薬師寺は国宝東塔で有名であり、言わずと知れた世界遺産である。
唐招提寺からの歴史の道を歩く。散策に良い道だが、舗装されているのが気にくわない。 奥に見えるのが、薬師寺の興楽門である。
この門である。
門脇には、このような世界文化遺産認定の石碑。今や必須のアイテムになっている。
ここで、いつものWikipedia情報。
薬師寺 | |
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東塔(国宝、手前)と西塔 | |
所在地 | 奈良県奈良市西ノ京町457 |
位置 | 北緯34度40分6.08秒 東経135度47分3.52秒座標: 北緯34度40分6.08秒 東経135度47分3.52秒 |
山号 | なし |
宗派 | 法相宗大本山 |
本尊 | 薬師三尊(国宝) |
創建年 | 天武天皇9年(680年) |
開基 | 天武天皇(勅願)、道昭、義淵 |
別称 | 瑠璃宮 |
札所等 | 西国薬師四十九霊場1番 南都七大寺6番 神仏霊場巡拝の道 第25番 大和北部八十八ヶ所霊場 第49番 |
文化財 | 東塔、薬師三尊像ほか(国宝) 南門、伝大津皇子坐像ほか(重要文化財) 世界遺産 |
薬師寺(やくしじ)
奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。
南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇、道昭、義淵である。1998年(平成10年)に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
拝観料は、このようになっている。玄奘三蔵院伽藍 が公開されている時とそうでない時によって、異なっている。この時、2月14日は閉鎖されていた。3月になれば、公開される。
玄奘三蔵院伽藍 公開時 | 玄奘三蔵院伽藍 閉鎖時 | |
拝観可能場所 | 白鳳伽藍 玄奘三蔵院伽藍 | 白鳳伽藍 |
対象期間 | 平成26年1月1日~1月15日 3月1~6月30日 8月13日~15日 9月16日~11月30日 | 平成25年12月1日~12月31日 平成26年1月16日~2月28日 7月1日~8月12日 8月16日~9月15日 12月1日~12月31日 |
大人 | 800円(720円) | 500円(450円) |
中高生 | 700円(630円) | 400円(360円) |
小学生 | 300円(270円) | 200円(180円) |
※現在「国宝・東塔」は、解体修理中のためご覧いただくことができません。
高齢者割引はない。従って、白鳳伽藍拝観の正規料金500円を支払った。
そのパンフ。3つ折りの一枚物。表がカラーで、裏が白黒印刷。
薬師寺の建築物の由来、歴史が書かれている。
その略縁起を書くと、つぎのようになる。 薬師寺公式ホームページ より。
薬師寺は「法相宗[ほっそうしゅう]」の大本山です。
天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)、更に文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710年)に伴い現在地に移されたものです。(718年)
これまた、立派なお寺です。絢爛豪華と言ってよい。
付近の大池から見るとこんな風である。奥に見える山は、若草山。
まづ薬師寺伽藍図をアップする。
地図下半分が、白鳳伽藍である。
この伽藍中の建造物を順次写真紹介していく。
聚寶館
東僧坊
鐘楼
金堂のお姿。距離や方向を変えて撮った三態。
金堂は、1976年に再建されたものである。歴史を書くと、つぎのようになる。
金堂は享禄元年(1528)この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、西塔などと共に焼け落ちてしまいました。その後、豊臣家が金堂の仮堂を建て、その後本格的な金堂の再建に取りかかる筈でしたが、豊臣家滅亡などの事情で400年近く仮堂のままの状態でした。
昭和42年(1967)高田好胤師が晋山し、百万巻写経勧進による金堂再建を提唱、全国に写経勧進に歩かれ、その結果昭和46年(1971)金堂の起工式を行い、そして昭和51年(1976)4月に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興しました。
金堂には、奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる本尊薬師三尊像が安置されている。写真撮影は禁止。以下仏像の画像は、上記のホームページその他より取得。
本尊薬師三尊像
大講堂
大講堂縁起の説明板。
この大講堂も建物としては、新しい。
2003年の再建。正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物である。本尊の銅造三尊像(重文)は、中尊の像高約267センチの大作だが、制作時期、本来どこにあった像であるかなどについて謎の多い像である。
銅造三尊像
大講堂内には、仏足石という仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石が展示されていた。
西塔
西塔の前に、西塔縁起の掲示板が立てかけられてある。
西塔は、東塔と対称的な位置に建つ。旧塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失し、現在ある塔は1981年に伝統様式・技法で再建されたものである。デザインは東塔と似ているが、東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。
現在中には、入れない。
西僧坊
食堂跡には、なにも建っていいないが、このような食堂が復元完成する予定である。
中門
中門は昭和59年(1984)に西塔に引き続き復興された。
二天王像 は、このような配置で相対している。
そして、国宝の東塔。 現在解体修理中である。
東塔の本来のお姿は、これである。
白鷗伽藍を出て、玄奘三蔵院伽藍に向かう。中には入れないが、周辺を見回ることはできるのである。
手前の本坊寺地蔵院の庭には、桜の木が植えられており蕾がふくらんできている。
薄墨桜である。 満開になると綺麗なんだろうね。 Wikiによる説明。
淡墨桜(うすずみざくら)
岐阜県本巣市(旧・本巣郡根尾村)の淡墨公園にある樹齢1500年以上のエドヒガンザクラの古木である。
淡墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色にちなむ。
ということで、エドヒガンザクラの事でした。満開の写真もどうぞ。
満開でも黒っぽくて、あまり綺麗じゃないね。
これが、玄奘三蔵院伽藍にの礼門。新しい立派な御門である。
左右2基の石柱。
中には入れぬので、大唐西域壁画殿と玄奘塔を礼門から覗くのみである。
インターネットの便利な点は、写真を撮らなくとも大唐西域壁画殿と玄奘塔の画像はすぐにみつかる事である。 だからと言って、そんなに嬉しいわけではないがね。
大唐西域壁画殿
ここには、平山郁夫の描いた玄奘三蔵に関する壁画をお祀りしている。
玄奘塔
この塔には、法相宗の始祖である、玄奘三蔵のご頂骨を奉安してある。
ご存じ、『大唐西域記』の著者である、伝奇小説『西遊記』の三蔵法師のモデルですね。
玄奘三蔵像
(東京国立博物館蔵 鎌倉時代 重文)
(東京国立博物館蔵 鎌倉時代 重文)
これは、お隣の本坊寺慈恩殿。梅の花が綻びかけていました。春は確実に近づいてきている。私は依然として冬のままである。さらに極寒に突入する気配濃厚である。 まあ、一時の眼福を味わえたということで、今回は良いことにしよう。 この記事も書けたしね。
これで、薬師寺編はおしまい。
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