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2015年3月6日金曜日

長沢 芦雪の動物画

 日本美術史家で『奇想の系譜』の著者である辻惟雄は、同時代の曽我蕭白伊藤若冲とともに長沢 芦雪を「奇想の絵師」と呼んだ。今回は、その長沢 芦雪の紹介。 この絵師は、文字通り奇抜な画風を展開したことで著名である。 Wikipediaによる説明。

長沢 芦雪



 

長沢 芦雪(ながさわ ろせつ) 宝暦4年(1754年) - 寛政11年6月8日(1799年7月10日))

江戸時代の絵師。円山応挙の高弟。長沢芦雪長澤蘆雪とも表記されるが、「さわ」は常用漢字を優先して「沢」で、「ろ」は「蘆」が優先的に使うべき標準字体であり、蘆雪自身作品のほとんどに「蘆」で署名しているため、「長沢蘆雪」が最も適切だと考えられる。名は、政勝、魚。字は氷計、引裾。通称、主計円山応挙の弟子で、師とは対照的に、大胆な構図斬新なクローズアップを用い、奇抜で機知に富んだ画風を展開した「奇想の絵師」の一人。

その絵は伝えられる性格そのままに、自由奔放奇抜なもので、黒白、大小の極端な対比や、写実を無視した構図など師である応挙の作風から逸脱しており、この傾向は南紀滞在の折の障壁画にはっきり表れている。作風は基本的に明るく軽快であるが、晩年になって『山姥』のような時折グロテスクで陰惨な印象の作品を残した。

その生涯の略年譜は、このページにある。 串本応挙芦雪館

偏屈で付き合いにくい人であったようです。 彼の最期を引用する。

1799年(寛政11年)、芦雪46歳で大阪において客死。一説には周囲の嫉妬や憎しみによる毒殺であったとも、自殺であったともいわれる芦雪の死は謎に包まれ、死についてまでも異常であったと逸話が残されている。

(追記:つぎの動画を見つけました。参考になると思う。


Japonisme盆画 絵師 長沢芦雪 串本無量寺「虎図」の形相から )

長沢 芦雪の動物画からは、異様な迫力を感じる。  

それでは、この記事の目的である、彼の絵画(動物絵)を見ていこう。 絵画の正確な題目は省略。 


 


 
(上)  象(下)
 





 

その部分。特徴のある目つきですね。




 
獅子








 
 
 

 

 
表情が何ともいえず、おかしい。

亀と仙人


 


鍾馗と蛙










始めて観る絵も多かったので、参考になりました。 今回はこれでおしまい。

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