藤原 新也の名前を知ったのは随分前になる。いつだったか忘れたが、1983年に発刊された著書 『東京漂流』を読んでからである。私は、熱心な読者ではないけれども、その文章と撮った写真が格好良くて好きでした。その著書リストを調べてみると、
印度放浪 (1972年)
西蔵放浪 (1977年)
全東洋街道 (1981年)
東京漂流 (1983年)
メメント・モリ (1983年)
丸亀日記 (1988年)
の6冊を読んでいました。最近、と言っても半年ほど前ですが、この本をBookoff で100円で購入しました。
「空から恥が降る」 文藝春秋 2002年
Wikipediaによる藤原新也の記事。
藤原 新也(ふじわら しんや) 1944年3月4日 -
日本の作家・写真家である。
インド、東京、アメリカなどを対象に、写真とエッセイを組み合わせた作品を発表。
1972年の処女作『印度放浪』は青年のインド放浪記として、当時の青年層に大きな影響を与えた。1977年、『逍遙游記』で第3回木村伊兵衛写真賞。1981年に発表した『全東洋街道』で第23回毎日芸術賞を受賞した。
1983年に発表した『東京漂流』は、大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推挙されたが、本人の意思により辞退となった。
それで今回紹介したいのは、上の著書「空から恥が降る」にある、猫の画像である。
これらは、CGを用いた藤原 新也の絵画である。 まづこの本から背景を解説する。
藤原 新也が、内房の隠れ家を選んだのは、家の評価指標として、「猫度」なるものが高かったからである。この隠れ家は、「猫度」が高く、常時10匹程度のノラが徘徊している。そのうちの一匹の猫が、斉藤さんだった。斉藤さんが、1歳の春、ボスのクロ猫と、雌猫の小林さんを巡って戦い、右の腰に大小の傷を負い、敗退する。藤原曰
性の攻防に負けた野生動物というものは、自らの生存の意味を失うわけである。
斉藤は敗退した日から、まるで人格(猫格)が変わった。
この斉藤さんを、膝の上に抱き藤原は言う。
おい!斎藤!こんなことで負けてちゃあだめだぞ。良く考えて見ろ。お前はまだ若くて身体ができとらんのや。・・・・
もう一度あいつとやってみろ。ガーンといてかましてやるんや。元気出せ!どんどん食って大きくなってあの野郎を今度はいてかませ!
そして、斎藤さんは復活し、つぎの年の春、青年になった斎藤さんはクロ猫に挑み始めていた。
その攻防を見届けることなく、藤原は東京に戻る。そして、東京から戻ってきた藤原が見たのは、
斎藤は見る影もなく、体をずたずたにされていたのだ。
体中傷だらけで、血糊がいたるところにこびりついている。顔が化膿して目も開けられない状態に膨れ上がっている。
斎藤は、クロ猫には勝てなかったのだ。しかし、前年と違い果断に正面から挑んで敗れたのだ。
元気になった斉藤は、忽然と姿を消した。
その斎藤さんです。
斎藤さんを讃える藤原新也のCG絵。
今回はこれでおしまい。
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