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2015年3月24日火曜日

柳田國男 山の人生

人間が生きるとは、よくわからなくなる時がある。

柳田國男は有名な民族学者であるが、その著書「山の人生」にある話から。

以下 青空文庫からのコピペ。 柳田國男 山の人生
 

山の人生

柳田国男


目次はこうなっている。 自序だけ写す。
+目次
+自序
+一 山に埋もれたる人生あること
+二 人間必ずしも住家を持たざること
+三 凡人遁世のこと
+四 稀に再び山より還る者あること
+五 女人の山に入る者多きこと
+六 山の神に嫁入すということ
+七 町にも不思議なる迷子ありしこと
+八 今も少年の往々にして神に隠さるること
+九 神隠しに遭いやすき気質あるかと思うこと
+一〇 小児の言によって幽界を知らんとせしこと
+一一 仙人出現の理由を研究すべきこと
+一二 大和尚に化けて廻国せし狸のこと
+一三 神隠しに奇異なる約束ありしこと
+一四 ことに若き女のしばしば隠されしこと
+一五 生きているかと思う場合多かりしこと
+一六 深山の婚姻のこと
+一七 鬼の子の里にも産まれしこと
+一八 学問はいまだこの不思議を解釈しえざること
+一九 山の神を女性とする例多きこと
+二〇 深山に小児を見るということ
+二一 山姥を妖怪なりとも考えがたきこと
+二二 山女多くは人を懐かしがること
+二三 山男にも人に近づかんとする者あること
+二四 骨折り仕事に山男を傭いしこと
+二五 米の飯をむやみに欲しがること
+二六 山男が町に出で来たりしこと
+二七 山人の通路のこと
+二八 三尺ばかりの大草履のこと
+二九 巨人の足跡を崇敬せしこと
+三〇 これは日本文化史の未解決の問題なること
+山人考
+一
+二
+三
+四
+五
+六
+七

自序



 山の人生と題する短い研究を、昨年『朝日グラフ』に連載した時には、一番親切だと思った友人の批評が、面白そうだがよく解らぬというのであった。
ああして胡麻ごまかすのだろうという類の酷評も、少しはあったように感じられた。
もちろん甚だむつかしくして、明晰めいせきに書いてみようもないのではあったが、もしまだ出さなかった材料を出し、簡略に失した説明を少し詳しくしてみたら、あれほどにはあるまいというのが、この書の刊行にあせった真実の動機であった。
ところが書いているうちに、自分にも一層解釈しにくくなった点が現れたと同時に、二十年も前から考えていた問題なるにもかかわらず、今になって突然として心づくようなことも大分あった。
従ってこの一書の、自分の書斎生活の記念としての価値は少し加わったが、いよいよもって前に作った荒筋の間々へ、切れ切れの追加をする方法の、不適当であることが顕著になった。しかしこれを書き改めるがために費すべき時間は、もうここにはないのである。
そのうえに資料の新供給を外部の同情者に仰ぐためにも、一応はこの形をもって世に問う必要があるのである。
なるほどこの本には賛否の意見を学者に求めるだけの、まとまった結論というものはないかも知れぬが、それでも自分たち一派の主張として、新しい知識を求めることばかりが学問であることと、これを求める手段には、これまで一向に人に顧みられなかった方面が多々であって、それに今われわれが手を着けているのだということと、天然の現象の最も大切なる一部分、すなわち同胞国民の多数者の数千年間の行為と感想と経験とが、かつて観察し記録しまた攻究せられなかったのは不当だということと、今後の社会改造の準備にはそれが痛切に必要であるということとは、少なくとも実地をもってこれを例証しているつもりである。
学問をもって文雅の士の修養とし、ないしは職業捜索の方便と解して怪まなかった人々は、このいわゆる小題大做たいさに対して果していかなる態度を取るであろうか。それも問題でありまた現象である故に、最も精細に観測してみようと思う。
(大正十五年十月)


私の記載したいのは、つぎの最初の逸話。

 

一 山に埋もれたる人生あること


 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。
三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃みのの山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、まさかりり殺したことがあった

  女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった
そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘をもらってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。
何としても炭は売れず、何度さとへ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。
最後の日にも空手からてで戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

  眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。
秋の末の事であったという。

二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、しきりに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きなおのいでいた。

阿爺おとう、これでわしたちを殺してくれといったそうである。

そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向あおむけに寝たそうである

それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。
それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられてろうに入れられた。

 この親爺おやじがもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。
そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。

私は仔細しさいあってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持ながもちの底でむしばみ朽ちつつあるであろう。

人生とは、何なのかさっぱり分からなくなるのである。
何を苦しんで為そうとしているのかも、さっぱりわからない。 

訳が分からず、生きているのである。

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