 (アマテラスオオカミ)

ゲームのイラスト画像



建御名方大神 (タケミナカタノカミ)

神楽からの画像  出典は画像に記されている。



由緒:


創建年代等は不詳ながら、慶長年間(1596~1615年)には鎮座されていた。
明治維新までは牛頭天王社として掲げられ敷地は除地であった。

詳しい由緒は不明である。それでは境内参拝にまいろう。綺麗に整備されている境内です。お年寄りのためにベンチが置かれているのは有難い。

境内 さほど広くはない。隣は阿弥陀寺であり、その本堂が左側に見えている。


手水舎  節水中でした。


由緒板  境内には五つの末社がある。


拝殿  拝殿の裏は鎮守の森の雰囲気を保っている。

本殿の屋根部分



拝殿狛犬二基  小ぶりだが正統スタイル。


常夜燈

百度石常夜燈


五末社の紹介をする。

大国主神社

大黒様の石像が祀られている。

行者社

確認していないが、役の小角が祀られていると思われる。


八幡神社  ご祭神応神天皇。


伊邪那美神社

看板に記載の六柱の神を祀っている。 その社殿


愛宕神社  社殿はなく石柱のみである。



御神木のクスノキと常夜灯


神社東参道にある鳥居 南参道にある鳥居と殆ど同じ。


この鳥居の左側が社務所になっていて宮司さんがお住まいのようであった。日々境内を整頓されているのであろう。清潔感のある神社でした。
これでおしまい。

箕面市 八幡太神社

牧落八幡宮の参拝をおえてから、阪急牧落駅に戻り今度は西の方角に向かった。八幡太神社を取材するためである。駅からは徒歩で10分位のところにある。

途中見つけた四連の石仏 表面が磨滅しており、何の神様か判読できない。中央の2体はお地蔵様だと思われる。それにしても土台は立派な黒御影石です。下段には菊の生花が飾られている。


お賽銭箱もあるが、私は喜捨しなかった。お堂とか祠には喜捨しないことに決めている。拝殿の賽銭箱のみにしている。そうでないとお金がいくらあっても足りない。と、こんな所でケチの言い訳をしている。

プリントアウトした地図を見ていても道に迷ってしまったが、これは私の方向感覚が悪かっただけである。

八幡神社参道の標柱 八幡太神社の「」はない。


この先少し登ったところに参道がある。だがその実態は田圃の真ん中を走るアスファルト塗装の道路なのである。玉砂利か石畳位は敷いて欲しかったですね。

石鳥居  玉垣常夜灯と共に真新しい。


額束にある石の神額には 八幡太神社 とある。


箕面市の広報サイト「箕面温故知新」 には、

もともとは八幡大神社だったが、その昔誤って墨が落ちてしまい「」の字が「」になってしまったとの逸話が残っています。

という記述がある。いつの話かわからんしホンマかいなと思いますな。標柱には「」はないしね。

社碑 二段も高く設えてある。

八幡太神社復興記念碑


これによると祭神応神天皇で、創立年代は不肖だが古くから西小路住民の信仰は厚く、氏神としてこの地に奉祀していたという。ところが明治40年の神社統合令により阿比太神社境内に別棟合祀されることになった。境内社つまり居候の地位まで落とされてしまった。それで氏子一同が頑張って復帰運動をして昭和33年に元の地に復帰したとある。リストラで派遣社員に落とされたが、正社員に復帰したというところですか。

元からの八幡神を祀ってある鎮守社に戻れた訳です。とすれば神社名に」がついているのは、かっての所属神社の阿比太神社の「」から由来すると考えるのはおかしいかな?

ご祭神の画像は省略する。

手水舎  立派な瓦屋根なのは良いが、壁や手水鉢の周りがブロックなのは興ざめである。プラスチックの雨樋がついているのもなんだかね~。


社殿  逆光で正面から写せずこんな見にくい写真になってしまった。許されよ。



賽銭箱がないとお思いかもしれぬがあるのだ。この写真では、紐に隠れて見えないが郵便受けみたいになっていて、その中に入れるようになっている。お賽銭はいつものように10円です。

御神燈


社殿前の狛犬二基


境内 社殿から鳥居を望む。松の枝ぶりが見事。

拝殿(右)と本殿と(左)と思われるが、左の社屋が本殿とは断言できない。社殿というよりむしろ民家のような造りである。


境内の整備は未だのようで、このように半ばの地表はむき出しの土であった。

特に見るべきものはなかったが、この神社では10月に天狗祭が斎行される。面白そうなお祭りである。

天狗祭

昭和23年(1948)八幡太神社が西小路に遷座された時に行われた天狗祭は、現在も10月に行われています。天狗が町内を竹を持って練り歩きます。天狗に頭をたたいてもらうと頭が良くなると言われています。

天狗祭では子供神輿もでる。





このように天狗が竹筒を持って子供の頭を叩いて周る。嫌がって逃げ回る子供もいる。


こんな怖ろしい般若の天狗もいる。獅子舞の獅子も竹筒を手にしている。きょうの沙都 さんより引用。一度見たいものだ。


かくして取材をおえて阪急牧落駅に戻った。こちらは東出口である。そしていつものルートで自宅へと帰ったのであった。


これでおしまい。