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2015年4月5日日曜日

石清水八幡宮

八幡市を訪問した時の記事のつづき。 八幡市駅の観光案内所で頂いた観光イラストマップ 八幡まるごと である。

表紙は、八幡市の航空写真。

 
裏面は、名所・旧跡の案内。

この中面がイラストマップになっている。 観光局からPDFファイルが用意されているので、それを貼り付けておく。   八幡市 八幡まるごとイラストマップ

駅で押したスタンプ。

イラストであるように、八幡市のマスコットキャラは

 やわたタケちゃん   やわたノコちゃん  です。

  石清水八幡宮の社に自生している「タケノコ」の妖精である。












いつものように、着ぐるみによる紹介。



所属:一般社団法人 八幡市観光協会

タケちゃんノコちゃんは、京都府・八幡市の石清水八幡宮の杜に住むタケノコの妖精。

「のんびり屋」の男の子タケちゃんと「食いしん坊」の女の子ノコちゃんのコンビが、八幡市の観光PRのため、毎日元気に活動中!

自己紹介文八幡市観光協会作成です。

初めて僕たちの名前を 聞かれ方は、変わっと思るもしませんがくっつけると、やわた特産の「タケノコ」になります。ぼくたちの外見も、タケノコになってるでしょ?

僕、 やわた タケちゃんは、男の子。
石清水八幡宮の杜に自生している「タケノコ」妖精 。
お出かけするときはいつも石清水八幡宮の守りポシェットを持ってます。


やわたのお祭りイベントが大好きで、天気良い日はノコちゃんと一緒に
会場へ遊びに行きます 。
特に二人のお気入りスポットは背割堤(せわてい)。
春桜がたくさん咲 いて、ピンクのトンネルが とっても綺麗!
毎年、たくさんの人が訪れる気お花見スポッ とっても綺麗!
毎年、たくさんの人が訪れるお花見スポッ トですよ。

その通りでした。詳細は、前回の記事に書きました。 京都八幡市 背割堤桜見物

私、 やわた ノコちゃんは、女の子。
タケちゃんと同じ石清水八幡宮の杜に自生している「ノコ」妖精。
私のご先祖様は、エジソンが発明した白熱電球フィラメト素材と言われています。


お出かけするときは いつも お気に入りの電球型ポシェットを持って います。
食べることが大好き で、タケちゃんには食いし坊って言われるけど、おいしいもの巡り はやめられない!松花堂弁当も大好き です !スイーツもちろん好きだから、八幡市のおい スイーツもちろん好きだから、八幡市のおい しい和菓子もたくさん知ってますよ!


ということです。

今回のメインは、国史蹟 石清水八幡宮を紹介することである。 背割堤での桜見物を終わってから、八幡市駅に戻る。ここから、男山ケーブルが接続されている。やはり京阪電鉄の経営で、 
八幡市駅男山山上駅 をつないでいる。

ケーブルの八幡市駅

このようなケーブルカーです。


男山山上駅にある、石清水八幡宮境内の案内板。 



ここで、Wikipediaによる解説。

石清水八幡宮
Iwashimizu hachimangu07s3200.jpg
楼門(重要文化財)
所在地京都府八幡市八幡高坊30
位置北緯34度52分46.8秒
東経135度42分0.2秒
座標: 北緯34度52分46.8秒 東経135度42分0.2秒
主祭神八幡大神
(誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称)
社格国史見在社
二十二社(上七社)
旧官幣大社
勅祭社
別表神社
創建貞観2年(860年)
本殿の様式八幡造
札所等神仏霊場巡拝の道81番(京都1番)
例祭9月15日(石清水祭)


石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)

京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社、また宮中の四方拝で遥拝される一社である。

平安時代初期(859年)に創設された歴史ある神社で、上にも書かれてあるが日本三大八幡宮の一社である。格式も高い。広大な敷地をもつ立派な神社である。

祭神は次の3柱である。

祭神:
  • 中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
    第15代応神天皇の本名。
     
  • 西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)

宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。 別の画像は、 神戸の神社ーー護国神社と篠原厳嶋神社 にある。

 

三神は「八幡三所大神」「八幡大神」等と総称される。

神社のパンフ。2つ折りになっている。

表面

 裏面


中裏がイラストマップになっている。



 
 このように広大な敷地で、神社をゆったり一周しようとすると、2時間はかかる。我々(私とワイフ)は、記録によると1時間45分で参道や山道を周っている。アップダウンも結構あり、疲れたはずである。

駅から、石清水八幡宮にむかう山道。参道ではない。



路の傍らに設えてあった、三女神社の鳥居と社。 宗像三女神を祀っている。



これがシンボルタワーの湧峰塔

 
 
下から眺めると、こんな感じ。

この境内の桜も満開である。


こちらは、枝垂れ桜。


 

 
由縁は知らぬが、ボーイスカウトの銅像があった。



桜はこのように満開。写真に撮っている人も沢山いました。


手水舎

南総門


本殿上院社殿とされている。  重要文化財である。 正面からの写真。


家内安全を祈りました。 神主さんの顔もみえますね。
 
 
幾つかの方向から本殿を写してみた。
 



 




本殿の脇には、このような絵馬も沢山掲げられていました。




本殿は、塀で取り囲まれている。後の塀が信長塀で、その前には石灯籠が並んでいる。


信長塀: 織田信長公寄進と伝わり、瓦と土を幾重にも重ねることにより、銃撃や耐火性、耐久性に優れていたとされる。

裏側から見た、本殿の昇殿口


本殿の裏側には、幾つもの神社内神社の社が立ち並んでいる。


水宮神社

気比社


若宮殿社


若宮社

貴船社・龍田社



これは、北総門

一童社

住吉社

そして、校倉である。京都府指定文化財である。


正倉院の校倉創りとは比べものにならぬが、改築なり中々立派である。


広田社・生田社・長田社


そして、西総門

境内から南総門を望む。

 
参道脇にある、石灯籠群。


これが一ツ石。かっては競馬の出発地点であり、「勝負石」とも呼ばれている勝ち運の石である。またお百度参りの地点ともされている。


 
三ノ鳥居
 

 


神馬舎

表参道の石段。このようにかなり急である。



清峯館前の桜。

 
その入り口。



再び満開の桜の写真。


エジソン記念碑である。


なんでエジソンかというと、このような逸話がある。



発明王エジソンは最初の白熱電球を発明したが、長時間使用に耐えるフィラメントの素材として、八幡竹を用いたのである。 詳しくは、 はちまんさんとエジソン を参照。

エジソンと日本、そして男山との深い縁を踏まえ、昭和9(1934)年に石清水八幡宮境内の隣に「エジソン記念碑」が建立されました。そして昭和33(1958)年には、エジソン彰徳会により、エジソン白熱電球の実用化成功に最も大きな役割を果たした竹に縁の地である当宮境内に記念碑が移転され、さらに記念碑建立50年に当たる昭和59(1984)年10月18日には、デザインを一新し建て替えられて現在に至ります。


その後境内を出て、表参道を下り石清水社に向かったのである。

参道から下界の眺め。


大扉稲荷社。 やはり扉は大きい。


ここから山道を再び登っていくと、松花堂跡にでる。


国史蹟に指定されているが、このように何もない。土管だけである。



松花堂弁当松花堂ですね。 ここで、Wiki よりの引用。



松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、 1582年 - 1639年10月14日)

江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。俗名は中沼式部。堺の出身。豊臣秀次の子息との俗説もある。
書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出し、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられた。なお松花堂弁当については、その名が昭乗に間接的に由来するとする説がある。

 松花堂弁当



山道の周辺は竹林である。大きな竹が群生している。


八幡竹として、著名なのは分かる気がする。


ここで、道を間違え、再び表参道の鳥居付近に出てしまった。近くなので、地図を確かめつつ再度、石清水社を目指す。ワイフは歩き疲れたので、パスして男山展望台で待つことにする。

一人での石清水社探訪である。記録では、7分くらいで到着。大したロスではない。

石清水社の説明パネル。 京都府指定の文化財になっている。


神社の記事によると、こう記されている。

男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮御鎮座以前の起源に遡り、御鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされています。
石造りの神明鳥居の石柱刻銘には、寛永13(1636)年、当時の京都所司代・板倉重宗の寄進により建てられたとあり、境内に完全な形で残る鳥居としては最古のものです。また、その銘文は松花堂昭乗の書であるということも判明しています。

石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを例としていました。その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。現在でも、当宮にて斎行される年間100余の祭典には、当日早朝に汲み上げられた「石清水」が必ず御神前に献供されています。

 石清水社常夜灯


鳥居

 
社内の石灯篭

これが、石清水の社。




ご神水の汲み場。お賽銭をいれないで、と書いてある。


拝殿

本殿



 石清水社を見終わって、男山展望台に向かう。

途中見つけた、竹細工によるの花弁である。


八幡たけくらぶ いうNPOがあるそうだ。


展望台での桜。


ワイフの、 「うしろすがたの しぐれてゆくか」。


ここには、谷崎潤一郎の文学碑がある。実は、どこにでもある。


蘆刈抄」の石碑。

達筆すぎて、とても読めぬがこう書かれている。

わたしの乗った船が洲に漕ぎ寄せたとき
男山はあだかもその絵にあるようにまんまるな月を背にして
鬱蒼とした木々の繁みがびろうどのようなつやを含み、
まだどこかに夕ばえの色が残っている中空に
暗く濃く黒ずみわたっていた


展望台からの眺め。



背割堤

この流域で淀川になる。

 
そして、展望台から下るとすぐに男山山頂駅に着く。もう灯りが入り始めた。
 
 
そして、最後の満開の桜の写真。
 



桜の写真ばかりで、ちょっと切りがないね。 時間の関係で頓宮のほうには、立ち寄らず。

吉田兼好の 『徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」
仁和寺の老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。ついに石清水八幡宮へ行ったが、麓の高良社や極楽寺を石清水だと思い込んで、そこのみ参拝し、他の人が山を登っていたのに、「神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と、自分は登らなかったという話。「すこしのことにも先達はあらまほしきことなり」(小さなことにも案内人が必要)と結ばれている。
の全く逆を行ったわけです。

かなり長時間を歩いて疲れました。電車に乗って、どこにも寄らず家路を急いだのであった。

これで、京都八幡市観光案内はおしまい。

 
 

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