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2015年3月6日金曜日

神戸の神社ーー生田神社

不定期でつづける積りの神戸の神社紹介である。今回は、生田神社。以前の記事で、紹介すると言っておきながら放っておいた神社である。先日神社の写真を沢山撮ってきたので、それを基にして記事にする次第である。 神戸の神社ーー三宮神社と速水神社

我々地元民は、「生田さん」と呼んでいる。 古い格式のある神社で、神仏霊場兵庫1番である。

三宮の繁華街からは少し離れているが、三宮駅から歩いて10分たらずの距離にある。  Wikipediaでは、こう説明されている。


生田神社
拝殿
所在地兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1
位置北緯34度41分41秒
東経135度11分26秒
座標: 北緯34度41分41秒 東経135度11分26秒
主祭神稚日女尊
社格式内社(名神大)・官幣中社・別表神社
創建神功皇后元年(201年)
本殿の様式春日造
札所等神仏霊場巡拝の道66番(兵庫1番)
例祭4月15日

生田神社(いくたじんじゃ)
 
兵庫県神戸市中央区下山手通一丁目にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は官幣中社。同じ兵庫県内の廣田神社長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。
祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)である。
 

生田神社の神幸祭の様子を描く絵巻の一部だが、後方の女性が稚日女尊と思われる。確認したわけではない。
 
稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名ともとも和魂であるとも言われる。
 
生田神社のホームページは、これである。 生田神社
 
それでは、撮ってきた写真や取得画像を用いて、上記のページとWikiに基づく神社紹介を始める。  
 
これが、神社入り口にある古いほうの鳥居
 

(追記:昔の参道からすると、トーアロード下の鳥居が生田宮の入り口なのである。その写真。


 
境内の案内板である。
 
 
生田神社の由緒が記されている。
 
 
神社のホームページに詳しい見取り図があって、境内はこのようになっている。
 
 
この古い鳥居をくぐり抜けて、神社の境内に入ると再び大鳥居がある。

その奥に見える立派な御門が桜門である。「生田宮」の額が掛かっている。
 
 

これは手水舎

本殿である。平日なので、参拝客はちらほら。しかし、日本人とは限らぬ。 右の方々は韓国人のグループ。


 
私もお詣りをさせて頂いた。お願いは、いつも家内安全
お賽銭の額は恥ずかしいから言わない。
 
神使の狛犬。立派な銅像です。
平成21年に天皇陛下から幣帛(へいはく)を賜ったそうである。
(注:幣帛(へいはく)とは、神道の祭祀において神に奉献する、貢物である。
」は布を意味する。)
 
 

本殿の中。ここで、七五三や結婚式の祝詞などを行う。巫女さんの姿は見えず。そういえば、姪の結婚式もここで行われた。だから、本殿の中に入ったことがある。畏れ多いことである。



つぎに境内にある脇社や石碑等を紹介する。境内末社は全部で14社ある。小さい社が沢山あるのは知っていたが、14社もあるとはね。知りませんでした。
 
一つめの住吉神社と二つめの八幡神社
 

住吉神社の御祭神:
表筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)

 
八幡神社の御祭神:
    
    応神天皇(おうじんてんのう)
 
三筒男命は、古代力士の神である。
 
 
 
三つめの諏訪神社と四つめの日吉神社


諏訪神社の御祭神:
武御名方命(たけみなかたのみこと)

 
日吉神社の御祭神:
    大山咋命(おおやまくいのみこと)
 
 幼い建(武)御名方神とその母神・沼河比売の像(糸魚川市海望公園)
 
 
 
五つめの市杵島神社


御祭神: 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
 
 
 
市杵島姫命は、神仏混淆により弁財天として祀られている。
 
 
これが、弁天池。
 
 
弁天池の歌碑。

 

 
 
六つめの市杵島神社




御祭神:稲倉魂命(うがのみたまのみこと)

 
 七つめの塞神社(さえじんじゃ)。
 
 
 
御祭神:
道返大神(ちがえしのおおかみ)
八衢比古神(やちまたひこのかみ)


八衢比古神(やちまたひこのかみ)(男)と八衢比賣神(やちまたひめのかみ)(女)と伝えられている縁結びの神様。野沢温泉では、道祖神として、祀られるそうだ。



八つめの雷大臣神社(いかつおみじんじゃ)。


生田神社の元社家である後神(ごこう)家の始祖神を祀っている。(注:社家=宮司家)


九つめの雷大臣神社(いかつおみじんじゃ)。


御祭神:柿本人麿(かきのもとのひとまろ)


 

十番めの蛭子神社



御祭神:蛭子尊(ひるこのみこと)

御祭神は、伊邪那岐伊邪那美の最初の子で、骨のないのような供ですね。捨てられた子供である。なぜか、恵比寿様になったと言われている。


国生み神話の伊邪那岐と伊邪那美。



これが本殿、と言っていいのだろうね。お賽銭箱があるので、そう思っただけだが。


良く知られている恵比寿様のお姿。大黒様と常にペアになっている。



十一番めの大海神社(だいかいじんじゃ)。



御祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)


生田神社春祭りにおける猿田彦の舞。  


 十二番めの松尾神社

 
 

 御祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)

こちらは、立派な脇神社で鳥居がある。

さらに石碑には、神酒 松尾神社 とあり、ここが灘五郷酒造の発祥地になっている。


 



平安時代の記録によると、各地より集まった稲を使い、生田神社の境内神職酒造りをして、国賓として朝鮮半島からの要人を迎えた際に振る舞ったとあり、灘の酒造りの起源とも伝えられている。


 十三番めの戸隠神社
 

御祭神: 天手力男命(あめのたじからおのみこと)

古事記で良く知られている、この神です。


 

 十四番めの生田森坐社(いくたのもりにいますやしろ)。
 

御祭神:神功皇后(じんぐうこうごう)

月岡芳年による、神功皇后朝鮮遠征の画。


この神社は、生田の森の中にある。

その他、飛地境内末社2社 (天照皇大神宮社稲荷神社)が兵庫宮御旅所にあるが、これは省略する。

また境内には、このような 包丁塚がある。



地元飲食店や食品間連企業などの寄付で作られたそうである。板前さんの心意気が込められている。
楠の御神木。 

 
源平合戦に因む謡曲の史跡や句碑も境内にはある。
 
謡曲 箙(えびら)
 

このように記されている。

      謡曲「」と梶原景季

謡曲「」は、梶原景季に梅をさして奮戦した様を描いた勝修羅物である。 
源平盛衰記には、源平一の谷合戦の時、梶原景時、景季父子生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦した時の様子を『中にも景季は、心の剛も人に勝り、数奇たる道も優なりけり。咲き乱れたる梅が枝を箙(矢をさし入れて背中に負う武具)に副へてぞ挿したりける。かかれば花は散りけれども匂いは袖にぞ残るらん。「吹く風を何いといけむ梅の花、散り来る時ぞ香はまさりけり」という古き言までも思い出でければ平家の公達は花箙とて優なり、やさしと口々にぞ感じ給いける』と称讃の言葉で現わしている。戦場の凄まじさ、殺伐さの中に、風流な香をただよわせて、何とも表現のし難い風情である。
                     謡曲史跡保存会
  

このような風情であったそうな。



えびらの梅の石碑。
 
 
子日庵一草(ねのひあんいっそう)の句碑。  


 子日庵一草の句碑

碑面に「神垣や又とをらせぬ梅の花」とあり、裏面に「文化元甲子春 子日庵一草」とある。
子日庵一草は文化文政の俳人で、岩手県和賀郡黒沢尻の人である。
諸国の神社仏閣名所旧跡を遍歴行脚し、終焉の地を摂津兵庫に求めて、文政2年、11月18日、兵庫の津、鶴路亭において89歳で歿した。
この句は源平合戦の際に、源氏の若武者梶原源太景季が咲きほこる梅の一枝を手に折って箙にさし、獅子奮迅の働きをした故事をふまえ、この生田の森は神聖な境内であるから二度と箙の梅は折らせないと詠んでいる。

 
 
 
境内北側に鎮守の森が広がっており「生田の森」と呼ばれている。県の史蹟になっている。
 

この場所は、源平合戦の古戦場として知られている。


須磨の一ノ谷から生田の森にかけての一帯がそうである。この森を散策しよう。森と呼ばれているが、小さくて木の生い茂った公園という風情である。

森のなかには、いくつかの石碑生田森坐社そして庵ある。それらを見ていこう。





 



 
 

 

句碑についての説明は面白くないので略。森は、10分足らずで一巡りできます。
 
本殿から桜門を望む。
 

西門

この西門からでて、三宮で買い物と夕食(ビール付)を済ませて自宅へと戻ったのである。
 
今回は、これでおしまい。

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