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2014年5月25日日曜日

中島らも 没後10年

 



中島らもが亡くなってもう10年もたつのだな。 早いものだ。

毎日新聞5月22日の夕刊に載った記事です。 没後10年のイベントが大阪の各地で開かれる。


私より、3歳年下だが、52歳でアル中が原因となり死去。 私と同じく尼崎の生まれで、
小学生時代は実に優秀で、灘中に8位の成績で合格。 
しかし、真実に目覚め学業は放棄し、飲酒、薬物、ロックや深夜ラジオ、貸本、山田風太郎、
白土三平、ギター、バンド活動、万引き、スナックのバンドマン、漫画投稿 などにこる。 

ネリモノ広告大全

やはり、漫画家志望であったのだ。 イラストも描いてるしね。 



お情けで灘高(このころには、灘高-東大コースが確立していた。灘高生=超秀才です。)
を卒業して、1年の予備校生を経て大阪芸術大学芸術学部放送学科に入学。 
不良学生で、学生結婚をするがロクでもない生活を送っていたらしい(本人に記憶なし)。

その後、コネで印刷会社に就職。元々頭脳明晰であった彼は、数ヶ月で仕事のシステムを覚え、広告の制作・営業を担当する。新規開拓の飛び込み営業もこなす。
この会社の先行きの不安を察知し、家族を養うため(本人がしたかったため)退社し、
パンクロックバンド・PISSを結成して、一山当てようと画策する。 



この辺から、ハチャメチャな生活が始まる。宝塚の自宅が友人知人、ミュージシャン、フーテン、
ジャンキー、山師、不良外国人のたまり場となる。 レコードデビューも、レコーディング費用を
女に騙し取られたため頓挫する。 

かくして、コピーライターに転身。 つまり、広告代理店の日広エージェンシーに再就職。 
仕事が暇すぎて鬱になり、処方箋の薬物中毒にはまる。 この時期に、
笑殺軍団リリパットアーミー」を結成、脚本執筆のほか、自ら役者もこなした。
雑誌「宝島」への原稿なども精力的(酒の力を借りて)に行なう。 

これで、ローカルな有名人になり、1984年から朝日新聞大阪本社版日曜版「若い広場」で、
人生相談コーナー『明るい悩み相談室』連載が始まる。 



これが大好評で、私なども彼の名前を知ることになる。 グローバルな有名人になる。 
30年も前の話なのだね。


  
以下、詳しくは、Wikipedia に語ってもらおう。

中島らも

 

    
中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日)
兵庫県尼崎市出身の小説家、戯曲家、随筆家、俳優、コピーライター、広告プランナー、ミュージシャン。笑殺軍団リリパットアーミー主宰、自主的団体「全国まずいもの連盟」会長。本名は中島 裕之(なかじま ゆうし)。「らも」というペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優羅門光三郎から。当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌に詩の投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と現ペンネームに改名した。
一男一女の父で、長女は作家の中島さなえ

作家活動

1987年、日広エージェンシーを退社。フリーの身となってから有限会社中島らも事務所を設立し
作家活動を本格化、宝塚の家には全く帰らなくなり事務所で寝泊りするようになる。戯曲、エッセイ、小説、落語、バラエティ番組の脚本やコントなど、多数執筆。

多忙な人気作家となるも、飲酒がもたらす酩酊から着想を得ていた中島は連続飲酒を繰り返すようになる。アルコール依存を自覚していた中島は観念して病院に入院。後にこの体験を基に、小説『今夜、すべてのバーで』を書いている。

1996年夏にはロックバンド・PISSを再結成、ボーカルとギターを担当、解散後の新バンド
「らも&MOTHER'S BOYS」ではボーカルとサイドギター担当するなど、音楽のジャンルでも
活動の場を広げる。

晩年

処方されていた薬の副作用から視力が殆ど無くなり、口頭で妻に伝えて原稿を書くようになる。
持病の躁鬱を繰り返す中ナルコレプシーを発症。更には時間概念の喪失、運動障害、躁状態がもたらす万能感から支離滅裂の言動が度々見られ、減薬と入院治療である程度回復するも飲酒は続けていた。薬を飲むのを止めると視力が戻ってきた。
2003年2月に「オランダで尻から煙が出るほど大麻を吸ってきた」と大阪のラジオ番組で公言。
その数日後に大麻取締法違反などで逮捕される。大阪地方裁判所での初公判では持論の
「大麻開放論」を展開。同年5月26日に懲役10ヶ月執行猶予3年の判決を受ける。
同年の夏、自らの獄中体験をつづったエッセイ『牢屋でやせるダイエット』を出版、
手錠姿でサイン会を開くなど精力的に活動を再開した。
2004年7月15日、三上寛、あふりらんぽのライブに飛び入り参加、終演後に三上寛と酒を
酌み交わし別れた後、翌16日未明に神戸の飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打。
脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院に入院、15時間に及ぶ手術を行うも
脳への重篤なダメージにより深刻な状態が続き、自発呼吸さえできない状態に陥る。
入院時から意識が戻ることはなく、事前の本人の希望に基づき、人工呼吸器を停止。
同月26日午前8時16分に死去。享年52。

彼のアルコール耽溺ぶりは凄まじい。 

それを知るには、次のインタビュー映像が一番である。 彼の迷言。

さけはごはんで、くすりがおかず。

YouTube より、

逆境を生きる 酒に呑まれた日々 中島らものアルコール格闘記 1/4   29万回

逆境を生きる 酒に呑まれた日々 中島らものアルコール格闘記 2/4   12万回

逆境を生きる 酒に呑まれた日々 中島らものアルコール格闘記 3/4   10万回

逆境を生きる 酒に呑まれた日々 中島らものアルコール格闘記 4/4   10万回


小説を書き続けたいという願いのみで彼は生きてきたのだ。 

私は、彼の小説を系統立って読んだことはない。 作家のみならず、劇団の主催者とか、
歌手とか総合的なエンターティナーとして彼を考えていた。 間違いでないと思う。
彼の小説は、娯楽のための気散じ本として読んできた。 それも結構沢山の本をね。

次のアルコール中毒小説 今夜、すべてのバーで」 は、紛れもない名作である。






出版され文庫化された時に読んでいたが、先日古本チェーン店でない古本屋で350円で
買ってきて再読したのだ。 この作品で、吉川英治文学賞新人賞を受賞している。

アル中の生態を自分をモデルにして、自伝的にそしてリアルに描いている。 
アル中の症状や治療薬なんかも、専門書にある内容を良くこなして記述してある。
病院に入院している時の話が中心になっていて、同じくアル中である不良親父や爺さんや
余命いくばくもない少年、そして主治医との交渉が描かれている。 感動的なシーンもある。
サイドストリーとして、亡くなった友人とその妹との交友関係が奏でられる。 

その妹というのは、劇団リリパットアーミーIIの座長 わかぎゑふ がモデルではないだろうか?



小説中、薬物の過剰摂取のため心不全を引き起こし死亡した、エルビス・プレスリー



くだらない人生、くだらない人間。

とけなし、続いて

おれはもちろんプレスリーと同類の人間だ。

このころ、プレスリーは、112.5キロのデブになり、日々前後不覚になるまでラリっていた。
 
コカインを染み込ませた綿棒を鼻に入れてもらって、意識を取戻しステージを務めていたのだ。

「みじめな状態でいるよりは、意識を失っているほうがマシだからね」 という言い訳と共に。

それに対し、ジャンキーから脱出した ウィリアム・S・バロウズ を敬愛しており賛辞を送っている。




読んでみる価値は、ある本です。 お勧めします。

他には、ガラダの豚 ですね。 集英社文庫 I II III


怪しげな僧侶やインチキ新興宗教の教祖、超能力青年や手品師、さらには呪術研究家や
アフリカの呪術師など、日本とケニアの魑魅魍魎が跋扈する世紀末の人間戯画。

 という訳です。 よくまあ、こんな奇想天外な話が書けたものだと思います。

らもの落語も面白いですよ。 是非この動画を見てください。 絶対笑えます。



らも 落語  YouTube 36万回再生 

それと、この死亡後対談動画。

 


中島らもの理想の死 YouTube 15万8千回再生 

没後10年たっても、人気があるのはよくわかる。 

それでは、ごきげんよう。 さようなら。

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